2012年3月22日

ナポレオンが最後の戦地ワーテルローに忘れた品々

1812年、ロシア遠征失敗後
退却するナポレオン
1812年のロシア遠征の大敗から3年後の1815年6月12日、ナポレオンは意気揚々としてベルギーに向かって行きました。イギリス軍、プロシア軍との決戦のためです。

ロシアとの戦いを失ったナポレオンは、皇帝を退位しエルバ島に流刑されたのですが、そこから奇跡的に脱出し、再び皇帝の座についていたのです。さすが不可能を可能にするナポレオン。

ところがそれを知ったヨーロッパ諸国は、今度こそ徹底的にナポレオンを葬ろうと、対ナポレオン同盟を組みベルギーに集まって行きました。すでに軍を派遣したイギリスとプロシアに、やがてロシアとオーストリアが合流する。そうなったらナポレオン自慢の大軍も打つ手はない。

ナポレオンはイギリスとプロシアだけがベルギーにいる間に、素早く敵の軍力を弱める戦略をたてます。ところが46歳にになっていたナポレオンは肥満で動きが鈍っていた上に、以前のような気鋭の人ではなくなっていたのです。

いくつもの致命的な失敗で、6月18日、ワーテルローでイギリス軍とプロシア軍にはさみ撃ちされ、敗北。
パリに急ぎ戻ろうとしたナポレオンでしたが、馬車では思うように速度が出ない。そのために馬に乗りかえパリに帰還。
けれどもあまりにも急いでいたために、馬車に多くの愛用品を残してしまう。
馬車はもちろんのこと、帽子や衣類、剣、宝飾品、食器が
置き去りにされたのです。

こうした品を敵軍が奪いあったのは当然。
様々な人の手にわたったナポレオンの愛用品の多くは、その後ロシアに集まりモスクワの博物館に保管。
一方、豪華な馬車はプロシア軍総督ブリュッハーの夫人が使用していましたが、その後子孫がフランスに戻し、今はナポレオンの別邸マルメゾン所属になっています。

ナポレオン最後の戦闘
ワーテルローの戦い
今年はナポレオンロシア遠征200年記念の年です。
そのためにロシアがフランスに貸してくれたナポレオンにちなむ貴重な品々。もちろん後に返却する条件つき。
それに他の博物館所蔵の戦場のナポレオンが使用していた品を加え、今パリのレジョンドヌール博物館で展示中。

ナポレオンがワーテルローで使用していた帽子、置き忘れた馬車、日常の必需品、シルバーの食器、剣、数多い勲章など、どれも戦地におけるナポレオンの身近な貴重な物ばかり。特に馬車が驚くほど大きく、圧倒されます。
歯の手入れ用具も見もの。
ナポレオンは人一倍身だしなみに心を配っていた人なのです。

こうした品々を目の前にすると、ナポレオンがさほど遠くない時代の人であったような錯覚におちいり、感激もひとしおです。

7月8日までパリの勲章博物館に展示。
Musée de la Légion d'honneur
Parvis du Musée d'Orsay
月、火休み
無料

2012年3月19日

特別招待国は日本 書籍見本市

書籍見本市の日本ブース

2012年の
ヨロッパ最大規模の書籍見本市の特別招待国は日本。
東日本大震災一周年ということでこうした配慮があったようです。

広大な会場の奥まったところの
500平方メートルは日本一色で、
連日大賑わい。

連日大人気の日本のブース

フランス語に訳された多くの小説、歴史、エッセイ、詩、俳句などのほか、日本料理やいけ花の本も目立つし、マンガも気が遠くなるほど多く、子供も大人も興奮状態
時代を象徴するDVD,CDもあり、いたれりつくせり。

その上休憩所には畳が敷かれているし、
花もあちらこちらに。
これこそ日本人ならではの
おもてなしの精神です。

 東日本大震災の惨事、特に住民たちの絶望に打ちひしがれた姿、不幸にもかかわらず笑顔を見せる子供たちの姿、
あるいは、
復興に希望を抱こうと励む人々の姿などの写真が
壁に飾られているのは感動的でした。
休憩所には畳が敷かれ
壁には東日本大震災の写真

