ビュゼンヴァル(9号線)
パリ郊外の戦地の名です。
プロセインとフランス間の普仏戦争の最中に、パリ西郊外のビュゼンヴァルで戦闘が繰り広げられたのは1870年10月21日、ナポレオン3世の第二帝政時代でした。プロセインによるドイツ統一を阻止するために、ナポレオン3世が挑んだ戦いですが、結果的にフランスは敗北し皇帝は捕虜になりますが、脱出しロンドンに亡命し第二帝政が崩れた戦いです。
1870年10月21日、ビュゼンヴァル城の門を守るために、 死闘を続けるフランス兵。 |
ビュゼンヴァル城。 |
第二帝政が終わり第三共和制になっても普仏戦争は続いていて、1871年1月19日、再びビュゼンヴァルが戦地になり、強力な敵の攻撃に耐えきれず敗北を認めます。1871年5月10日フランクフルトで講和条約に調印がなされ、フランスは正式にプロセインに降伏したのです。
ビュゼンヴァル城は9世紀にカロリング朝の国王シャルル2世によって造られ、その後貴族から貴族に売却され、その度に増築、改築がなされました。19世紀の城主キャドル公爵は子孫に恵まれず、自分たち亡きあとは人々の役に立つ施設にしてほしいと遺言を残し、現在は学生寮になっています。
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