世界中の人が訪れ、あまりの人出に困り果て、訪問客制限をしているモンサンミッシェル。サンマロ湾の孤島の上にそびえたつカトリックの修道院には、奇怪な歴史があちこちに刻まれているし、時代が異なる様々な建築様式が絡み合っていて、それも興味深い。中でも、ゴシック様式の回廊と、修道士たちの食堂は息を呑むほど美しい。
17世紀に描かれたモンサンミッシェル修道院。 |
格別な美しさを見せるゴシック様式の回廊。 |
8世紀ころからキリスト教の聖地だったモンサンミッシェルの修道院は、10世紀の火災で焼失し、1023年から再建が始まり、今年は1000年記念の年。それにちなんでコンサート、展覧会、講演、ダンスなどイヴェントがいくつもあるけれど、私が一番興味を抱いているのは9月10日「聖人オベールの日」に展示される、大変貴重な遺品。
それは、何かと言うと・・・モンサンミッシェルに聖堂を建築するように、大天使ミカエルからお告げを受けたアヴランシュのサンジェルヴェ教会の司教オベールの頭蓋骨。しかも単なる頭蓋骨ではなく、大天使ミカエルの指が触れた個所に穴があるのだという。通常サンジェルヴェ教会に保管されているこの頭蓋骨を、今年は特別にモンサンミッシェルで見れることに意義があると思う。
オベール司教に大天使ミカエルが現れたのは708年。岩だらけの孤島に聖堂を建てる命令など、夢に違いないと大して気に留めていなかったのが、3回目に大天使が出現し朝起きて頭に穴が開いているのを見て、驚いたオベール司教は直ちに聖堂建築にかかったのです。
オベール司教が寝ている間に、3回に渡って現れた大天使ミカエル。 岩山の上に聖堂を建築せよとのお告げを受けます。 |
大天使ミカエルが3回目に現われた時、オベール司教の頭に指を置き、 朝起きた時に穴があいているのに気が付いた司教は、 あれは夢ではなく現実だったのかと、聖堂建築の決意を固めます。 |
725年、65歳で没したオベール司教は当初、モンサンミッシェルの聖堂の聖歌隊席に、頭を祭壇に向けて葬られ、その後アヴランシュのサンジェルヴェ教会に移されます。革命の際にルイ=ジュリアン・ゲラン医師が機転をきかせ、職業上頭蓋骨を詳しく調べたいからと保管。頭蓋骨は難を逃れたのです。
オベール司教の保存状態がいい頭蓋骨。 大天使ミカエルが指で触り生まれたと言われている穴が、 はっきり残っています。 |
オベール司教の頭蓋骨は琥珀色で、かなり頑丈そう。大天使ミカエルの指で開けられた穴は頭の右側にあり、1,5~2センチほどの大きさと見られている。頭蓋骨の保存状態から判断すると、オベール司教は石棺に葬らていたのではないかと推測されています。いずれにしても、モンサンミッシェル修道院の生みの親の聖遺品を、この地で見れることに興味が深まるばかり。すでに何度も行った修道院だけど、今回はセレモニーもあるだろうし、この機会に行くべきかどうか迷ってしまう。どうしよう・・・どうしよう。
ちなみにモンサンミッシェルは「聖ミカエル山」と言う意味。この岩山は以前は墓の山をあらわすモントンブと呼ばれていたのが、大天使ミカエルが現われときから名前が変わったのです。英仏間の百年戦争の際に、ジャンヌ・ダルクにフランスを救うように啓示を与えたのも大天使ミカエル。神の意思を地上で遂行し、神と人間の仲介をする心強い大天使です。
モンサンミッシェルの尖塔の上から 地上の人々を見守る大天使ミカエル。 末永くよろしくお願いします。 |
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