2012年6月29日

OECD大使公邸でガーデンパーティ

OECD日本大使公邸の庭園でガーデンパーティ


吉川元偉OECD大使
アンヘル・グリアOECD事務総長
ご夫妻
6月28日、数週間ぶりの晴天に恵まれた日、OECD大使公邸で
恒例のガーデンパーティが開催されました。

今年は異常なお天気で雨が多く、
しかも雷が華々しくパリの空を横切り、
このままだと空が壊れてしまうのではないかと、
熟睡できない夜もあったほど。

それがガーデンパーティの日には素晴らしい晴天。
マジシャンがどこからともなく登場して、
この日だけお天気にしてくれたと思っても不思議ではない。
ピアニスト官野さんと
高級宝石商メレリオさん
 その晴天の中、
広々とした心地よい庭園に日仏の招待客が時間通りにあつまり、
シャンパン片手に和気藹々。
あちらこちらに数人の輪ができ、
談笑は途切れることもなく続き、
久しぶりの再会を心から喜ぶ明るい声が四方から上がっていました。

さずが社交が重要な都市になれた方々ばかりで、こうした場にふさわしい服装で、それがガーデンパーティに
さらなる華やぎを与えていました。

頃を見計らって吉川元偉OECD大使がご挨拶、
アメリカンホスピタル医師の
三村佳弘さんと夫人の夏子さん
続いてアンヘル・グリアOECD事務総長のご挨拶があり、
全員で高らかに乾杯。
いくつもの白いテントの下には様々な国籍のお料理が並び、
どれもこれも美味で、
ついついたくさんいただいてしまう、悪い習慣の私。
それでも会話も十分楽しむという訓練は、
パリに住んでいると身につくもの。

今年はライヴのミュージックもあり、
思い出深いガーデンパーティでした。

2012年6月26日

ナポレオン、モスクワ遠征200年

モスクワ市の手前の
モスクヴァでの戦いに勝利を得た
ナポレオン大遠征隊
フランス皇帝として栄光の頂点にいたナポレオンは、宿敵ロシア征服のためにモスクワ遠征を計画。大軍を率いて意気揚々とサン・クルー城を出発したのが
1812年5月6日。
200年前のことです。

ロシア入りしたフランス軍は、ニーメン河を越え6月24日に戦闘開始の準備を整えました。
ところがロシア軍がどこにも見当たらない。次の村でも、その次の村でも同じ。廃墟のような村にいるのはわずかな非戦闘民のみ。

クレムリンでモスクワの火災に
驚愕するナポレオン
占領地で食料などの補給をする予定だったフランス軍は、それもかなわず先に進むに連れて乏しくなる一方。その上なれない牧草を食べる馬もバタバタと倒れる始末。
これはロシア軍の策略であったのに、ナポレオンは部下の進言に耳を傾けることもなく、徐々に泥沼にはまっていったのです。彼は以前のように鋭敏な指導者ではなくなっていたようです。

ロシア軍との最初の交戦があったのは
スモレンスク。
数年前にポーランド大統領夫妻はじめ多くの官僚が飛行機事故で亡くなり、その名は多くの国で語られることになりました。
8月16日ー17日の激戦に続き、9月7日はボロジノの会戦。フランスが大勝利をおさめモスクワへの道が大きく開かれ、ナポレオンは顔をほころばせながらモスクワへ、クレムリンへと向かったのです。

モスクワから退却するスランス軍
9月15日にモスクワに入ったものの人影もなかったばかりか町中に火がつけられ、モスクワの主だった建造物はことごとく焼け崩れました。
住民をモスクワから避難させフランス軍の供給をたつために、モスクワに火をつける命令を出したのは、
ロシアの司令官、クツーゾフ。

ナポレオンはスモレンスクまで戻り軍をたてなおし、ロシア軍を攻める計画でしたが、途中でコサック兵やパルチザンの襲撃にあい、その上、厳しい冬将軍の到来。
ナポレオンが誇る軍団は多くの兵士が飢えや病、寒さで命を失い、
ぼろぼろの軍服をまとい、死んだ馬や同士の遺体を奪い合って食べるみじめな軍となり、祖国へと帰っていったのです。

