2017年9月30日

カルティエ 新製品

今年のファッションウィークはお天気に恵まれず、雨や曇りが多い日々が続いているのです。

色とりどりのカフスボタンをはじめ、
シックなメンズ製品に知性が感じられます。
そうした中でカルティエが心が浮き立つようなニューコレクションを発表。
アイディアに富むカルティエは、毎回コレクション発表の場を変えるので興味津々。

今回は、ロダン美術館近くの趣ある館内。
中庭にはマロニエの実が落ちていて、秋のパリらしい雰囲気を満喫。

今回はジュエリー、時計のほかに珍しいアイテムがあり、革新をモットーとするメゾンの才知を形あるものとして味わえました。

一番気に入ったバッグ。
落ち着きあるカラーと思いがけないファーの飾りのミックスが独創的。
その中で、ファーのコートを身に着けているようなバッグが特に気に入りました。これはもう冬に最適。和服にも合いそうな大きさ。

ジュエリーのようなポースレーヌ。
インテリア製品も豊富で、シックなキャンドルケースが数種類、さらにポースレーヌもあるのです。さすがジュエリーのメゾンです。カラーがサファイア、ルビー、エメラルド。目にも心にもいい栄養を与えそう。このままオブジェとして飾るのもいいかも、と思っています。
ニュー・コレクションを堪能したおかげで
豊かになった気分。

2017年9月28日

パリの犬たち 143

今のシーズンの装いは・・・
華やかなパリコレのシーズン。
おしゃれを楽しみたいのに雨、雨、雨。
こういうときはレインコートだワン。

上手に着こなして歩くワタシをたくさんの人が振り向いて、
とってもご機嫌ヨ。

2017年9月24日

メトロの駅名は語る 54

Kléber
クレベール(6号線)

偉大な将軍ジャン=バティスト・クレベールの名を冠した駅です。
ジャン=バティスト・クレベール将軍
フランス革命期の将軍で、後年にナポレオンがエジプト遠征を行ったさいに大活躍し、その名を歴史に残します。

革命のときには共和国軍に所属し、フランス西部にあるヴァンデで反革命のカトリック王党派と戦い、共和国軍が勝利を得ます。この戦いでクレベールは活躍したにもかかわらず、大して評価されませんでした。

無謀ともいえるエジプト遠征を実現した
ナポレオン・ボナパルト。
彼の名を不朽のものとしたのは、ナポレオン・ボナパルトによるエジプト遠征です。 

ツーロン港での乗船。
左手に総指揮官ナポレオン・ボナパルトと将軍たち。
クレベールもそのひとりでした。
ナポレオンを司令官とするエジプト遠征隊は、1798年5月19日、フランスの港ツーロンを出航し、地中海のマルタ島に向かいます。

マルタ島を包囲するナポレオン率いるフランス艦隊。
1798年6月11日、マルタ島を占拠し、
1800年9月3日、イギリスに敗北するまでフランス支配が続きます。
その地でマルタ騎士団と交戦し、あっという間に制覇。騎士団が持っていた多くの武器と多額の財産、兵士を手にし、目的地エジプトを目指します。

7月2日早朝、エジプトのアレクサンドリアに上陸。砂漠に暮らすベドウィンとの戦いでクレベールが負傷しますが、勝利を得たフランス軍は大きな期待を抱えながらカイロへと進軍。

フランス軍が大勝利を得た「ピラミッドの戦い」
1798年7月12日。
兵士に指示を与えるクレベール将軍(左)
カイロにはエジプトの象徴のピラミッドがある。
それを遠くから目にとめたナポレオンは、兵士たちを鼓舞するために名言を放ちます。
「兵士諸君、あの遺跡の頂上から40世紀の歴史が諸君を見下ろしているのだ」
歴史に格別な情熱を抱いていたナポレオンは、
単なる遠征に終えたくないと、
学術調査のために各方面の学者175人を同行させ、学術的貢献をしました。

当時、オスマン帝国支配下にあったエジプトで、勢力を奮っていたのはマムルーク騎兵軍。
彼らを相手にカイロ手前で壮烈な「ピラミッドの戦い」が繰り広げられ、7月25日、快勝したフランス軍は憧れのカイロに入城。
遠征隊のひとりフランソワ・ブシャールが、
1799年にロゼッタで発見した「ロゼッタ・ストーン」。
そこに書かれていた3つの異なる文字が
古代エジプト文字、ヒエログリフ解読に役立ち、
古代エジプトの謎の解明につながります。

カイロを手に入れたフランスは、エジプトを征服したかのように思えました。
ところがマムルーク軍、イギリス軍、オスマン軍による反撃が各地で起こり、再び激戦になります。 

