マリー・アントワネット |
何故かこの日はどうしても気になって仕方がない日。
マリー・アントワネットが37歳で処刑された後に葬られたのは、
当時パリ中心にあったマドレーヌ墓地。
しかも、名のない共同墓地。
この共同墓地には、革命家のダントンやロベスピエール、デムーランなども葬られているし、
ルイ15世の愛妾デュ・バリ-夫人もいる。共同墓地なので無名の人も多い。革命とはそういうものなのですね。
そこに、後に「贖罪礼拝堂」が作られ、ルイ16世とマリー・アントワネットの立派な像もあります。
贖罪礼拝堂 |
マリー・アントワネットに捧げる 記念碑。台座に遺言が刻まれている。 |
細い階段をおりた地下には、棺の形の記念碑。ルイ16世の遺骨が見つかった場所に、その記念碑が作られたとのこと。ルイ16世とその妃マリー・アントワネットの遺体発掘が行われることになったのは、王政復古で王座についたルイ18世の時代の1815年1月。
ルイ18世は処刑されたルイ16世の弟で、外国に亡命していたために難を逃れた幸運の人、というか、ずるい人。国民にはまったく人気がなかったし、実力もまったくなかった。
発掘を強く希望したのは亡き国王夫妻の唯一の生き残りの王女、マリー・テレーズ。いとこと結婚し、アングレーム公爵夫人となった人。
遺体発掘が行われることになったものの、何しろ二人が処刑されたのは22年も前のこと。
その確認は難しいとされていました。しかもそのときにはすでに墓地ではなくなり、
個人所有の土地になっていたのです。
ところが運のいいことに、その土地を買ったのは、その近くに住んでいた司法官で、熱烈な王党派。彼は国王夫妻が葬られた場所を正確に記録していて、旧墓地を購入した後に、二人の遺体がある場所を、糸杉やしだれ柳で囲っていたのです。
ルイ16世の遺骨が発見された場所に 設置された棺の形の記念碑 |
今でも毎年のように本が出ているほど、関心を引いているマリー・アントワネット。それほど強いオーラのある人なのですね。
私も彼女に関する二冊の本を書いたけれど、まだまだ書き足りないような感じ。なぜだろう、とすごく不思議です。私の著書、「マリー・アントワネットとフェルセン、真実の恋」ぜひ読んで下さいね。