この戦いはロシアの文豪トルストイの「戦争と平和」に書かれ、チコフスキーが「1812年」を作曲。

6月25日に始まったロシア遠征は、今年200記念を迎えました。フランスでもロシアでも重視。特にフランスではナポレオンの戦地をたどるツアーまで組まれ、私も所属しているナポレオン史学会が主催。ということは、専門家の講義つきでかなり有意義な旅のはず。参加したかったのですが、2週間もの長旅とのことで迷っていたら、150人の定員がすぐにいっっぱいになったそう。

ナポレオンはこのようにいつまでも根強いファンが多いのです。

2012年6月22日

パリ市庁舎で「東日本大震災後の日本再生展」

パリ市庁舎で開催中の
再生展のポスター

東日本大震災後の復興の状況を、
今、パリ市庁舎でわかりやすく展示しています。

被災地の当時の様子と、
その後の復興により以前の姿を取り戻しつつある様子などが、
多くの写真で示され、いかに日本が復興に力を入れているか伝わってきます。

原発で作業にあたっている勇気ある人々のポートレートからは、厳しい現実に向かっている緊張感がほとばしっています。

特にパリ市民の心を捉えているのは、
大震災を奇跡的に逃れた一本の松の木の大きな写真。

ドラノエパリ市長、吉川元偉OECD日本大使、
高田賢三さん。7月20日
空に向かって雄々しく立つその松の木は、大震災にも負けない強さ、未来への明るい希望、そしてその木を囲んで日本人が一致団結しているという感動を与えているのでしょう。

6月20日には日仏の多くのジャーナリストが取材をし、
ベルトラン・ドラノエパリ市長が
助役と訪問。
パリがいかに深い関心を抱いているか誠意を込めて語りました。


パリ市主催のレセプション。
小川和也公使。21日
21日にはパリ市主催のオープニングパーティがあり、
パリ市助役の挨拶、
展覧会主催者代表高田賢三さんの挨拶、
福島県庁の方々のご紹介、
そしてヴァイオリンの演奏がそれに続きました。
演奏には、
岩手県陸前高田のがれきから掘り出した木で作ったヴァイオリンが使用され、それだけにより一層の感激を与えたようです。



私も二日とも出席
7月7日まで続くこの展覧会で、多くのパリ市民が大震災後の復興状況を理解することでしょう。
大震災直後からずっと続けて応援しているフランス。今回のイヴェントが更なる関心を持たせることは明らかです。

フランス人と日本人の間には、言葉で語らなくても通じ合うものがあるように私には思えます。





2012年6月19日

シャネルがあこがれた女性

ミシア、ボナール作
その女性は艶やかな美貌の持ち主でした。
その女性は卓越したピアニストでした。
その女性は幅広い人脈と破格の財に恵まれていたために、多くの芸術家のメセナとして支援を惜しみませんでした。
その女性は愛され、あがめられ、
社交界の女王と呼ばれていました。
その女性を取り囲んでいたのは、まばゆいばかりに輝かしい人ばかり、ピカソ、コクトー、ルノワール、ロートレック、ストラヴィンスキー・・・

デザイナーとして活躍を始めたココ・シャネルは、そうした稀有な女性ミシア・セールに強い憧れをいだき、いつの日か自分もミシアのようになりたいと思っていたのです。

もしもシャネルがミシアに出会わなかったら、彼女は今日まで語り続けられるフランスを代表する女性にならなかったと思われるほど、ミシアのシャネルへの影響は強かったのです。

ミシア、ロートレック作
シャネルが最愛のカペルを事故で失い、打ちひしがれていたときに手を差し伸べ、未来への明るい希望を持たせるようにしたのもミシア。
名な人物との交流を持てるようになったのもミシアのお陰。
ふたりの女性は30年間という長い間友情を持ちましたが、どちらも激しい気性で、時にはライバルになったりで、お互いに心底からの信頼を持つことはなかったようです。

