2010年10月16日

マリー・アントワネットの命日

マリー・アントワネット
10月16日はマリー・アントワネットが処刑された日。
何故かこの日はどうしても気になって仕方がない日。

マリー・アントワネットが37歳で処刑された後に葬られたのは、
当時パリ中心にあったマドレーヌ墓地。
しかも、名のない共同墓地。
この共同墓地には、革命家のダントンやロベスピエール、デムーランなども葬られているし、
ルイ15世の愛妾デュ・バリ-夫人もいる。共同墓地なので無名の人も多い。革命とはそういうものなのですね。

そこに、後に「贖罪礼拝堂」が作られ、ルイ16世とマリー・アントワネットの立派な像もあります。

贖罪礼拝堂
その礼拝堂の中に入ると、ひんやりした空気が執拗に体にからみつき、 思わず身ぶるいほど。何となく、マリー・アントワネットの恨みが感じられる。別に私が悪いのではないのに、罪悪感を感じるのです。
マリー・アントワネットに捧げる
記念碑。台座に遺言が刻まれている。

細い階段をおりた地下には、棺の形の記念碑。ルイ16世の遺骨が見つかった場所に、その記念碑が作られたとのこと。ルイ16世とその妃マリー・アントワネットの遺体発掘が行われることになったのは、王政復古で王座についたルイ18世の時代の1815年1月。 
  

ルイ18世は処刑されたルイ16世の弟で、外国に亡命していたために難を逃れた幸運の人、というか、ずるい人。国民にはまったく人気がなかったし、実力もまったくなかった。

発掘を強く希望したのは亡き国王夫妻の唯一の生き残りの王女、マリー・テレーズ。いとこと結婚し、アングレーム公爵夫人となった人。

遺体発掘が行われることになったものの、何しろ二人が処刑されたのは22年も前のこと。
その確認は難しいとされていました。しかもそのときにはすでに墓地ではなくなり、
個人所有の土地になっていたのです。

ところが運のいいことに、その土地を買ったのは、その近くに住んでいた司法官で、熱烈な王党派。彼は国王夫妻が葬られた場所を正確に記録していて、旧墓地を購入した後に、二人の遺体がある場所を、糸杉やしだれ柳で囲っていたのです。

ルイ16世の遺骨が発見された場所に
設置された棺の形の記念碑
マリー・アントワネットは処刑の日につけていた靴下止めとか靴下のお陰で、そして、ルイ16世は両足の間に頭を挟んでいたことで、それぞれ確認され、王家のお墓となっているパリの北郊外にあるサン・ドニ教会に、手厚く葬られます。

今でも毎年のように本が出ているほど、関心を引いているマリー・アントワネット。それほど強いオーラのある人なのですね。

私も彼女に関する二冊の本を書いたけれど、まだまだ書き足りないような感じ。なぜだろう、とすごく不思議です。私の著書、「マリー・アントワネットとフェルセン、真実の恋」ぜひ読んで下さいね。