自分の運命を判決前に察した国王は、 心のこもった遺書を書きます。 |
裁判が行なわれていた1792年のクリスマスの日、国王は遺書を書きました。
彼はすでに、自分の運命を悟っていたのです。
何枚もにも及ぶ長い遺書の最後に 王のサインが見られます。 |
敬虔なカトリック信者として、自分が犯した罪の許しを神に乞い、また、自分の敵となった人々の罪を心の底から許すと綴ります。
自分と共に過酷な日々を送ってきた、妻、子供たち、妹を、特に見守ってくださるようにと神に祈り、その人たちに与えたであろう苦痛の許しも乞います。
息子には、ある日、不幸にも王の座に就くことになったら、国民の幸せに全面的に貢献するようにと言葉を残します。
神に召される準備がすでに出来ていること、そして、自分に対して犯された、いかなる罪をも非難してないことを明確に記しました。
「1792年12月25日、タンプル塔にて作成、ルイ」
と書いたその遺書は、彼の最後の望みだったにもかかわらず、家族の誰も目にすることはありませんでした。
と書いたその遺書は、彼の最後の望みだったにもかかわらず、家族の誰も目にすることはありませんでした。
遺書を手にする国王と弁護士マルゼルブ。 |