2020年2月24日

メトロの駅名は語る 146

Assemblé Nationale
アサンブレ・ナショナル(12号線)

アサンブレ・ナショナルは下院にあたる国民議会のことで、上院にあたるのは元老院。このようにフランスの国会は国民議会と元老院で形成されていますが、優先権があるのは国民議会で元老院は諮問機関。

国民議会(アサンブレ・ナショナル)は1789年6月17日、フランス革命の時代に生まれました。第三身分と屈辱的に呼ばれていた議員たちが結束して作った議会です。

国民議会が置かれるようになったブルボン宮殿。

フランス的だと思うのは「アサンブレ・ナショナル」という代わりに、ブルボン宮殿という意味の「パレ・ブルボン」と呼ぶこと。これはアサンブレ・ナショナルがブルボン家の公爵夫人が住んでいた館だったため。フランス人は「肥満王」とか「禿頭王」「端麗王」などと国王にあだ名をつけるのが好きだし、外務省を「ケードルセイ」と住所で呼んだり、大統領を「エリゼ宮の借家人」などと呼んだりする機知に富んだ国民です。

ブルボン宮殿(パレ・ブルボン)を建築させた
ブルボン公爵夫人(1673-1743)
ブルボン公爵夫人が暮らしていた時代の館。

パレ・ブルボンはルイーズ=フランソワーズ・ド・ブルボン公爵夫人が暮らしていた館だったので、このように呼ばれているのです。ブルボン公爵夫人は国王ルイ14世と愛妾モンテスパン夫人との間に庶子として生まれました。1720年、公爵夫人はセーヌ川に面した左岸に土地を購入。1722年から1794年にかけて館を建築させ、そこに現在国民議会が置かれています。

左上がブルボン宮殿で、
その右隣りが公爵夫人の愛人ラッセイ侯爵の館。

公爵夫人はブルボン家に継いで高位の貴族コンデ公と結婚し9人の子供に恵まれますが、ラッセイ侯爵を長年にわたって愛人としていて、セーヌ河畔のパレ・ブルボンのすぐ隣の土地を愛人ラッセイ侯爵に贈与。そこにラッセイ侯爵が館を建築させ、今は国民議会議長の官邸です。

大規模な工事が行われ議員席が生まれました。

公爵夫人亡き後館をルイ15世が購入し、その後コンデ公が所有者となり、革命までその子孫が持ち主になっていました。けれども1791年、革命で没収され国が所有者となり監獄になっていた時代もありました。1795年、総裁政府時代に五百人会と呼ばれていた下院がパレ・ブルボンに置かれることになり、それ以後ずっと下院にあたる国民議会の議事堂になっています。

国民議会が置かれているとはいえ、
旧貴族館の面影も所々に残っています。
1892年に開催されたグラン・サロンでの華やかなソワレ。

この建物はセーヌ川側から見ると、ギリシャ神殿のようなコリント様式の列柱が並び、整然とした美しさと威厳がありますが、もともとはヴェルサイユ宮殿庭園内にあるグラン・トリアノンにインスパイアされた瀟洒な建造物でした。グラン・トリアノンはルイ14世が建築させた離宮で、庶子として生まれたブルボン公爵夫人も度々訪れ、気に入っていたようでパリの自分の館に外観の一部を取り入れさせたのでした。

2020年2月20日

ぬいぐるみのクマさんの役割

ヴァレンタインデーの「ル・フィガロ」紙がピンク色で驚いたばかりなのに、今日またびっくり。ルーヴル美術館近くのレストランの窓際のテーブルに、大きなクマさんのぬいぐるみたちが集まって楽しそうにしているのです。テーブル上には食器やグラスがきれいに並べられ、お料理が運ばれてくるのを待ちながら談笑しているみたい。

楽したげなクマさんたち。仲間入りしたい。

これは、不機嫌な顔で歩くパリの人に微笑みを浮かばせたい、とゴブラン通りの書店主が考えたこと。彼は自費でいくつものクマのぬいぐるみを買い、それを近くの商店に配ったのです。大きなクマさんたちはまたたく間に評判を呼び、住民たちに笑顔が生まれ、ゴブラン通りがある5区から13区のカフェやレストラン、薬局などの人気者になり、寒い日にはセーターやコートを着ることさえあるそう。

それが今では他の区にも影響を与え、ルーヴル美術館がある1区にも登場するようになったのです。クマさんぬいぐるみは人間の大きさほどあるので、思わず話しかけたいほどの親しみを感じます。街に和やかさが広がって素晴らしい。

2020年2月18日

パリの犬たち 222

ドッグシッターとの楽しいお出かけ。

仲良しのお友達と今日も楽しいお散歩。
ドッグシッターさんは礼儀も教えるから、
ケンカもしないお利口さんばかりのボクたち。
「さ、準備ができたから出発だよ」
シッターさんの言葉に「ウン」とうなずくボクたち。

