2019年4月24日

ナポレオンの戴冠式

世界中に衝撃を与えたノートル・ダム大聖堂火災。パリ市は市庁舎前広場で、消防士たちとノートル・ダムへのオマージュのセレモニーを行い、アンヴァリッドでは同じ目的のコンサートを開催。テレビでは繰り返し燃える大聖堂の映像を映し、そのたびにノートル・ダムがいかにフランスの歴史上重要であるかと解説。王家の結婚式や洗礼式、元大統領の葬儀も語られましたが、もっとも強調されたのはナポレオンの戴冠式で、ルーヴル美術館に展示してある華麗な絵も、何度もテレビ画面に登場しました。

「ナポレオンの戴冠式」ルーヴル美術館所蔵。

この機会にノートル・ダムでの戴冠式の様子を詳しくお伝えしたいと思い、いろいろ探して見つけた数枚の絵をご紹介します。今でも多くの崇拝者がいる皇帝ナポレオンの人生最良の日です。

ナポレオン到着前の様子。
ノートル・ダムの正面は革命で破損していたので、
それを隠すために、
木造のゴシック様式の入り口を特別に建築させました。

当時暮らしていたチュイルリー宮殿から、
豪華な馬車で華々しく到着したナポレオンとジョゼフィーヌ。

奥に見えるのはホテル・デュー病院で、
今も優秀な医者が揃っていることで有名。

12世紀からの歴史を刻む石造りの冷たさが、
晴れやかなセレモニーにふさわしくないと思ったナポレオンは、
すべての壁をゴールドの縁取りがある深紅の布で包ませます。
武器の刺繍も豊富に施され、軍人ナポレオン色を華麗に表現。

24のシャンデリアの輝きがノートル・ダムの中で交差し、
祭壇近くには儀式が始まる前にナポレオン夫妻が待機する
小玉座も設けられました。

正面の大きな十字架は奇跡的に今回の火災を逃れました。

ローマ教皇から塗油を受けるナポレオンとジョゼフィーヌ。


自分の力で得た皇帝の座であるからと、自分の手で冠を被り、
その後ジョゼフィーヌに冠を被せました。

晴れてフランス皇帝、皇后になったふたりは、
24段の階段をのぼり大玉座に向かいます。

大玉座には8本のギリシャ風柱の凱旋門が設けられ、
紋章の鷲がその上に君臨。
フランス王家と区別をつけたかった、
軍人ナポレオン色が随所に見られます。



この日招待されたのは約2万人。
5時間にも及ぶセレモニーが終わり「皇帝バンザイ」の声が一斉に舞い上がり、
この日からノートル・ダムはフランス国民と共に新たな時代を歩むのです。

1804 年12月2日、ノートル・ダム大聖堂で戴冠式を行ったナポレオンは若干35歳。そこに至るまでも、それ以降も、フランスの歴史に強烈な痕跡を残したナポレオンは唯一無二の人物。自身が語っていたように、彼の人生は小説のようでした。それだから今でも多くの人の人々の心を捉えないではいないのでしょう。