2023年8月23日

マリー・アントワネット自叙伝 2

憩いの場のシェーンブルン城


 お母さまが9歳年上のお父さまと結婚したのは1738年2月12日で、18歳でした。10歳にもならない時に、目鼻立ちが整い快活なお父さまに出会い、ひと目で恋に陥ったお母さまは、長い間あこがれていた人と結ばれて、さぞかしうれしかったことでしょう。

お父さまは人生を思う存分楽しむ、明るく陽気な性格の人でした。私はどちらかというとお父さま似でした。


お母さまがオーストリア女帝になったのは、父君カール六世が逝去なさった1740年で、すでに3人の王女の母親になっていた23歳のときでした。

複雑な国際情勢が続く中で、働き者のお母さまは、冬は朝6時、夏は4時に起きて一日中政務をおこなっていたのです。その間に、私を含めて次々と子供を産んでいたのですから、やはリ稀に見る女性です。


国務があるからと、子供たちを侍従や侍女に任せっぱなしにしなかったことに、お母さの偉さがあります。子供たちの養育に携わる人々と毎日手紙でやりとりし、すべてを把握し、正すべきことがあれば、それを伝えていたのです。


ハプスブルク家は宗教を重んじる家柄です。そのために、子供たちの教育の第一歩は宗教お勉強でした。5歳から始めるのが決まりになっているので、私もその家訓に従って、カトリックのお勉強を始めました。

音楽もわりと早い時期に始めました。お兄さまたちや弟は主に楽器を、そしてお姉さまたちと私は歌を歌うことが多く、コンサートも頻繁に開いていました。ダンスも大きな楽しみでした。

 

こうした幸せな時を過ごすのは、ウィーン近郊のシェーンブルン宮殿でした。

ここは家族団欒のための離宮で、緑に恵まれているし、お花もたくさん咲いていて、楽園のようでした。 その中を思いっきり駆け回っていた幸せな子供時代を、今でもはっきりと覚えています。お母さまは、自然に触れることが、子供たちによい影響を与えることを知っていたのです。


自然と言えば、お料理にも気を配っていたお母さまによって、野菜スープを毎日のようにいただいていたことも、思い出します。お食事はどちらかというと、いつまでも体の中に残らないピュアな感じでした。大人になっても食が細かったのは、この小さいころからの食生活のお陰でしょう。


劇や、オペラ、コンサート、ダンスが好きな両親だったので、シェーンブルン宮殿に劇場もありました。オープンしたのは1747年なので、私が生まれる前のことです。

ここでの忘れられない思い出は、9歳の時のバレエです。長男のヨーゼフお兄さまが、最初のお妃を亡くした後、マリア・ヨーゼファさまを2番目のお妃として迎えるご結婚をなさった際のこと。お母さまのご希望で、一番幼い3人が踊ったのです。そのタイトルは「愛の勝利」。ヨーゼフお兄さまの再婚にふさわしいバレエでした。


シェーンブルン宮殿の劇場で
お兄さまのご結婚祝いに踊りました。

この時の様子を描いた絵のコピーを、お母さまが私の結婚後にフランスに送ってくださり、それはヴェルサイユのプティ・トリアノンの壁を飾っていました。たくさんの楽しい思い出が詰まっているシェーンブルン宮殿を、生涯忘れたことはありませんした。