2016年4月28日

春を迎える準備

4月ももうじき終わりだというのに、ダウンコートが必要なほど寒いパリ。
でも、キレイなお花があちらこちらで咲き始め、
気持ちがいい季節が遠くないことを知らせています。
公園や街中の池も、それに合わせて大掃除。
春よ来い、早く来い・・・・♪ ♪  懐かしい童謡を歌いたくなります。



2016年4月25日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 80 最終回

革命の嵐の中を彷徨ったルイ16世とマリー・アントワネットは、
今、サン・ドニ教会で静かな眠りについています。
彼らを妨げる人は、もう、誰もいません。
世界に先駆けて革命を起こしたフランス。
その犠牲になった国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットは、年月が経っても、多くの人々の心から消えることはありません。
特に マリー・アントワネットは、勇気と実行力を備えた現代的な女性のように思え、私にとってとても魅力的な女性です。

調べるに連れて彼女への関心は高まる一方で、そうしている間に、貴重な資料を目にする機会に恵まれ、ブログでマリー・アントワネットの生涯を辿ってみたいと思ったのです。


長い間ご愛読ありがとうございました。
たくさんの絵を皆様に紹介することが出来て、充実した気持ちです。このブログが王妃の生涯を知る上でお役に立てたら嬉しいです。
ヴェルサイユ宮殿で幸せな日々を送っていた国王と王妃。

2016年4月24日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 79

サン・ドニ教会に向うルイ16世とマリー・アントワネット。
ルイ16世とマリー・アントワネットが処刑された22年後の1815年1月18日朝8時。王政復古で王座に就いたルイ18世が派遣した代表団が、以前、マドレーヌ墓地だったデクロゾーの庭に向います。代表団には、アンリ・ダンブレイ大法官、ブラカ国務大臣のほか、医者、司祭などがいました。

その日、まず、王妃の遺骨発掘を行ないました。
緊張した視線を走らせる代表団が見守る中で、発掘が始まり、30センチほどの厚い生石灰の床に、木の破片が散らかっているのが見つかりました。続いて女性の骨の断片が見えてきました。頭はほぼ完璧な状態で見つかり、首が切られた跡も確認できました。

服の断片と2つの靴下止めも見つかりました。その靴下止めは王妃が捕われの身だったときに自ら作ったものでした。そこで見つかったすべてを、用意しておいた仮の棺に丁寧に保管します。

壮麗な葬儀行進
翌日朝、国王の遺骨を発掘します。
根気よく深く土を 彫り続けていると、男性の遺骨が見えてきました。両脚の間に頭をはさんでいたことから、ルイ16世の遺骨だと直ちに確認されました。このように埋葬されたのは、国王だけだったのです。
遺骨はすぐに確認できましたが、服は一切見つかりませんでした。遺体に大量の生石灰をまいたために、溶けてしまったと解釈されています。

王妃と同じように国王も仮の棺に保管され、お二人の棺はデクロゾーの館のサロンに安置されます。その後、複数の神父による長い祈りが始まりました。

1月20日、ルイ16世とマリー・アントワネットは、ルイ18世の依頼で運ばれてきた鉛の棺に移されます。棺はそれぞれ黒一色の布で包まれました。
フランス王家の墓、サン・ドニ教会。


1月21日、くしくも22年前の国王処刑の日、ルイ16世とマリー・アントワネットがサン・ドニ教会に向う葬儀行進が行なわれました。朝、デクロゾー家を離れたおふたりの棺は葬儀馬車に乗せられ、近衛兵、衛兵、憲兵、騎兵隊などに見守られながらサン・ドニ教会へと向かいました。その沿道には、おびただしい数の群集が詰め掛けていました。娘のアングレーム公爵夫人は姿を見せませんでしたが、オルレアン公爵夫妻、ベリー公、コンデ公、ブルボン公爵など、高位の貴族が多数参列しました。

 黒い布で包まれ、無数の蝋燭が灯されたサン・ドニ教会に到着すると、近衛兵がふたつの棺をおろし、内陣に用意された台の上に置き、ミサが始まりました。それは偉大なブルボン王朝の人にふさわしい、厳粛で格式高い立派なミサでした。