フランス人が熱心に一枚一枚見ていて、心にジ~ンときました。

 今回の日本の招待作家は20人。
著書がフランス語に訳されている作家もいらっしゃるし、これからという人もいます。小説、俳句、漫画と分野もそれぞれ。
下記がその方々。

大江健三郎、江國香織、鎌田慧、
加藤久仁生、古川日出男、五味太郎、
平野啓一郎、堀江敏幸、
角田光代、駒形克己、黛まどか、島田雅彦、
辻仁成、多和田葉子、綿矢りさ、吉松剛三、
ヤマザキマリ、萩尾望都、関口涼子、西村琢。

小松一郎大使ご夫妻
こうしたそうそうたる作家を歓迎して、3月18日夕刻に大使公邸でレセプションがおこなわれました。

小松一郎駐仏大使の日仏によるご挨拶に始まり、招待作家代表として大江健三郎さんご自身による日本語とフランス語のご挨拶に終わり、その後シャンパンと日本酒で乾杯し和食のビュッフェ。
この日仏の飲み物文化も好評でした。
今まで書物でしか知らなかった方々と言葉を交わすことができ感激もひとしお。すでに読んだ作品を再読したくなりました。


ノーベル文学賞に輝く大江健三郎さん

フランス人の書籍関係の方々も多数招待されていて、作家と語り合い記念撮影して、喜びで顔を紅潮。

日本の書物がこれほどフランス人に愛されているのかと実感した、記念すべき夕べでした。

2012年3月15日

OECD日本大使公邸でのディナー

建築当時の邸宅
パリ西近郊ヌイイにあるOECD日本大使公邸は、広々とした庭園とピュアな様式の建物の調和が見事で、多くの建築家の称賛の的になっています。

もともとは、フランス人実業家ジャン・ポール・ランビオットの邸宅として建築されたそうです。建築開始は1931年。そのために、直線を貴重とするピュアなアールデコの特徴が見られるのでしょう。

この建造物は1984年に歴史建造物として指定されたほど貴重。それを日本政府が購入したのは2000年のこと。それ以前からOECD日本大使公邸とされていたそうです。


なぜか
女性は民族衣装が多かったのです。
こうした背景を知るのは非常に興味あることです。
そのすべてを教えてくださったのは、吉川元偉OECD日本大使。

その吉川大使からご招待を受けてディナーに出席して、驚いたことには、服装の指示が特別にあったわけでもないのに、民族衣装の女性が多かったのです。

中国服、サリー、着物。
国籍が一目瞭然の伝統的な装いが今でも残っているのは貴重です。当然、食卓の話題にも民族衣装が登場。

好評にこたえて
女性だけでまたカメラの前に。
考えてみると不思議です。
現在でも愛用されている民族衣装の国はアジアに多いのです。一体なぜでしょう。次回までに調べないと、と一大決心をしました。

フランスにも、ドイツにも、イタリアにもアメリカにも国を代表する服装はない。
何故でしょう。これも考えてみないと。

いろいろと実り多く楽しいディナーでした。

2012年3月13日

ユネスコ本部のメモリアル・コンサート

3月11日早朝にトロカデロ広場で日本に向って黙祷し花束をささげた同じ日の15時から、ユネスコ本部でコンサートが開かれました。

ユネスコ本部での
メモリアル・コンサート
コンサートは日本を代表する指揮者佐渡祐さんのイニシアティヴでおこなわれ、
演奏者、選曲ともに高度なもの。

まず、東日本大震災の多くの犠牲者のためにバッハの「G線上のアリア」が演奏され、その後全員起立して黙祷をささげました。
日本人とフランス人でほぼ満席の会場では、美しい音色に涙を流す人が多く非常に印象的でした。

世界の国旗が並ぶユネスコ本部
演奏は、一周年のために日本からパリに来た、小学生から高校生までの青少年で編成されたスーパー・キッズ・オーケストラ。若い年齢にもかかわらず、その確かな技量は大喝采を受けました。

