パリ解放に湧くシャンゼリゼ |
第二次世界大戦のさいに、戦いを失ったフランスの大部分はドイツ支配下にありました。
それは、フランス人が今まで味わったことのない屈辱でした。自尊心が強いフランス人がそれに耐えられるわけがない。
そうした中でロンドンに一早く渡り、BBC放送を通してフランス人にレジスタンスを呼びかけたのがシャルル・ドゴール。
彼の呼びかけに愛国心をかきたてられた多くのフランス人が、レジスタンスを結成。
1940年7月23日に ナチス・ドイツ占領下の パリを訪問したヒトラー |
連合軍の大きな援助で、
ノルマンディー地方の町を次々とドイツ支配から解放。
その後パリに進軍し、首都が自由になったのが
1944年8月25日。
今年で70年です。
ドイツ軍がパリから撤退するさいには、パリを爆弾で破壊すべしとの命令が、ヒトラーから司令官フォン・コルティッツに出されていました。
実際に彼の命令のもとに、エッフェル塔や凱旋門、
ルーヴル美術館、橋などに爆弾が仕掛けられました。が、土壇場でフォン・コルティッツが爆破命令を取りやめ、そのためにパリが歴史ある建造物をいまだに保っているのです。
偉大な画家になることを目指したこともあるヒトラーは、パリを訪問したときには、整然とした美しい街並みに非常に感激したと資料が伝えています。
ナポレオンが眠るアンヴァリッドを訪れたときは、帽子を脱いで参拝したばかりでなく、ウィーンに葬られていたナポレオンの息子の遺骸を、父の側に移す命令まで出したヒトラー。それは彼がパリ訪問したのと同じ年の12月15日に実現。ヒトラーはナポレオンを崇拝していたようです。
そうしたヒトラーが何ゆえにパリ爆発を命じたのか、説は千差万別ですが、司令官の賢明で勇敢な判断のお陰で、パリが世界でもっとも美しい都市の景観を保っていることは幸いです。
来年はスランス全土に平和が戻った終戦70周年の年。すでに準備に入っているフランス。期待に心が騒ぎます。