セギュール(10号線)
フランスの軍人フィリップ・アンリ・ド・セギュール侯爵の名を冠する駅名。
フィリップ・アンリ・ド・セギュール侯爵 (1724-1801) |
オルレアン公フィリップ2世の庶子の母と、 その孫。 |
父は有能な軍人セギュール公爵で、母はオルレアン公フィリップ2世の庶子でした。オルレアン公フィリップ2世は偉大な太陽王ルイ14世の弟オルレアン公フィリップ1世の子供で、ルイ15世が5歳で王の座に就いたときから摂政を務め、国王が13歳で成人になった1723年に摂政から宰相になっています。
父と母の間に4人の子供が生まれましたが、男児はフィリップ・アンリだけ。そのために父の期待が大きく、厳しい訓練を受け父が望むような立派な軍人になったのです。18歳でオーストリア継承戦争(1740-1748)に参戦し、戦争終結の前年に片腕を失う重傷を負います。7年戦争(1756ー1763)では捕虜になりますが、後に釈放され、その後も目立った活躍をしルイ16世の時代に軍事大臣になります。
ブルボン家の血をひく貴族だったために革命で捕らわれ、ラ・フォルス監獄に投獄されますが、運よく処刑を免れ革命後自由の身になりました。けれども全ての財産を没収され貧乏な生活を強いられます。
そうしたセギュール侯爵を救ったのは第一統領だったナポレオン・ボナパルトで、1800年から年金を支給され以前の裕福な生活を取り戻します。けれども残念なことに、その翌年の10月3日、77歳の生涯をとじます。
長男セギュール伯爵ルイ・フィリップ。 |
次男セギュール子爵 ジョゼフ・アレクサンドル・ピエール。 |
妻ルイーズ・アンヌ・ド・ヴェルノンとの間に二人の息子を持ち、それぞれセギュールを名乗ります。長男のセギュール伯爵ルイ・フィリップは軍人であり政治家であり、外交官、詩人、作家など幅広い活躍をします。弟セギュール子爵ジョゼフ・アレクサンドル・ピエールも軍人であり詩人でした。二人とも子孫に恵まれセギュールの名は継承されていきました。
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