ポーランドの彫刻家とベルギー人母の間に生まれたミシアは、フランツ・リストなど著名人と交際があったベルギーに住む祖母に育てられ、
10才になったころにパリの聖心修道院の寄宿生になったと
記録は語っています。

ミシア、ルノアール作
三回結婚したミシアはそのたびに美しさと教養に磨きがかかり、財も増え、三番目の夫、スペインの画家ホセ・マリア・セルト(フランスではセール)の時代に人生最大の花を咲かせました。

詩人は彼女のために詩を書き、作曲家は曲を捧げ、画家は競ってミシアをモデルにし、その数々の作品が、今、オルセイ美術館で展示中。ミシア・セールという女性がいかなる人だったか、巨匠たちの絵で知る絶好の機会です。


「ミシア、パリの女王」
オルセイ美術館
2012年9月9日まで

2012年6月18日

総選挙の結果

先週の第一回投票に引き続き、第二回目の投票が今日、17日の日曜日におこなわれ、
社会党が圧倒的強さを見せました。これで何でも可決されること間違いなし。

数日前から話題の中心になっていた、社会党のセゴレーヌ・ロワイヤルと社会党から除名されたオリヴィエ・ファロルニの激戦は、ファロルニの勝利。大幅の差で当選。これは予測通りの結果。

オランド大統領のパートナー、ヴァレリーが、憎しみあっている大統領の前パートナー、セゴレーヌ・ロワイヤルを落としたいために、ファロルニを指示するツイッターを発したと、大問題になっていたことは前回のブログでお知らせした通り。
でも、それが今回の投票に何らかの影響を与えたとは誰も思っていないはず。
選挙とはそうあってはいけない。そのくらいの常識はフランス人が持っていないはずがない。

このツイッター事件の後、エロー首相がヴァレリーに控えめにするべきだと公言するほど騒ぎが大きくなっていたことは確か。
このようなことは、前代未聞。でもこれもいかにもフランスらしく、私はぜんぜん驚きもしない。
さすが個性的なフランス人。自己主張の国民です。

そういえばヴァレリーは、フランスのファースト・レディーになっても自分は自分という態度を変えず、ジャーナリストの仕事を続けていくことも宣言。
今後どのような展開があるか、目が離せないフランスです。
本当に刺激的な国。

2012年6月14日

オランド大統領をめぐる二人の女性の戦い

フランスは今、総選挙たけなわ。
第一回投票が終わり、二回目の投票が日曜日に行われますが、その直前になってふたりの女性の戦いが火花を散らしています。

いえいえ火花どころではなく、大きな音を立てての大爆発。

ふたりの女性のひとりは、フランソワ・オランド大統領の前パートナーで大統領の四人の子供の母親であるセゴレーヌ・ロワイヤル。前回の大統領戦で社会党候補として選ばれた実力ある政治家。

もうひとりはオランド大統領の現在のパートナーのヴァレリー。「パリ・マッチ」誌のジャーナリスト。

ふたりとも美人で強い個性を持つ女性だけあって、ライバル意識がすごい。
「フランソワには私から出て行くように頼んだのです」
と別居を公にしたとき公言したセゴレーヌ。
それに対して
「私たちはもうずいぶん前から一緒に暮らしています」
とヴァレリーが反発。

今回大騒ぎになっているのは、議員再選はもちろん、国会議長の席を狙っているセゴレーヌを、ナニが何でも阻止しようとヴァレリーがツイッターで彼女の競争相手オリヴィエ・ファロルニを支援したこと。

オリヴィエ・ファロルニはかなりの人気がある人物です。
そこに大統領のパートナーの支援が加わり予想では彼が勝ちそう。
日曜日に迫った選挙で、どの党が何席の議席を確保するかより、
ふたりの女性の戦いのほうがずっと興味あるフランスです。