その間に、フランスの総裁政府が国民に不人気であるばかりでなく、ナポレオンが遠征で手に入れた領地が次々に奪われ、国民が自分を必要としていることを知ります。

これ以上エジプトに留まっているわけにはいかないと、ナポレオンは本国にもどる決意を固めます。
 1799年8月23日、ナポレオンはアレクサンドリア港から船でフランスへと向かいます。

ナポレオンはエジプトを離れる際に、その後の遠征隊の指揮を任せたのはクレベール将軍でした。
それは有無をいわせぬ命令だったのです。

クレベールが指揮を取り勝利を得た「ヘリオポリスの戦い」
1800年3月20日。
フランスに戻るナポレオンは、有能な将軍を連れて行ってしまったので、クレベールは苦戦の連続でした。それにもかかわらずクレベールは奮闘し、「ヘリオポリスの戦い」でオスマン軍を大敗させます。

カイロで暗殺されたクレベール。
それをきっかけとして和解の道を辿ろうとしていた矢先に暗殺されます。
1800年6月14日、カイロでの出来事で、47歳の惜しい年齢でした。

遺体はすぐにフランスに戻りましたが、彼がエジプト遠征の英雄になるのを懸念したナポレオン・ボナパルトの命令で、本土に埋葬されず、地中海の島、シャトー・ディフに葬られます。
アレクサンドル・デュマの名作「モンテ・クリスト伯」でおなじみの島です。


生まれ故郷に戻ったクレベール将軍。
クレベールが生まれ故郷のストラスブールに埋葬されたのは1838年12月12日。ナポレオンが失脚し、王政復古で王座に就いたルイ18世の時代でした。
現在は街の中央に立派な像もあり、ストラスブールでは英雄と称えられています。

2017年9月23日

テクノ・パレード

9月23日、久しぶりの快晴の土曜日のパリ。
好天気に誘われてルーヴル美術館近くを歩いていたら、
にぎやかな音楽が聞こえてくる。

ルーヴル美術館とテクノミュージック。
古く重々しい歴史と、軽快で楽しい現代の組み合わせが最高。
音が聞こえる方角に向かって行くと、セーヌ河畔とルーヴル美術館の間の路上で、大型の車の上で楽器を奏でたり、DJを扱っている。
それを囲みながらたくさんの若者たちが踊ったり歌ったりしている。

みな、思い思いの装いで、人生を楽しんでいる。
自由を尊ぶ国にふさわしい。
わけのわからない派手な服を着ている人もいるし、ビールやコーラを片手にしながら大きな声を張り上げている人もいる。

テクノミュージックが文化であることをアピールするパレードらしい。
この音楽は体の奥深くまで響き、全細胞を刺激し、誰も彼をもウキウキさせ、体を動かしたくなるようなマジックがあるように、私には思えます。

パリの犬たち 142

枯葉の季節
道路に枯れた葉がチラホラ。
そう、本格的な秋なんだワン。

なぜか、葉っぱはどれもボクと同じ色。
仲間のような気がするから、
踏まないように気をつかってしまうやさしいボク。

2017年9月22日

ディオール一色のギャラリー・ラファイエット

ディオール70周年記念を祝う
ギャラリー・ラファイエット。
クリスチャン・ディオールが初のコレクションを発表して、今年は70周年記念の重要な年。

それをお祝いする大規模でしかも感動的な展覧会を、パリ装飾芸術美術館で開催中ですが、連日長い列ができる大人気。
これはどんなに長い間並んでも必見。

デパート内の特設コーナー。
それとは別に老舗のデパート、ギャラリー・ラファイエットでも、70周年記念の華やかな飾りで人々の視線をとらえています。

すべてのウインドウがディオールに捧げられています。
オスマン通りに面したすべてのショーウインドウに、ディオールの製品がずらり。服、バッグ、香水・・・

気品あるミッドナイトブルーと
華やかなゴールドのウインドウ。
代表的な数々の製品が、ディオールが好んでいたミッドナイトブルーを背景に展示されていて、シックで同時にコンテンポラリー。
クリスチャン・ディオールが最初に発表した香水
ミス・ディオール。不朽の香りです。
クリスチャン・ディオールがお守りにしていた星が、どのウインドウにも見られ、彼への素晴らしいオマージュだと感激。

現代女性にふさわしい
動きやすい最新コレクション。
中に入ると特設コーナーがあり、その先のギャラリー・ラファイエットのシンボルのドームに近づくと、ナンと大きな熱気球がある。
それもミッドナイトブルー。

