2018年11月18日

メトロの駅名は語る 106

Ranelagh
ラヌラック(9号線)

この駅名は近くにあるラヌラック公園にちなんでいます。

16区の住民の憩いの場、ラヌラック公園。

イギリス、アイルランドの貴族であり政治家のラヌラック郷の名を冠しているこの公園は、自然をこよなく愛したラヌラック郷のロンドンの邸宅の庭園が発想原です。

ラヌラック郷 (1641-1712)

ラヌラック郷は人生を横臥した人で、2度結婚し6人の子供に恵まれました。建築に大きな興味を抱いていた彼は、パリのアンヴァリッドを模倣した、負傷兵収容のチェルシー病院がロンドンに建築された際、大々的な資金援助を行い、管理職にもついていました。

パリのアンヴァリッドを模倣したロンドンのチェルシー病院。
その右がラヌラック郷が暮らしていた館。

館の広大な庭園は現在公園になっていて、フラワー・ショーが開催されます。

その隣に自分の家ラヌラック・ハウスを設け広大な庭園も生まれました。現在は館は姿を消しましたが庭園が残っていて、チェルシー病院所属の公園となっています。

ラヌラック郷はまた、ウインザー城があるバークシャーにラヌラック・スクールも創設しています。この地方でもっとも古い歴史を誇る名門校です。

2018年11月16日

パリで体感する日本の美

「ジャポニズム 2018」で日本ム―ドが漂うパリで、日本の美とおもてなしを誇るホテル雅叙園東京が11月15日、忘れえぬイヴェントを行いました。

今年創業90周年を迎える老舗ならではの日本風おもてなしが、いかなるものかを実際に体感していただきたいというのが、このイヴェントの趣旨。

その会場に選ばれたのは、旧貴族館がもっとも多く集まっているパリ7区。近くに首相官邸、イタリア大使館、ロダン美術館などがある超一等地の建物です。18世紀に建築された当時の重厚な門が深く印象に残ります。

料理長の包丁さばきに感嘆するフランス人たち。
四季を表現する繊細なお料理は、優れたアート。
後方の組子の衝立が雅の世界へ招きます。
卓越した絵画のような洗練を極めたお吸い物。
高尚感が体の隅々まで届きます。

料理長による魚の芸術的なカット、出汁の取り方などが目のまえで繰り広げられ、改めて唯一無二の日本人の精神が込められた和食の価値が伝わります。

木寺駐仏日本大使ご夫妻。
大使がご自分でクリエイトした組子細工。お見事。

会場のいたるところに組子細工の衝立があり、日本情緒が漂っています。細かくカットしたヒノキを釘を使わないで組み立てる工芸品は、日本ならでは。

「ジャポニズム 2018」で頻繁にお会いする高田賢三さんと。


18世紀の建物の中はコンテンポラリーなインテリア。
新旧の融合に違和感を感じないのが不思議。
ピアノの演奏がアンビアンスを盛り上げます。
暗くなっても去りがたく、会場の外でも談笑が続きます。

こうした中で味わうにぎり寿司、お吸い物も極上のお味。「和敬清心」で名を成しているホテル雅叙園東京は、他で味わえない格式ある接待をします。それをパリで体感できるのはこの上ない贅沢。しかもたった一夜だけというのですから、記憶の奥深くに残る思い出となります。

2018年11月12日

メトロの駅名は語る 105

Jasmin
ジャスマン(9号線)

フランス南部にある町アジャンで,仕立て屋の息子として生まれたジャスマンは当初、へアースタイリストになるつもりで見習いを始めました。けれども、時とともに歴史や文学、特に詩への関心が高まり、1822年、発表した作品が評判を呼び、それ以降立て続けに本が出版されます。

ジャスマン(1798-1864)
本名はジャック・ボエ

ロワール川以南で中世に使用されていたオック語に愛着を抱き、その言葉で著作していました。旅をしながら自ら朗読する形を取り、自分の名とオック語を広めていきます。

オック語が話されていたフランス南部地方が、王国フランスに合併したのは13世紀。オック語はフランス語でラングドック。南にあるこの地方は現在ワインで有名です。

2018年11月8日

天皇誕生日祝賀レセプション

天皇のお誕生日をお祝いするレセプションが11月7日、今年もパリ中心にある在仏日本大使公邸で行われました。

木寺昌人駐仏大使のご挨拶。
流暢なフランス語に皆、感服。

日仏の国歌が響きます。

アカペラで歌う両国の国歌の後、木寺昌人大使のフランス語でのご挨拶。日仏の様々な面での重要なつながり、友好、フランス各地で開催されている「ジャポニスム 2018」など、いつもの通りユーモアを交えての演説に大拍手。その後天皇陛下の長寿、健康をお祝いする乾杯の声が一斉に上がり、大使公邸に華やぎが広がりました。

木寺昌人大使、高田賢三さんとの会話がはずみます。

久しぶりにお会いする旧知の友人とひとときを過ごすのは、ほんとうに楽しい。


公邸のお庭に大きなテントを張って、
その中にいくつものテーブルが設置されています。

お寿司、牛丼、海老天ソバ、焼うどん・・・
種類豊富な日本酒、ワイン。


食後のお抹茶サーヴィスが日本への思いを深めます。

今回で平成天皇のお誕生祝賀は最後になるので、感慨もひとしおです。いつもは洋服で出席していますが、今年は特別の年ですのでお着物にしました。

2018年11月7日

ビートルズのマネ?