この続きは日曜の選挙後のお楽しみ。

2012年6月13日

ヴェルサイユ宮殿の新展示場

壮麗なヴェルサイユ宮殿
ヴェルサイユ宮殿に新しく展示会場が設置されました。

「ヴェルサイユ宮殿の歴史のギャラリー」と呼ばれ、
宮殿の建築開始から完成までの様子が、
絵と模型でわかりやすく
あらわされています。

その会場として選ばれたのは、
一階のプリンスたちが暮らしていた
11の部屋。

絵、模型、3Dで宮殿の紹介
最新テクノロジーを駆使した3Dによって、宮殿内の主だった部屋や広大な庭園に入り込むこともでき、そのインパクトはすごい。

これはグーグルの協賛だそう。
もちろん資金援助もしたけれど、金額は公表していない。

ともあれ、こうしたことへの寄付は遠慮せずにどんどんして欲しい。
80ヵ国の人が訪れるという世界のヴェルサイユ宮殿。
資金援助のカイがあるというもの。

家族と一緒のマリー・アントワネット
今まで場所不足で倉庫に長い間眠っていた絵画も多数展示。
その中には、マリー・アントワネットの2枚の絵もあり、日本人には興味深いこと。
どちらも家族と一緒のマリー・アントワネットの姿で、王妃がいかにいい母親であったか伝わってきます。

その他、オペラ座の断面の模型もあるし、礼拝堂の重厚な鍵もある。

今後は3階の国王の愛妾たちの部屋の修理に力を入れるそう。
いろいろと話題豊富なヴェルサイユ宮殿です。

一般公開に先駆けた、解説付きの
展示会場訪問の後は楽しいブッフェランチ
「ヴェルサイユ宮殿の歴史のギャラリー」は6月14日から公開

2012年6月9日

 大評判のケイト

4日間続いたエリザベス女王在位60周年記念行事で、イギリスは王家を中心としてしっかりまとまっている印象を世界に与えたようです。

王家を継承していくチャールズやウイリアムの評価もいい。
でも、なんといってもスター的存在はケイト。
スランスの週刊誌はこぞってケイトの写真をたっぷり報道して、消費者の注目をひくことにやっきになっています。

肝心の女王よりも、ケイトのこぼれるほどの笑顔の写真の方がはるかに多いし、
彼女の写真をカバーにすると売れ行きが一段と増すそう。
キオスクには彼女の表紙の雑誌がずらりと並んで、それはそれは華やか。
フランスにこうした女性がいないのがすごく残念。

ケイトには人をひきつけないではいない特別のオーラがあることは確か。
あの輝きのある笑顔は万人を虜にしないではいない。
それに加えて長身で、ダイエットのお陰でスリムになり、理想的なシルエット。

頭がいいこともフランスでは強調されていて、ケイトは素早く自分の立場を理解し、結婚して一年しか経っていないのに、自分のカラーをすでに出すことに成功している、と最高点をつけています。ひとつとして失敗がない、完璧と、ほめえることほめること。

プリンセスになってからまだフランスにいらしていないけれど、実現するときには大騒ぎになることまちがいなし。
私も待ち遠しい。
やはり王室はいい。
国の代表として、やはりいい。

フランス人のイギリスへの移住が、今回のことでますます増える可能性があるようです。
そうでなくても年々増え、
「ロンドンはフランスの第6番目の都市」、などと若者は呼んでいるほど。
パリもがんばらなくては。

2012年6月4日

エリザベス女王在位60周年記念


イギリスは6月2日から4日間、
エリザベス女王在位60周年記念の行事で湧きかえっているようです。
隣国のフランスは、それにまけずに連日大報道。

以前ブログに書いたようにイギリス王家の先祖がフランス人であるから、無関心ではいられないのです。それに加えて、革命で王家を失ったフランス人は、王家への強いノスタルジーを消しきれないので、ヨーロッパ王室の出来事をことあるごとに派手に報道するのです。