このように、外も中もまるでギャラクシーの世界のよう。
10月10日までなので、早めにいらして下さいね。

2017年9月21日

微笑みを誘う光景

いろいろと思わぬ出来事があるパリ。
そのために、警備の人を大幅に増やして市民やツーリストを守っています。

馬で巡回している姿も時々見かけますが、先日目にした光景が映画のひとこまのようで、思わず立ち止まって見とれました。

微笑みを誘わないではいない光景。
馬で巡回する二人の男性、それをバックに自撮りするマダム、その姿を見てなぜか口を開けて笑っているような馬、そうした近くに鮮やかなカッコいい赤い車が止まっている。周囲は歴史を刻んだ旧建築が取り囲み、足元は石畳。

おしゃれなパリにふさわしい光景。
人生が楽しくなります。

2017年9月20日

メトロの駅名は語る 53

Place d'Italie
プラス・ディタリー(5,6,7号線)

イタリー広場という意味のこの駅名は、ナポレオン3世のイタリア遠征に関係があります。

第二帝政を築いた皇帝ナポレオン3世。
1859年、ナポレオン3世率いるフランス軍が、イタリアを目指して進軍するときに通ったのが、現在のイタリア広場から延びている道路のひとつイタリア大通り。

この戦いで勝利を得たナポレオン3世が、後年に自らこのように命名しました。

大勝利を得たソルフェリーノの戦い。
ナポレオン1世の甥のナポレオン3世は、軍を巧みに指揮し、当時オーストリア支配下にあったイタリア北部のマジェンタとソルフェリーノで激戦を繰り広げます。

この戦いで大勝利を得た皇帝ナポレオン3世の人気は一挙に高まり、フランスは戦勝にわきます。その後ナポレオン3世下の第二帝政は絶頂期を迎え、パリの大改造も行い世界に誇る近代都市になったのです。
ナポレオン3世の父。

ナポレオン1世の弟のルイ・ボナパルト。
兄の功績によりオランダ王になります。
在位は1806年~1810年
ナポレオン3世の母。

ナポレオン1世の妃ジョゼフィーヌが
最初の夫との間に持ったオルタンス・ド・ボーアルネ。

ルイ・ボナパルトと結婚し、二人の間に生まれ3男が
後のナポレオン3世。

パリの南にあるイタリア広場には、日本の建築家丹下健三による「グラン・エクラン」と呼ばれる複合施設があります。

大規模な中華街も近くにあり、まるでパリにいながら中国にいる感じ。
物価が安いので、食料品を毎週買いに行くパリ在住の日本人も多いようです。

2017年9月17日

おすすめレストラン


木の細長いカウンターが圧巻です。
11区の串焼きの専門店、KUSHIKATSU BON。
外から見た限りでは、さほど広いように思えませんが、中に入ると細長い木のカウンターの割烹スタイル。まるで日本にいるよう。その奥にテーブル席もあります。

最初にいただく串焼き。
色合いも素晴らしく、次に出される串焼きに期待感が高まります。
5年前にオープンしたのに、今まで行かなかったことが不思議なくらいステキなインテリアとお味。サーヴィスも満点。

このように一品ずつ運ばれるので、
熱々のうちにいただけるのが最高。
セットメニューで一品ずつ出され、熱いうちに食べられるのがいい。
器も凝っていて、それも楽しみの一つ。おソースは4種類。

気品ある器の中は・・・
おそばです。
エビ、シイタケ、シャトーブリアンのひれ肉、ネギ、ホタテ・・・
食材にこだわりがあり、しかもどれもオリジナリティーがあり、他では味わえないお味です。
お店の名前「凡」が描かれているのです。
アートですね。
Kushikatsu Bon
24 rue Jean Pierre Timbaud
75011 Paris
tel 01 43 38 82 27

2017年9月16日

オリンピック開催 正式決定

2024年の夏季オリンピック開催が正式に決まり、パリは喜びで活気に満ちています。

2024年のオリンピック開催を喜ぶパネルが、
随所に見られるパリです。
前回の夏季オリンピック開催は100年前の1924年だったから、感激もひとしお。
市内のバスはロゴマークのある旗をなびかせて走っているし、歩道の随所にも大きなパネル。

マクロン大統領は、前大統領オランドや、その前のサルコジ、そのほか政界、スポーツ界の主だった人々400人を官邸に招待して、この喜びを分かち合ったほど、フランスは一世紀ぶりの夏季オリンピック開催に沸いています。

2017年9月15日

ピエール・ベルジェをしのぶ会

20世紀、21世紀の実業界、文芸界、モード界で名を成していたピエール・ベルジェを失ったのは大きな損失で、今でも大きな話題になっています。

新聞も雑誌も大特集を企画し、彼の生涯、業績を称えています。

ベルジェが好きだったバラが飾られていました。
壁も窓もアールデコ。
先日、ベルジェをしのぶ会が、彼が所有しているレストランで行われました。
友人、近親者のみということで、人数が限られてましたが、大変光栄なことにお声がかかり、黒いサンローランの服で出席させていただきました。