チビちゃんたちはビニール張りの車の中。
大きいボクたちは後ろに整列して進むんだ。
寒い冬が終わったみたいで快適な気候だワン💖

2020年2月15日

ヴァレンタインデーのサプライズ

思いもよらないことにびっくりしました。
「ル・フィガロ」のページがピンクだったのです。しかも政治の紙面も、経済、社会、アートもすべてのページがピンク。

最初、ピンクのページは何かのパブリシティーで、その後ろは通常の白い紙だと思ったら、とんでもない。めくってもめくってもピンク。それでやっと気がついたのです。2月14日、愛の日だからピンクなのだ、と。

それにしても何というアイディア。さすがアムールの国。いろいろな問題、不安、不満を抱えている今、ピンクの「ル・フィガロ」はそうしたことを一瞬忘れさせるのに十分。このようにちょっとしたことにも、人生を飾ろうというフランス人特有のセンシビリティーが感じられて、日常が豊かになります。

2020年2月14日

コンテンポラリー家具の魅力

19世紀のパリ大改造で、日照、防災、美観などを保つために建物の高さ制限が設けられ、ほとんどに石灰石が使用されているので、パリのどの建造物も似通って見えます。それだから整然とした美しい街並みが保たれているのです。

そうした街に住むパリジャン、パリジェンヌは、自分ならではの個性をアパルトマンの中に発揮します。服装以上にインテリアに凝るのは、すでに知られていること。フランス人の友人のアパルトマンに行って、もっとも興味深いのは空間の演出。そこにその人の感性、育ち、時には知性もうかがうことができるから。

インテリアに長けているパリジャンの中で、才能を高く評価されているのはエルヴェ・ヴァン・デル・ストラッテン。私がパリに暮らすようになって最初に親しくなった人です。当初は小物のデザインだけでしたが、見る見るうちに家具、ミラー、シャンデリア、ライトニングなど幅を広げ、今では顧客が世界中いるほどの才能豊かなマルチデザイナー。大理石、ブロンズ、銅、クリスタル、金箔などを使用することが多いのですが、18世紀の日本や中国の漆器を組み合わせた家具をクリエイトしたこともあります。

常に新しい試みをするエルヴェは、ロンドン、ヴェニス、ニューヨーク、ジュネーヴ、サンモリッツ、ブリュッセルなどで定期的に個展を開催していますが、久しぶりにパリの自分のギャラリーで展覧会。ご両親とも親しく久しぶりにお元気な姿を見て心が和みました。いくつかの代表作をご紹介します。

エルヴェならではの独創的なシャンデリア。
ギャラリーはマレ地区にあり450m²
アトリエはパリの東で1000m²
何もかも大掛かり。
今回の作品の中で私が一番気に入ったカラフルなコンソール。
大胆で独創的な規制にとらわれない作品ばかり。
エルヴェが得意とするミラーもご覧の通り。
コンテンポラリーでピュアで、品格もあります。

ヴェルニサージュの日に大勢の招待客が来ていて、
中にはその場でオーダーしている人もいました。

エルヴェとお母さま。
とてもお洒落でいつもお会いするのが楽しみです。
左手の竹のようなフロア・ランプに日本らしさが感じられます。
私が付けているネックレスもエルヴェの作品。
何年も前のエルヴェ作のミラー。
ギリシャ神話からインスパイアされた作品だそうです。
我が家の廊下の突き当りの壁を飾っています。

2020年2月10日

メトロの駅名は語る 145

Trinité
トリニテ(12号線)

サント・トリニテ教会からこの駅名が生まれました。

「トリニテ」は三位一体という意味で、「父」「子」「精霊」が一体であるというキリスト教の教えです。唯一の神が3つの位格で現わされているが、実際にはそれが一体だという意味です。父は神で、子はイエス・キリストであることは簡単に分かりますが、聖霊は説明がとても難しい。いろいろ調べてもっとも分かりやすいと思ったのは、神の力という説明。つまり、いつどこにいようと伝わってくる神のエネルギーです。絵画ではハトで表現されることが多いようです。

15世紀のヴァン・アイクの作品。

ラテン・エルサレム総司教大聖堂に描かれた絵。
当初サント・トリニテ教会はクリシー通りにありましたが、それを現在の位置に変えたのはナポレオン3世の時代のセーヌ県知事、オスマン男爵でした。パリ大改造のために多くの老朽化した建造物が取り壊されたり、移動させられたりしていた時代です。

19世紀半ばに完成したサント・トリニテ教会。

小さい広場が前にするサント・トリニテ教会は1861年に建築開始され、1867年に完成。正面はイタリア・ルネサンスからインスパイアされた豪華な装飾が施され、三位一体を表す彫刻もあります。

