2019年5月13日

メトロの駅名は語る 123

Emile Zola 
エミール・ゾラ(10号線)

19世紀を代表する著名な作家名の駅です。

エミール・ゾラ(1840-1902)
事実を観察し真実を追求をする自然主義文学の代表的作家エミール・ゾラは、日本を含め多くの作家に影響を与えています。
両親と一人っ子の5歳のゾラ。

パリで生まれ、その後技師の父親の仕事のために南仏エクス・アン・プロヴァンスで少年時代を送ったゾラは、7歳のときに父を亡くしそれ以後経済的な苦労に悩まされた人です。その後母とパリに暮らすようになりますが、バカロレアに2度も失敗し無職の日々を送っていましたが、22歳のときに出版社アシェット創立者と出会い、書店で仕事をするうちに書くことに情熱を抱くようになりました。

ゾラのライフワークと言えるのは「ルーゴン・マッカール叢書」。1869年から書き始め1893年に完成した20巻の大作で、ナポレオン3世の第二帝政時代におけるルーゴン・マッカール家を中心とし、様々な階級の様々な仕事に携わる人々の人生を通して、当時の社会情勢を描いています。

それぞれにタイトルがありますが、中でも有名なのは「ジェルミナール」「ナナ」「居酒屋」「大地」。1886年に発表した「制作」は、子供の頃から親しかった画家セザンヌがモデルになっているとされ、失敗した画家が自殺する内容だったために、それが原因で二人の仲は最悪の状態になったのでした。

ゾラが購入したメダンの館。
ここで主に執筆をしていました。

多くのオブジェに囲まれながら
メダンの家の書斎で仕事をする1887年のゾラ。

成功を続けていたゾラは38歳のときにメダンに家を買い、コレクションで飾り立てていました。冬はパリやエクス・アン・プロヴァンスで暮らしていましたが、それは借りていただけで、自分のはメダンの館だけで増築しながら主にそこで執筆していたのです。1984年からゾラのミュージアムになっています。

ゾラの妻アレクサンドリンヌ。
ゾラと愛人ジャンヌ。
二人の間に生まれた娘ドニーズと息子ジャック。

ゾラはアレクサンドリンヌと結婚していましたが、子供には恵まれませんでした。けれども妻がメダンの館で雇った若い使用人ジャンヌに一目ぼれし、秘かに愛人にし住まいを借り、ゾラはこっそり通い続け二人の子供まで儲けます。当初は秘密を守っていたものの、匿名の手紙で夫とジャンヌの事を知ったアレクサンドリンヌは、一時期離婚を考えます。けれども最終的に彼女は夫の子供を引き取り、ゾラの名を継がせることにします。

ゾラを語るうえで欠かせないのはドレフュス事件です。1894年、フランス陸軍参謀本部に務めていたユダヤ人のドレフュス大尉が、きちんとした証拠なしでドイツへのスパイ行為を働いたという嫌疑をかけられ、無実を強く訴えていたにもかかわらず裁判で終身刑を言い渡され、南米の島に流刑されます。

裁判を受けるドレフュス。


ゾラが「オーロール」誌に投稿した、
大統領宛ての手紙。

この冤罪に抑えきれない怒りを覚えたゾラは1898年、「オーロール」誌の一面で当時のフォール大統領に宛てて公に『私は弾劾する』と告発。そのために名誉棄損で訴えられ、有罪となり逮捕されることを懸念したゾラはイギリスに亡命します。

一年後には帰国し、ドレフュス事件の再審があり最終的に無罪となります。ゾラの執筆は続き大作「四福音書」を出版。62歳で一酸化炭素中毒で不慮の死を遂げ、1908年にパンテオン入りします。一説ではゾラがユダヤ人のドレフュスを庇護したために、それに怒りを覚えた人が煙突を封鎖したためだとされていますが、真相は分かりません。夫と一緒にいた妻は生き延びました。