彼らによる数曲の演奏に続いて、辻井伸行さんのピアノ演奏。全盲の彼を佐渡さんがしっかりと手を握りながら
ピアノまで導く姿もまた、感動的でした。さまざまな賞を獲得した実力派の辻井さんは、ピアノを演奏することがいかに大きな喜びであるか、身体中で示しながら会場を魅了。

佐渡祐さん表紙のプログラム
その後、日仏の演奏家編成のオーケストラに変わり、辻井さんと同じように多くの賞に輝く周防亮介さんの卓越したヴァイオリン演奏。この日のためにパリにいらした被災者の言葉も、スクリーンに映された被災地の子供たちの未来への抱負も、胸に響きました。

最後に舞台と会場が一体となって「ふるさと」を歌いメモリアル・コンサートが終了しました。この素晴らしい企画はきっといつまでも心に残ることでしょう。

ふるさと。
それは、一箇所にかぎることではないのです。
特に祖国から離れている日本人にとっては、生まれた町、あるいは育った町がふるさとであり、同時に、日本すべてが、あるいは日本に住む日本人がふるさとなのです。
いつまでもなつかしく、いかなるときにも心から離れることのないふるさとなのです。

2012年3月11日

トロカデロで黙祷と献花

早朝のトロカデロ広場を
飾るブーケ
3月11日。朝6時。

エッフェル塔が足元から見えるトロカデロ広場に多くの日本人、そして日本を思うフランス人が、早朝で、しかも寒さが厳しい中であるにもかかわらず、多数集合。

小松一郎駐仏日本大使ご夫妻、
吉川元偉OECD日本大使ご夫妻、
正木靖公使ご夫妻、
志水史雄参事官ご夫妻をはじめとし、
パリ副市長クリストフ・ジラール、
歌手ジェーン・バーキン、本企業代表、
在仏日本人など1500人が集まったのです。

在仏日本人代表、高田賢三さんが
感動的な言葉を述べました。
在仏日本人代表、高田賢三さんが東日本を襲った大震災の犠牲者にたいする心あたたまるメッセージを述べ、多くの人を感動の渦に包みました。

6時46分。
地震発生の時間に、エッフェル塔の左にあたる日本に向かって一分間の黙祷をささげ、
その後大使が白を基調とした美しいブーケをささげ、
続いて賢三さん、そのほかの方々が献花。

トロカデロ広場はこのようにしてお花でうずまり、
そこを訪れるツーリストも、それを目にして今日がいかなる日であるか、
再認識することでしょう。

ノートルダムで追悼ミサ


最大なミサが行われた
ノートルダム大聖堂
大使公邸でのセレモニーに引き続き、3月9日にノートルダム大聖堂で盛大なミサがおこなわれました。

夕刻5時45分に始まったミサは、災害にあわれた日本人と、この日集まった日仏の皆様が理解できるように、フランス語と日本語でおこなわれるという
真心がこもったものでした。

司教のお言葉、聖歌隊の美しい賛美の歌、そして祭壇のもとに集まった多くのフランス人と在仏日本人が、再び日本のために一致団結してお祈りを捧げ、一日も早い復興を願いました。

佐渡裕さんと
スーパーキッドオーケストラ
その後、佐渡裕さん率いるスーパーキッドオーケストラによる素晴らしい演奏がありました。バッハ、チャイコフスキーなどの曲のほか、日本の芥川也寸志さん、いずみたくさん作曲の演奏もあり、その卓越した演奏の反響は遠い日本にまで届くほど強く、感動を新たにしました。

このように東日本大震災は、フランスで様々な形で語り続けられています。
日本はひとりでない。フランスは常に近くにいるのです。手を伸ばせば届くところに。

2012年3月10日

東日本大震災 一周年記念

小松一郎駐仏日本大使
東日本を襲った大震災から
早くも一年が経過しました。

災害直後で事情がはっきりせず、
どれほどの危険が待ち構えているか
想像もつかなかったにもかかわらず、
日本に最初に救助隊を送ったのは、
フランスでした。

外国の国家元首で最初に日本を訪れたのも、
フランス大統領でした。

このように、
日本への関心が非常に高いフランスでは、
数日前から一周年記念の報道が後をたちません。

テレビも雑誌も新聞もそれぞれ特別報道をし、
日本のその後の様子を詳しく伝えています。

ベルトラン・ドラノエパリ市長
そうした最中の3月8日、在仏日本大使公邸でセレモニーが行われました。
日本、フランス、EUの旗が
整然と並ぶ中で、
出席者が一分間の黙祷をささげ、
災害の犠牲者の方々への想いを新たにし、
その後、小松一郎駐仏日本大使のご挨拶がありました。

