ワグラム (3号線)
オーストリアのワグラムでの戦いの指揮をとるナポレオン皇帝。 |
激しい戦闘は1809年7月5、7日の二日間続き、 フランスの勝利に終わります。 |
1809年、ナポレオンはウィーン北東にある町ワグラムで、オーストリアを敵として激戦を繰り広げ、見事な戦略で勝利を得ます。
この「ワグラムの戦い」で勝利をものとしたフランスは、莫大な賠償金と領土を得てナポレオンの戦史を華やかに飾ったのです。
帝国の継続を願っていた皇帝ナポレオンが、世継ぎを生めない妃ジョゼフィーヌと離婚し、オーストリア皇女マリー・ルイーズを二番目の妃として迎えたのは、この戦いの翌年の1810年でした。1811年には待望の息子に恵まれ、隆盛を誇ったナポレオンでした。