2016年4月21日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 78

マドレーヌ墓地の国王、王妃が葬られていた地を、
王党派のデクロゾーが見守り続けていました。
気高さを保ったまま処刑された王妃は、近くにあったマドレーヌ墓地に葬られました。そこでは、同じ年の1月21日に処刑されたルイ16世が待っていました。

このマドレーヌ共同墓地には、処刑された貴族や国王の元愛妾、さらに、多数の王侯貴族を処刑に追いやった革命家さえも葬られていました。当時は身分の差などなかったのです。

デクロゾーによって
2本の柳と、そのほかの木々が植えられました。
1796年、パリ市内の全ての墓地を閉鎖することになります。それに伴いマドレーヌ墓地は売りに出され、それを知り買い手としていち早く名乗り出たのは、元大法官デクロゾーでした。

彼は熱烈な王党派で、国王、王妃が葬られた墓地の世話を自らしたかったのです。
その近くの屋敷に暮していたデクロゾーは、二人の埋葬を秘かに見ていて、どこに葬られたか知っていました。

旧マドレーヌ墓地を買い取った彼は、自分の庭になるとすぐに、国王と王妃が葬られていた場所に2本の柳と数本の木を植え、懇切丁寧に手入れをしていました。

そこに葬られていた他の人々の遺骨の多くは、後年にカタコンブへと移されました。

革命の混乱の中からナポレオンが日の出の勢いで昇進し、皇帝になりますが、1814年、失脚しエルバ島に流刑されます。

その間にルイ16世の弟プロヴァンス伯が、王政復古で王座に就きルイ18世を名乗ります。彼は亡き兄とその妃マリー・アントワネットが葬られていた地に、ふたりに捧げる贖罪礼拝堂の建築を命じます。礼拝堂の祭壇は、ルイ16世の遺体が発見された場所に設けられ、現在もそのまま残っています。
左右対称のクラシックな贖罪礼拝堂

2016年4月20日

芝生は友達

今日は快晴。
青い空の下、芝生に入ってサッカーを楽しんだり、
お昼寝をしたり、自転車と一緒にひっくり返ったり・・・
パリでは、芝生と人が仲良しなのです。
自由を満喫するパリっ子たち。幸せそう!!


マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 77

ルイ・シャルル王子の愛犬、ココ。
マリー・テレーズ王女と共に
タンプル塔から自由の世界へと向います。
ココをかわいがっていた王子。
マリー・テレーズがタンプル塔を去った日、
人懐っこそうな犬も自由の身になったのでした。
ココと呼ばれるそのエスパニエル犬は、
ルイ・シャルル王子が特別にかわいがっていた犬でした。

白と褐色に黒い点が所々についているココは、格別にかわいらしい顔ではなかったけれど、温厚で、純情で、ルイ・シャルルはまるで弟のように大切にしていたのです。

マリー・テレーズが釈放されるときに、ぜひココを連れて行きたいと彼女は頼みます。
「弟がとてもかわいがっていましたから」

その弟も、母も、叔母も、皆、世を去ってしまったことを王女が知ったのは、タンプル塔から出て行けることが分かったときでした。
父とフランスのために
祈りを捧げる王子。
それまで彼女は、皆、バラバラになったとはいえ、生きていると信じていたのでした。

マリー・テレーズが家族のように思っていたココは、彼女の行く先々に同行します。
ナポレオンが戦いに敗れ、皇帝の座を失い流刑された1814年、ルイ16世の弟プロヴァンス伯が、フランスに戻り王政復古が行なわれ、ルイ18世を名乗ります。マリー・テレーズも夫とココと共に戻ります。けれども、すでに老犬になっていたココは、その年に世を去ります。22歳でした。

革命を生きたココの生涯もまた、波乱に富んだものだったのです。
そのココは今、パリのセーヌ川近くに建築された、由緒ある貴族の邸宅の庭園で永遠の眠りについています。そこには、ココのための立派な記念碑もあります。

2016年4月19日

パリの犬たち 76

がっかり・・・
パパとお散歩していたら、カフェにいたお友だちが
「まあ、カワイイ」って呼び止めたの。
大好きなシュガーをくれるのかと思ったら、なでなでだけ。
すご~くがっかりしたボク。分かってくれる?