レストランは凱旋門近くのキャヴィア、魚介類で有名なプルニエ。ベルジェ存命中に何回か美味を楽しんだことがありますが、素晴らしいのはインテリア。

階段も建築当時のアールデコ。
二階に個室があり、
そこでの落ち着いた会食が思い出されます。
アールデコ全盛時代のオリジナルの装飾がそのまま残っていて、さすが本物趣向のベルジェだと感激したものです。

装飾はまったく変わらず、その中にベルジェのモノクロの写真が飾られ、その周囲で懐かしい人ばかりで語りあう会でした。

文学者、政治家、アーティスト・・・
フランソワ・オランド前大統領もいらしていて、ベルジェの偉大さを再認識しました。

2017年9月13日

パリの犬たち 141

最近人の顔を忘れるようになったみたい。

あっ、この人どこかで見たことある。
だけど、誰だったかな?
う~ん、思い出せない。
あの人でもないし、この人でもない。
顔の向きを変えても思い出せない。
ちょっと心配になってきた。
こういうのって、もしかして、アルツハイマーの始まり?
まさか、ボクはまだ若いんだワン。

2017年9月12日

秋の始まり 公園の4つの光景

夏の暑さが懐かしいほど、気温が低いパリ。
風邪などひきたくない私は、ウールのジャケットを着込んでいます。

公園に行く他の人の服装もすっかり秋らしい。
枯れ葉、マロニエの実、見慣れたとはいえ季節感があっていい。

たくさんある椅子やベンチに腰掛ける人も、夏に比べるとぐっと少ない。
カラスやカモの鳴き声が同じで、なぜかホッとします。

公園で気に入って撮った秋の光景の写真4枚。
9月のパリの雰囲気をどうぞ。
落ち葉で遊ぶ少女。
絵を描く若者たち。
椅子を占領して得意顔のカラス。
マロニエに実がいっぱい。

2017年9月11日

ゼラニュームがいっぱい

9月も半ば近くになって、もう秋の気配。
気温が急に下がり、プラタナスの葉が落ちて路上のカーペットと化しています。マロニエの葉も色が変わってきていて、こうなると枯れ葉になるのも時間の問題。
ウエストミンスター・ホテル
そうした中で変わらないキレイな色合いを見せているのが、ゼラニューム。
ホテルや宝石店の窓辺に咲き誇っているゼラニュームは、寒さにも強く、誰にも好かれる華やぎがあるお花。

カルティエ本店。
色が豊富だけれど、なぜか、赤が多い。
我が家の小さなバルコニーに咲いているのは、ピンクと赤のゼラニューム。
特別に栄養などあげていないのに、毎年、見事に開花。太陽とお水があるだけでいいみたい。

プラザ・アテネ・ホテル。
手間がかからないから好かれるのかも。

これが我がバルコニーのいとしいゼラニューム。
長生きしてネ。

2017年9月8日

ピエール・ベルジェ 86歳の偉大な生涯を閉じる

偉大な実業家であリメセナのピエール・ベルジェが、9月8日、86歳の人生を終えました。

イヴ・サンローランを公私に渡り支えた人であり、
ミッテラン大統領の親友であり、
エイズ撲滅運動に大きな貢献をし、
「ル・モンド」紙共同経営者であり、
京都にあるフランスアーティストのための「ヴィラ九条山」の修復に多大な寄付をした稀有な人。

このほかにも書ききれないほど、文芸のために尽くしたピエール・ベルジェ。

ピエール・ベルジェの事務所で。
光栄なことにご一緒の写真は何枚もありますが、
アンディ・ウォーホル作のイヴ・サンローラン肖像画の前での
このツーショットが一番好きです。
彼がイヴ・サンローラン亡き後書いた、感動的な本「イヴへの手紙」。
その翻訳を頼まれたのは大変光栄なことでした。

日本語のタイトルは「イヴ・サンローランへの手紙」。中央公論新社から発行されたときには、大変喜んでいただき、ベルジェが日本人にお会いになるときには、この本を贈呈して下さっていました。

様々なイヴェントに必ずご招待して下さり、なぜ私が、と恐縮したこともあります。
パリの自宅でのディナー、ガーデンパーティ、南仏の別荘、マラケッシュの別荘など、素晴らしい経験をさせていただき、計り知れないほど感謝しています。

毎年、クリスマスに白い胡蝶蘭をプレゼントして下さり、きれいな花がある幸せな日々を送らせて下さった、デリケートな精神を持つ寛大なピエール・ベルジェ。
日本が大好きで、昨年のバースディを京都でお祝いするために飛行機に乗られたほど。
それが最後のバースディになりました。

フランスを離れ、イヴ・サンローランが葬られているマラケッシュの別荘で、永遠の眠りにつかれるのでしょう。

安らかに永眠されるようお祈りいたします。