モスクワ市の手前の モスクヴァでの戦いに勝利を得た ナポレオン大遠征隊 |
1812年5月6日。
200年前のことです。
ロシア入りしたフランス軍は、ニーメン河を越え6月24日に戦闘開始の準備を整えました。
ところがロシア軍がどこにも見当たらない。次の村でも、その次の村でも同じ。廃墟のような村にいるのはわずかな非戦闘民のみ。
クレムリンでモスクワの火災に 驚愕するナポレオン |
これはロシア軍の策略であったのに、ナポレオンは部下の進言に耳を傾けることもなく、徐々に泥沼にはまっていったのです。彼は以前のように鋭敏な指導者ではなくなっていたようです。
ロシア軍との最初の交戦があったのは
スモレンスク。
数年前にポーランド大統領夫妻はじめ多くの官僚が飛行機事故で亡くなり、その名は多くの国で語られることになりました。
8月16日ー17日の激戦に続き、9月7日はボロジノの会戦。フランスが大勝利をおさめモスクワへの道が大きく開かれ、ナポレオンは顔をほころばせながらモスクワへ、クレムリンへと向かったのです。
モスクワから退却するスランス軍 |
住民をモスクワから避難させフランス軍の供給をたつために、モスクワに火をつける命令を出したのは、
ロシアの司令官、クツーゾフ。
ナポレオンはスモレンスクまで戻り軍をたてなおし、ロシア軍を攻める計画でしたが、途中でコサック兵やパルチザンの襲撃にあい、その上、厳しい冬将軍の到来。
ナポレオンが誇る軍団は多くの兵士が飢えや病、寒さで命を失い、
ぼろぼろの軍服をまとい、死んだ馬や同士の遺体を奪い合って食べるみじめな軍となり、祖国へと帰っていったのです。
この戦いはロシアの文豪トルストイの「戦争と平和」に書かれ、チコフスキーが「1812年」を作曲。
6月25日に始まったロシア遠征は、今年200記念を迎えました。フランスでもロシアでも重視。特にフランスではナポレオンの戦地をたどるツアーまで組まれ、私も所属しているナポレオン史学会が主催。ということは、専門家の講義つきでかなり有意義な旅のはず。参加したかったのですが、2週間もの長旅とのことで迷っていたら、150人の定員がすぐにいっっぱいになったそう。
ナポレオンはこのようにいつまでも根強いファンが多いのです。