小松大使の明確で知性あふれるフランス語でのお言葉に続き、フランス国会議長、パリ市長がそれぞれ日本人の勇気と賢明さをたたえるお言葉を述べました。
それが、表面的なことでなく、
心底からであることがひしひしと伝わってくる
あたたかみのある語り方でした。

ロラン・ファビウス前フランス首相
その後は日仏の出席者の間で、
長い間さまざまな会話が交わされましたが、
もっとも感動したのは、
災害発生後直ちに被災地に行った消防隊員が招待されていたこと。
何て素晴らしい感謝の表し方でしょう。

壁にはフランスの子供たちから日本への励ましの絵や言葉が飾られ、
東北地方特産のお酒の紹介もあり、
日本とフランスが距離的には離れていても、
しっかりとした心の絆があることが伝わってきました。

最初に被災地入りした消防隊の方々
フランス人もフランスに暮らす日本人も、日本のことを常に心にとめています。

これからも一緒にがんばりましょう。

フランスの子供たちから
日本へのエール

2012年3月9日

ルイ・ヴィトン回顧展



招待客を迎える社長の
イヴ・カルセル
ナポレオン三世が統治していた第二帝政時代から、
高度なクオリティで世界に名を成している旅行鞄を起源とする老舗ルイ・ヴィトン。

実用性とエレガンスの融合で人々を魅了し、その飛躍は休むことなく続き、世の中の動きがどうであろうと常に憧憬の的。

時代と需要の変化に伴い
様々な形や色彩のカバンが生まれ、
数年前には日本の代表的現代アーティスト村上隆さんのデザインによって新風が吹き込まれ、画期的な発展を遂げたルイ・ヴィトン。
間もなく草間彌生さんのデザインも登場する予定。

ファッションとアート関係に人を迎えるのに
ふさわしい演出はパリならでは。
このように、
思いがけないアイデイアで活性化を続けているルイ・ヴィトンは、
ファッションの世界にも進出し、今では確実な地位を築いています。
そのアート・ディレクターはアメリカ人のマーク・ジェイコブス。
今回の展覧会はメゾンに欠かせない存在のふたりの男性に捧げられたもの。
ひとりは創立者ルイ・ヴィトン。
もうひとりはマーク・ジェイコブス。

展覧会会場はふたつの階に分かれていて、
階下はルイ・ヴィトン以来の鞄の歴史を辿る貴重なアーカイヴを中心とし、
階上はマーク・ジェイコブスによるコレクションの歴史。
彼による今までのショーの映像を、
まるで万華鏡をのぞくようにして見ることができる意表をついた演出。

オリジナリティあふれる展示方法は、さすがパリ。いろいろと学ぶことが多く、楽しさもいっぱいの貴重な展覧会です。

ルイ・ヴィトン展 
107 rue de Rivoli
75001 Paris

 9月16日まで

2012年3月8日

歌舞伎衣装展

目が眩むほど豪華な衣装
日本の文化、歴史に造詣が深い実業家ピエール・ベルジェは、数年前から日本の着物に関する展覧会開催を計画。それが歌舞伎衣装展という形で実現しました。

展示会場は旧イヴ・サンローラン本社で、現在のピエール・ベルジェ イヴ・サンローラン財団。数多い演目の中から選ばれたのは29点。その展示の仕方が、日本ではとても想像不可能な、規制に捕われない画期的なもの。これによって歌舞伎衣装の異なった見方ができます。

