2019年4月16日

ノートル・ダム大聖堂 火災で尖塔と屋根を失う


4月15日夜8時。ニュースを見るためにテレビをつけると、ジャーナリストの後ろの画面に、真っ赤な炎を空に向けて勢いよく放っているノートル・ダム大聖堂の映像が映っていました。あまりの衝撃にそのときから3時間、テレビの前から動くことなく実況中継に釘づけ。

この日は、昨年11月から続いているジレ・ジョンヌの要求と、全国各地を回りながら一般国民との大討論会を終え、マクロン大統領が新たな政策をテレビで発表することになっていたのです。どのような改革をするのか興味津々だったので、早めにテレビを付けたら火に包まれるノートル・ダム大聖堂火災の特番に変更されていたのです。マクロン大統領は予定のテレビ演説をせず、一大事とばかりに急遽、首相らを伴って燃え盛る大聖堂へと向かい、腕組みしながら厳しい表情で消火の様子を見ていました。

火災が発生したのは夕方6時50分ころで、正確な原因はまだ判明していませんが、修復工事中だったのでそのあたりの可能性が強いそうです。

大聖堂の界隈は当然のことながら黒山の人だかり。中にはニュースで火災を知り急いで来た人も多くいたようです。尖塔が炎に包まれながら二つに折れ、屋根の上に崩れたときには悲鳴があがり、泣き出す人もいたし、ロザリオを握りしめる女性もいました。あまりの出来事に誰もが声を失い、ただ茫然と見つめるばかり。その内、讃美歌が聞こえてきました。その清らかな歌声は徐々に広がり合唱となり、心を慰めている感動的な場面もテレビで放送していました。

1163年に建築が開始され、革命で破損した部分があるとはいえ、第二次世界大戦を生き抜いたノートル・ダム大聖堂は、パリ市民の、というよりフランス国民の心の支えなのです。尖塔と屋根は燃えてしまいましたが、二つの塔、きめ細やかな彫刻をほどこした正面、ゴシック建築の象徴の美しい飛び控は無事のようで心からよかったと思っています。

そして何よりも、大聖堂の宝物庫に保管している「茨の冠」が最初に運び出されたと知って安堵しました。キリストがゴルゴダの丘で命を終えたときに被せられていた「茨の冠」です。この聖遺物が宝物庫から出され身廊で拝観できると知った時、長い行列を作って間近に見たことがあります。思ったより小さかったことを覚えています。

マクロン大統領は再建を約束し、すでにフランスの大手企業が多額の寄付を発表しています。今後は個人寄付もあると思うし、聖母マリアさまに捧げる壮麗なノートル・ダム大聖堂再建に、フランス国民が一致団結して取り組むと信じています。非常事態には驚異的速さで団結する国民なのです。