もともとイギリスはドイツのゲルマン系アングル人とサクソン人がつくった国。そのためにフランスでは今でもイギリス人をアングロ・サクソン人と呼ぶことがあります。その後、フランスのノルマンディー公ギヨームがイギリスを征服し、ウイリアム一世として即位。それが現在まで続いているイギリス王家。
つまり先祖は確かにスランス人。

ということで、今回の祝祭の報道も熱がこもっているのです。
それにしてもエリザベス女王のあのお元気なお姿と微笑みには、イギリス国民だけでなく、世界中の人々を幸せにするオーラがある。

一時期、そうです、ダイアナ元皇太子妃が亡くなった後は、かなり不評だったことは確か。それ以降、エリザベス女王が国民に積極的に接近し、「みんなの女王」となったときから、王室と国民の間の重い壁が取れたように思えます。86歳という高齢で女王の任務を立派にはたしていることは、イギリス国民の励みであり、誇り。

ウィリアムとケイトの「愛の結婚」がイギリス王家の人気獲得に大きな役割を果たしているのも事実。ふたりは小さな家を安い家賃で借り、ケートがスーパーでショッピングをしたり、手ごろなZARAの服を着たりという、一般国民と同じような新婚生活も好評。

それでも国を代表する人としての役割をいかにも自然にこなしているし、容姿はふたりそろってスターのようで、憧れを掻き立てないではいない。このふたりに惜しみなく支援を送っているために、女王の人気も上がっている気配。

今回のエリザベス女王在位60周年記念の行事には華やぎがあり、イギリスへの評価が何倍も上がっているほど。オリンピックもあるし、ユーロを拒否した国なので下降線を辿る一方のユーロの行く末の心配もないし、イギリスはとても元気。

エリザベス女王が即位したときの首相はチャーチル。第二次世界大戦の英雄です。そう考えるとエリザベス女王の在位期間がいかに長いか実感できます。

テームズ河の1000隻の船のパレード、コンサート、ダンス・・・
64年の在位を誇るヴィクトリア女王の記念行事以来のスペクタクルが、各地で行われるイギリス。イギリス王家は今後も長く続くし、そうあって欲しいという国民の意見が多い。

フランスではこうした行事の可能性はゼロ、ゼロ、ゼロ。
悔しさとうらやましさが混ざっているようだし、ちょっと寂しそう。
いまさら王政復古など出来ないし、その必要もない。

でも今回の報道の熱心さはすごい。
それを見逃さないようにする私はとても大変。
何しろ4日間も続くのだから。

2012年6月1日

シャトレのつぶやき 55 キャットフードのお話

これが300しゅるいのひとつなのネ
フランス人はネコとイヌがとても好きなの。
そのショウコは数字でわかるのヨ。
かわれているイヌは750万、ネコはもっと多くて1100万。その中にワタシも入っているの。

「スーパーにいくと、犬猫の食べ物がずらっと並んでいるのよ。
それはそれはすごい種類で、選ぶのに困ってしまうほど。
とはいうものの、君のはいつもクリニックで買っているの。
だって君は持病があるでしょ。
だから特別なのを買わなければならないの」
なるほど、なるほど
ママンも苦労しているのね。

ワタシの持病にいいお料理がコレ
ナンでも全部で300しゅるいもの食べ物があるんだってネ、
すごいわね。
マイニチちがうのを食べるのに、
一年近くもかかるのよ。
「最近はダイエット食も増えているし、無農薬のもあるの。人間と同じね」
とママンがあきれるけれど、まあ、そのくらいはどりょくしてもらわないと・・・
だってワタシたちは、
わがままなニンゲンをなぐさめるというムズカシイお仕事をマイニチしているんだもの。
ワタシご愛用のってずいぶんと大きいのネ

これからも、素材とか調理法をケンキュウして
もっともっとおいしいのを考えてほしいわ。

ニンゲンのじゅみょうがのびているように、ワタシたちのものばしてほしいの。
このようにして平等な社会を作って、いっしょに平和にくらした~い。