イギリスで生まれフランスに暮らし、歌手、女優として愛されていたジェーン・バーキンが自宅で亡くなったことは、フランス人にとって大きな衝撃で、その夜のトップニュースとして長時間報道。独特なアクセントがあるフランス語、セルジュ・ゲンズブールとの結婚、ハスキーな声での囁くような歌、飾り気のない自由な服装。生き方にも言動にも個性があり、彼女ならではのスタイルがあった。そのどれもが多くのパリジェンヌを魅了していたのです。
セルジュ・ゲンズブーグとイタリアで、1974年。 |
そうしたジェーンは、慈善活動にも積極的で、難病の研究機関のために資金集めに奔走したり、アウン・サン・スーチンの支援にも無関心ではいませんでした。東日本大震災が起きた時には、何十年も前から好きだった日本人のために何かしないではいられないと、家族の猛反対を押し切って日本に行き、コンサートを開いたジェーン。その同じ年の秋に、再びチャリティー・コンサートのために日本に行く前に、朝日新聞のためにインタヴューをしたことがあります。
ほとんど素顔のジェーンは、会うといきなり話し始め、初対面なのに、いったいいつ質問したらいいのか戸惑ったほどフレンドリー。その時受けた印象は、気取りがまったくなく、正直で、顔も性格も語り方も何もかもチャーミング。その後数回お目にかかる機会がありましたが、いつも大きな微笑みを浮かべていて、汚れなき童女のようで、あたたかみが溢れていて、またすぐに会いたくなる人でした。あの寛大な微笑みを二度と見られないのは寂しいです。
セルジュとジェーンが約10年間暮らしていたパリの家。 家の外の壁はファンたちの書き込みがいっぱい。 娘のシャルロットは父セルジュが亡くなった後、 ミュージアムにしたいと言っていましたが、やっとそれが実現するとか。 そのときにはかなりの話題になりそう。 伝説的なカップルの思い出が詰まっている家なのだから。 |
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