ある晴れた日、公園をお散歩していたら、4羽のカモが一列に並んで道路を横切っているのが見えました。

カモの行進。

あれ、これってどこかで見たような光景・・・
すぐに思い出しました、ビートルズの4人が横断歩道を横切っているあの光景。それとまったくと同じではないですか。偶然とはいえ驚きです。


2018年11月4日

皇妃ジョゼフィーヌの息子の旧邸宅訪問

ナポレオン皇帝の妃ジョゼフィーヌは浪費家として知られていますが、彼女は身に付ける物以上に、室内装飾に多くのお金をかけていました。

そうした彼女がことのほか関心を抱いたのが、息子ウジェーヌ・ド・ボアルネが買ったセーヌ川近くの18世紀の貴族館。ジョゼフィーヌは彼女特有のセンスを発揮し、息子の館の装飾に熱中します。

ウジェーヌはジョゼフィーヌの最初の夫アレクサンドル・ド・ボアルネ子爵との間に生まれた長男で、頭脳明晰で軍人の勇気と指導力を持つ好青年。義父ナポレオンから副ローマ王の地位を授けられます。

ウジェーヌ・ド・ボアルネ (1781-1824)

母ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ (1763-1814)
ナポレオン・ボナパルトと再婚し、後に皇妃になります。

父アレクサンドル・ド・ボアルネ子爵 (1760-1794)
革命が終わる数日前に処刑。

ウジェーヌが購入し暮していた館は、第二次世界大戦後にドイツに寄贈され、現在駐仏ドイツ大使公邸になっています。数年前にも訪問しましたが、今回はリニューアルが完全に終わり、ジョゼフィーヌの卓越した感性を至る所で味わうことができました。

ウジェーヌ・ド・ボアルネの館。現在はドイツ大使公邸。

典型的な18世紀の貴族館。
エントランスのエジプト装飾が、ナポレオン時代の威勢を示しています。

ナポレオン史学会が主催したこの特別訪問は、ドイツ大使夫人のご挨拶で始まり、解説員の詳しい説明つき。各部屋には著名な家具師による歴史的に重要な椅子やソファがありまます。通常、このような重要な家具は触れてはいけないのに、「どうぞ、お掛けください」などと言われ、おずおずと腰かけて説明に聞き入りました。

広々としたホール、マホガニーの光沢が重厚な美しさを見せる図書室、ウジェーヌ愛読の無数の蔵書、シャンデリアと金箔で絢爛豪華なサロン、優美な装飾の音楽の間、落ち着いたトーンのベッドルーム、造花に囲まれたユートピアのようなバスルームなど、どの部屋も洗練の極みが漂っていて、圧倒的な美を築いた第一帝政様式に心を奪われました。

ウジェーヌの妃はバイエルン王女で、ふたりは睦まじく7人の子供に恵まれます。中でも、美貌の誉れ高い長女ジョゼフィーヌはスウェーデン・ノルウェー王国のオスカー王子に嫁ぎ、後年王妃となり、その子孫が現在のスウェーデン国王です。


ウジェーヌの妃、
オーギュスタ=アメリー・ド・バヴィエール (1788-1851)

長女ジョゼフィーヌ (1807-1876)
現在のスウェーデン国王の先祖。
このような歴史上重要な人が足跡を残したかと思うと、階段ひとつにしても貴重に感じられます。パリに現存する第一帝政時代のもっとも美しい館と絶賛されている館です。

2018年11月1日

メトロの駅名は語る 104

Michel-Ange・Auteuil
ミケランジュ・オトゥイユ(9、10号線)

ミケランジュは「メトロの駅名は語る103」と同じイタリア・ルネッサンス期の巨匠ミケランジェロのこと。オトゥイユはかつてこの界隈にあった村の名前。

600年ころに生まれたオトゥイユは緑豊かな落ち着いた村で、後年には多くの著名人、特に作家が暮らすようになりました。

そうした中に日本人にも馴染みあるルイ14世の時代の寵児、劇作家モリエールや、ナポレオンの時世の政治家であり作家のシャトーブリアン、19世紀のロマン派詩人で作家のヴィクトル・ユゴーもいました。1860年、村はパリに属するようになったのです。

テーブルを挟んで語り合うルイ14世(左)とモリエール(右)。

政治家であり作家のシャトーブリアン。
若き日のヴィクトル・ユゴー。

オトゥイユ教会が最初に建築されたのは11世紀。その後増築、改築が繰り返され19世紀に現在見られる教会になりました。

ローマ・ビザンチン様式のオトゥイユ教会。

オトゥイユの名はブローニュに森の中にある競馬場にも残っています。この地がかつてオトゥイユ村だったからです。競馬場は1873年に完成し今でも人気を呼んでいます。

賑わいを見せるオトゥイユ競馬場。
障害競走の最高の競馬場とされています。
このようにオトゥイユの名は道路名も含めて随所にみられますが、かつて存在していた村の名であったことはほとんど知られていません。ブログで触れる機会があってよかったと思っています。