2017年9月6日

メトロの駅名は語る 52

Gare d'Austerlitz
ガール・ドステルリッツ(5,10号線)

オステルリッツ駅という意味です。

当初はオルレアン駅と呼ばれ、その後オルレアン=オステルリッツ駅に変更され、現在のオステルリッツ駅になったのは1985年。

ナポレオンが戦史に残る大勝利を得た
オステルリッツの戦い。

この駅がある界隈はオステルリッツと呼ばれていて、現在もセーヌ川沿いにオステルリッツ河岸があります。

 ナポレオンが戦史に残る華々しい勝利を得たオステルリッツの戦い」(日本ではアウステルリッツの戦い)記念してこのように名付けられたのです。

無敵のフランス軍に敗北を認めるオーストリア軍。
現在チェコ領になっているオステルリッツでのロシア・オーストリアに対する戦いは、1805年12月2日に始まります。その日は、ナポレオンの戴冠式からちょうど一年目の記念すべき日でした。

芸術的とさえ語られた無比の優れた戦略により、ナポレオン率いるフランス軍は圧倒的強さを見せ、大敗したオーストリア皇帝フランツ1世は、兼任していた神聖ローマ帝国皇帝の地位を退きます。

それによって10世紀から続いていた神聖ローマ帝国が崩壊。フランツ1世はオーストリアのみの皇帝になった重要な戦いです。
戦勝記念にナポレオンの命令で建築された、
カルーゼルの凱旋門

大勝利を得たナポレオンはその記念にヴァンドーム広場に青銅の円柱を、そしてルーヴル美術館近くにカルーゼルの凱旋門を建てさせます。

敵の大砲を溶かして造ったヴァンドーム広場の円柱。
頂上に君臨するのはナポレオン。
ナポレオンがもっとも華々しい勝利をおさめた戦地オステルリッツは、このように駅名となってパリの日常生活の中でも親しまれています。 

オステルリッツ駅は国鉄駅とも連結されていて、フランス南西への長距離列車の発着場として利用者が多い駅です。