2016年12月28日

メトロの駅名は語る 18

Malesherbes
マルゼルブ (3号線)

マドレーヌ教会から北西に延びているマルゼルブ大通りにちなんで命名された駅。
マルゼルブはルイ16世の革命裁判の弁護士です。
高貴な精神の持ち主だった弁護士マルゼルブ。
革命で悲劇の最期をむかえます。
彼の名がついている大通りは、国王が処刑後葬られた、当時のマドレーヌ墓地、現在のルイ16世広場近くを通っています。まるで今でも国王を守っているかのように。

タンプル塔内のルイ16世とマルゼルブ。
祖父はルイ14世に、父はルイ15世につかえた名門貴族の家系に生まれたマルゼルブは、政治家であり、法の人であり、植物学者であり、文人でもありました。
スイスのローザンヌで暮らしていましたが、革命が起き、1792年、国王ルイ16世が裁判にかけられることを知ると、いてもたってもいられなくなり、自ら弁護したいと国民公会に手紙を書き、危険極まりないフランスに戻ります。

裁判を受けるルイ16世。
右側に立っているのが国王。
国王の裁判は1792年12月に始まります。裁判中、家族に会うことも拒否されたルイ16世を何とか救いたいと、 マルゼルブは最大の努力をします。けれども、過激な革命家の前では、なすすべはありませんでした。

翌1793年1月20日、ルイ16世は死刑の判決を受けます。この残酷な裁判の結果を、タンプル塔で待っていた国王に告げるつらい役目を、ガラ法務大臣、エベール代理官と共にマルゼルブは果たします。彼はどこまでも気高い精神の持ち主でした。

最後まで国王に忠実だったマルゼルブ。
自分の弁護をするのがいかに危険であるか知っていたルイ16世は、 マルゼルブに留まるよう忠告しますが、祖父や父が仕えてきた尊い国王の血をひく高潔な人を、見殺しに出来なかったのです。

王が懸念した通り、亡命貴族と通じていたという嫌疑がかけられ、1794年、マルゼルブは72歳で処刑されます。彼だけでなく、長女夫妻と孫まで犠牲になり、しかもその処刑を見ることをマルゼルブが強いられたのは、革命といえどもあまりにも残虐でした。
アンリ2世の娘
ディアンヌ・ド・フランスのために
パリのマレ地区に建築された館。
ルネッサンス様式のこの館を、
マルゼルブの父が購入し、
ルイ16世の弁護をしたマルゼルブが
そこで生まれました。

代々国王に仕えた名門貴族マルゼルブの生家は今でも健在です。
フランス国王アンリ2世の娘、ディアンヌ・ド・フランスのために建築されたルネッサンス様式の美しい建造物で、現在はパリ市歴史図書館となっています。
私も本を書くための資料を求めて、ときどき足を運びます。
ディアンヌが住み、マルゼルブが生まれ育ったと思うと感慨に打たれます。