2018年1月10日

メトロの駅名は語る 69

Daumesnil
ドメニル(6号線)

ナポレオンの時代と王政復古の時代に功績を成した英雄の名を語る駅名。
ピエール・ドメニル(1776-1832)

17歳で軍人になったドメニルは、ナポレオン・ボナパルト将軍に認められ、イタリア遠征にも参加します。エジプト遠征ではボナパルトを二度にわたって危機から救い、高く評価され、ボナパルトがフランスに秘かに戻る決心をした際に同行させます。

その後、ボナパルトがクーデターを起こして第一執政(第一統領)になった後も腹心の部下となり、勝利を重ねたすべての戦いに参戦。

ウィーン近郊のワグラムでの戦い。
1809年7月5日~6日までの対オストリア戦いで、
フランスは大勝利を得ます。
ナポレオンが皇帝になっていた1809年、オーストリ軍相手のワグラムの戦いで、フランスは大勝利を得ますが、ドメニルは負傷し脚を切断する運命に陥り、それ以来義足をつけます。

同盟軍にヴァンセンヌ城を
引き渡すことを拒否する将軍ドメニル男爵。
1812年、かつての国王居城で後年に軍用品工場になっていたヴァンセンヌ城の指揮官になり、1814年、対仏同盟軍がパリを襲撃しヴァンセンヌ城占拠に向かうと、ドメニルは勇敢に立ち向かいます。

「私の脚を返したときに、ヴァンセンヌ城を引き渡す」
これが、多勢のオーストリア、プロシア、ロシアの同盟軍に向かって放った言葉でした。

勇気のかたまりのようなドメニルでしたが、病には勝てず、長年暮らしていたヴァンセンヌ城でコレラで世を去ります。