木曽功ユネスコ日本大使と
衣装のほか、江戸時代の歌舞伎座や舞台裏の役者の様子、著名な俳優の肖像画などのにしき絵も数多く展示。刀、下駄、日傘、扇などもある
豊かさあふれる内容です。
その上、大画面で歌舞伎の映像も絶え間なく流れていて、訪問者をごく自然に歌舞伎の世界に導きます。

さすが、本物趣向のベルジェならではの才知が感じられる貴重な展覧会。

歌舞伎の衣装は役者の肌といわれているそうです。
正木公使夫人聖美さんと
そうした衣装には語りがあり、見ているだけで非常に興味深いものです。

歌舞伎の公演は何度か見たことがあるけれど、これほど近くで衣装が見られるのは大変貴重と、フランスでは大評判。専門家の講演も数度計画されている、文化度の高い歌舞伎衣装展。

ベルジェとは親しくさせていただいているので、私は二日続けてじっくりと拝見し、彼に感謝の言葉をかけました。
ベルジェが着物が好きなのを知っているので、二度着替えるという努力もしました。

長年の希望が実現し、ベルジェもとても幸せそう。
これほどの高度な展覧会は、やはり彼のような理解者ならではの、
必見の展覧会です。

歌舞伎衣装展
Fondation Pierre Bergé  Yves Saint Laurent
5 Avenue Marceau
75016 Paris

7月15日まで

2012年3月4日

シャトレのつぶやき 52 パンテールとワタシの関係


ママンの態度が急変したのよ

カルティエのパンテールを主人公にした映像を見てから、
ママンのワタシに対する態度が
急にかわったの。

「君はほんとうに小さい」
「なさけないほど弱々しい」
「声にも迫力がない」
「牙らしきものがあるけれど、それだってお米の大きさしかない」
エトセトラ

ナンでも
パンテールもワタシも同じ家族らしいの。
猫科の動物というらしいのネ。

「ホラ見てごらんなさ~い。この写真を」

プティ・ラルースの猫科のページ
そういってママンがプティ・ラルースという辞書を開いて猫科っていうページをワタシの目の前につきだしたの。

どれどれとよく見ると、
そこにはたしかにワタシみたいな動物がいっぱいのっている。
ライオンもいれば、トラ、チーター、ピューマそしてもちろんパンテールもいるではないの。
そのどれもみんな大きくって立派。
それにすご~くこわそう。

そうした荒々しい野生の動物と、
家の中で優雅に暮らすワタシのようなネコが、
なぜ同じ家族か
サッパリわからない。

 と、今、とてもとても複雑な問題をかかえているので~す。

猫科の動物と同じポーズをとってみたの


2012年3月1日

カルティエの冒険物語

おしゃれな招待状
宝飾店の老舗中の老舗カルティエが、
これまでメゾンが手がけてきた象徴的な作品を紹介する映像を制作。
その試写会を2月29日にグランパレで行いました。

カルティエ・ムードは
外観にも克明
カルティエの伝説的な作品は何といってもパンテール。
ディレクターだったジャンヌ・トゥーサンが発案し、
ウインザー公爵夫人はじめ世界のトップレディが愛用していた作品です。

今回制作した映像では、カルティエのヒロインともいえる貴石のパンテールが、突然、本物のパンテールに変わり、カルティエの宝飾品に大きなインスピレーションを与えた国々を旅するというのがテーマ。雪のロシアや中国、インドなどを大冒険するパンテールは雄雄しく、しなやかで、優雅。

その動きを捉えて宝飾としたのは、カルティエならではの画期的アイディア。

その後、画面には往年の飛行機が登場。
ブラジルの飛行家サントス・デュモンの愛用機です。
サントスが操縦するときに懐中時計では不便だと、友人ルイ・カルティエに語り、
彼のために生まれたのが永遠のベストセラー、腕時計サントス。

雪のロシアにいるようなセッテイング前で
プロのカメラマンによる撮影サーヴィスに大喜び。
旅を終えて本店に戻って来たパンテールが、ゆっくりと美女に伴われて階段を上る場面で終了。

このようにさり気なくメゾンの代表作を紹介する内容で、パブリシティ的でないのが魅力。音楽もこの映像のために特別に作曲。
これがまたいいのです。CDにしてもいいくらい。