ペール・ラシェーズ (2,3号線)
ルイ14世の告解師だったラシェーズ神父。 |
画家のダヴィッド、ドラクロワ、コロー、モディリアーニ、作家のモリエール、プルースト、コレット、作曲家ショパン、歌手エディット・ピアフ、イヴ・モンタン・・・・まぶしい人ばかりです。
ペール・ラシェーズは「ラシェーズ神父」という意味で、ルイ14世から信頼を受けていた告解師でした。
彼は日本にキリスト教を布教したフランシスコ・ザビエルらが、モンマルトルの丘で創立したイエズス会に属していました。
17世紀、イエズス会所有の広大な敷地と館。 ここにラシェーズ神父さまが暮らし、生涯を閉じました。 |
1815年の墓地。 優雅な散策の地になっていました。 |
1804年5月21日、ナポレオンの時代にペール・ラシェーズ墓地がオープンし、最初の埋葬が行われます。5歳の小さな生涯を閉じた女の子でした。
イギリス庭園様式が取り入れられた、木々が自然の香りを漂わせる墓地は、憩いの場のような散策を楽しめる地となったのです。
一年中献花がたえない 「ピアノの詩人」ショパンのお墓。 彼はパリで生涯を閉じ、 マドレーヌ教会で葬儀がおこなわれました。 ペール・ラシェーズ墓地に葬られのは彼の遺言でした。 |
それこそナポレオンが希望していたことでした。
「すべての市民は、人種、宗教に関係なく葬られる権利がある」
執政として国を治めていたナポレオン・ボナパルトの布告です。