2020年2月8日

ヴァレンタインデー

もうじきヴァレンタインデーの2月14日。日本ではなぜかチョコレートを贈る日になっていますが、パリではこの日に男性が女性に香水やブーケをプレゼントしたり、レストランで食事をする人が多い。パリで女性から男性にプレゼントをしたら、「これは一体何の意味?」と疑惑を招きそう。ヴァレンタインデーは男性が女性を改めておもてなしする日なのです。日本では若い人の日で、パリはどちらかというと大人が愛を確かめ合う日といった感じがします。

でも観光地のチョコレート店のウィンドーには、赤やピンクのバラやハートの贈答用チョコが並び、幸せな香りが路上にまで漂っているみたい。これはどちらかというとツーリスト向け。もしかしたら日本の影響かも。いずれにしてもラヴリーなウィンドーは目の保養になるので、いくつかご紹介します。

ハートが飛び交っていて、たくさんの幸せをもらえそう。
気品ある色合いが心地よい。

たくさんのハートの詰め合わせもステキだけれど、
手前の二つだけのチョコレートになぜか惹かれます。
ひときわ大きなハートに導かれ、近づくと・・・・
品格あるパステルピンクと鮮やかな深紅の、
アーティスティックなスイーツに心が乱されます。

アーティフィシャルフラワーとはいえ、やはり花飾りは華やか。

2020年2月7日

春を迎える準備

今年は暖冬で雪が充分なく、スキー場によってはスキー以外の楽しみを提供するそう。南仏は大雨による洪水で多くの家屋が水浸し。異常気象がいたるところで起きていますが、パリは春がすぐそこに近づいているように暖かい。公園では春を迎える準備の最中で心があたたまる光景を見受けます。

苗や種を広範囲にわたって植えていますが、
鳥たちに荒らされないように網をかけて守っています。
どんなお花が咲くかと楽しみ。

噴水も水を抜いてお掃除。以外と浅いのです。
驚いたのは底がコンクリートではなく、石畳が敷かれていること。
見えないおしゃれにパリジャンの感性が感じられます。

落ち葉をお掃除した後が、まるで京都のお寺の庭園のよう。
人が歩いたら消えてしまう、つかの間の日本庭園。
太陽を浴びて憩う極上のひととき。
読書したり、お昼寝したり。
皆、思い思いに自分の時間を有効に使っています。
ショーウィンドウの幻想的な春の光景が道行く人の視線をとらえます。

2020年2月5日

メトロの駅名は語る 144

Notre Dame de Lorette
ノートルダム・ド・ロレット(12号線)

ノートルダム・ド・ロレット教会のすぐ近くにある駅です。

この教会がある地には17世紀に建築されたチャペルがありました。けれども革命後の1796年に取り壊され、その近くにロレットの聖母マリアにちなむ教会を建てることになったのです。革命で処刑されたルイ16世の弟プロヴァンス伯が王政復古で王座につき、ルイ18世を名乗った1823年に建築が開始され、完成したのは1836年、オルレアン家のルイ・フィリップ国王の時代でした。

1871年のノートルダム・ド・ロレット教会。

当時はネオクラシックがもてはやされていて、ノートルダム・ド・ロレット教会もその様式で建築され、コリント様式の重厚な柱が並び一件ギリシャ神殿のように見えます。正面上部に「信仰」「希望」「慈愛」を表現する3つの寓意彫像があり、内部はパリでもっともカラフルな教会と言われるだけあって、華やか。特に天井に施されたブルーを豊富に使用した十字架模様が圧巻です。


イタリアのロレットにある
サントゥアリオ・デッラ・サンタ・カーザ。

聖母マリアが受胎告知を受けた場面を描いた
15世紀のフラ・アンジェリコの名画。

教会の名前はイタリアのロレット(ロレート)にあるサントゥアリオ・デッラ・サンタ・カーザに由来します。伝説によると、聖母マリアが受胎告知を受けたナザレの家を、13世紀に天使たちがロレットに運び、15世紀半ばから16世後半にかけてバシリカが建築されました。以後、カトリック教徒の重要な巡礼地となっています。パリのノートルダム・ド・ロレット教会は、このバシリカからインスパイアを受けていて外観が類似しています。

手前ののノートルダム・ド・ロレット教会が、
モンマルトルのサクレクールを
支えているように見えます。

かつてこの界隈に暮らす文芸人が多くいて、作曲家ジョルジュ・ビゼ、画家クロード・モネが洗礼を受けたのはこの教会でした。

2020年2月4日

パリの犬たち 221

石畳の上を歩くのはくたびれる。

これがパリの有名な石畳なのね。
とっても歩きにくいワン。

ママンはピンヒールでスイスイ歩く。
でも、ワタシはもう歩くのイヤッ!!
ひよわなワタシはモフモフのカーペットがいいの。
固く冷たい石畳なんかキライ。
ダッコ、ダッコとせがんだら、ご覧の通り。
これでゴキゲン。