法廷で凜とした姿勢を崩さない王妃。 |
この日、コンシエルジュリーに隣接する革命裁判所に立たされたマリー・アントワネットの傍らには、弁護士はいませんでした。
すり切れた喪服で 牢屋に戻った王妃。 |
けれども、誰もが驚いたことは、王妃は言葉を選びながら、次々に浴びせられる尋問に立派に答えたのでした。しかも、彼女の母国語のドイツ語ではなく、外国語であるフランス語での裁判だったのです。このことからマリー・アントワネットが、いかにフランス語に長けていたか分かります。その裏には、知られざる大きな努力があったはずです。
王政が廃止され、国王はルイ・カペーと呼ばれるようになり、彼の処刑後、王妃は「カペー寡婦」と呼ばれていました。
それにもかかわらず、革命裁判所で名を述べるように言われたとき、自分が誇りを持っている本来の名を告げます。
「マリー・アントワネット・ド・ロレーヌ・ドートリッシュ、37歳、フランス国王未亡人」
それは明らかに革命政府への反発です。マリー・アントワネットは危険を充分に承知していました。が、何事にもひるまず、自分の意志を貫いたのです。この彼女の勇気は尊敬するに値します。
尋問は王妃の莫大な浪費、チュイルリー宮殿からの国外脱出、亡命貴族や実家オーストリア王室と連絡を取り合い、革命を終わらせる目的で軍隊派遣を依頼したこと、カーネーション事件などに及びました。
そのひとつひとつに明確に答えた彼女は、母マリア・テレジアが誉めるに値する立派な王妃だったのです。