1812年、ロシア遠征失敗後 退却するナポレオン |
ロシアとの戦いを失ったナポレオンは、皇帝を退位しエルバ島に流刑されたのですが、そこから奇跡的に脱出し、再び皇帝の座についていたのです。さすが不可能を可能にするナポレオン。
ところがそれを知ったヨーロッパ諸国は、今度こそ徹底的にナポレオンを葬ろうと、対ナポレオン同盟を組みベルギーに集まって行きました。すでに軍を派遣したイギリスとプロシアに、やがてロシアとオーストリアが合流する。そうなったらナポレオン自慢の大軍も打つ手はない。
ナポレオンはイギリスとプロシアだけがベルギーにいる間に、素早く敵の軍力を弱める戦略をたてます。ところが46歳にになっていたナポレオンは肥満で動きが鈍っていた上に、以前のような気鋭の人ではなくなっていたのです。
いくつもの致命的な失敗で、6月18日、ワーテルローでイギリス軍とプロシア軍にはさみ撃ちされ、敗北。
パリに急ぎ戻ろうとしたナポレオンでしたが、馬車では思うように速度が出ない。そのために馬に乗りかえパリに帰還。
けれどもあまりにも急いでいたために、馬車に多くの愛用品を残してしまう。
馬車はもちろんのこと、帽子や衣類、剣、宝飾品、食器が
置き去りにされたのです。
こうした品を敵軍が奪いあったのは当然。
様々な人の手にわたったナポレオンの愛用品の多くは、その後ロシアに集まりモスクワの博物館に保管。
一方、豪華な馬車はプロシア軍総督ブリュッハーの夫人が使用していましたが、その後子孫がフランスに戻し、今はナポレオンの別邸マルメゾン所属になっています。
ナポレオン最後の戦闘 ワーテルローの戦い |
そのためにロシアがフランスに貸してくれたナポレオンにちなむ貴重な品々。もちろん後に返却する条件つき。
それに他の博物館所蔵の戦場のナポレオンが使用していた品を加え、今パリのレジョンドヌール博物館で展示中。
ナポレオンがワーテルローで使用していた帽子、置き忘れた馬車、日常の必需品、シルバーの食器、剣、数多い勲章など、どれも戦地におけるナポレオンの身近な貴重な物ばかり。特に馬車が驚くほど大きく、圧倒されます。
歯の手入れ用具も見もの。
ナポレオンは人一倍身だしなみに心を配っていた人なのです。
こうした品々を目の前にすると、ナポレオンがさほど遠くない時代の人であったような錯覚におちいり、感激もひとしおです。
7月8日までパリの勲章博物館に展示。
Musée de la Légion d'honneur
Parvis du Musée d'Orsay
無料