2023年8月27日

マリー・アントワネット自叙伝 3

突然、大きな不幸に見舞われました

幸福がずっと続いていて、それが当然のことだと思っていたのに、不幸が、何の前触れもなく訪れました。今、思い出しても、どうしてこのような不幸が、いきなり私たちを襲ったのか分かりません。幼い私は、ただウロウロするばかりでした。

実は・・・お父さまが、あのお優しいお父さまが、急に天国に召されてしまったのです。

お母さまの嘆きは、文字で表現できないほど大きなものでした。まだ幼さが残っていた年にお父さまに出会って、胸をときめかしたお母さまは、念願かなって結婚し、たくさんの子供に恵まれ、帝国も繁栄を遂げ、公私ともに充実した日々を送っていたのです。

それなのに、突然・・・・

それは1765年8月18日のことでした。
3男のレオポルトお兄さまの結婚祝いで、家族そろってインスブルックに行っていました。そこにもハプスブルク家の王宮があり、お母さまの好みでロココ様式の装飾がなされていました。

そこで結婚祝いの華やかな祭典が続いていました。そうしたある日、急に具合が悪くなったお父さまは、席を立ってお部屋に戻ろうとしたのですが、途中で倒れたのです。お父さまに付き添っていた長男のヨーゼフお兄さまの腕の中に崩れて、そのまま息を引き取ってしまったのです。後で知ったのですが、心臓発作だったそうです。私が9歳の時でした。

突然亡くなられたお父さま。

お父さまが57歳でお亡くなりになった時、お母さまはかなり取り乱したようです。幼かった私は、詳しいことを知らされませんでしたが、後年に聞いたことによると、お母さまはウィーンの居城、ホーフブルク宮殿のご自分のお部屋に、長い間、閉じこもったままだったそうです。

驚いたのは、お母さまは嘆きのあまり女帝を辞めて、修道院に入ってそこで余生を過ごしたいと、側近に語ったことです。それほど衝撃が強かったのです。黒い服だけ着るようになったお母さまは、女官たちにもそれを義務付けただけでなく、ホーフブルク宮殿の居室を黒くしたり、便箋にも黒い縁取りを入れさせました。
「私の幸せは29年間しか続かなかった」
と、お父さまと過ごした年月を頻繁に、口にしていたそうです。

皇太子にも恵まれ幸せだったお父さまお母さま。

でも、重要な地位にある自分の立場を思い、悲嘆から立ち上がる努力をしたのは、さすが気丈なお母さまです。国の維持だけでも気が遠くなるほど大変なことなのに、それぞれ重要なポストにある息子たちの監視や指導、それに加えて、ハプスブルク家の発展に有利な娘たちの嫁ぎ先の選択など、お仕事は山のようにあったのです。

お父さまはドイツ、チェコ、北イタリア、オーストリアを中心とする神聖ローマ帝国のローマ皇帝でしたので、お父さまが亡くなった年に、長男のヨーゼフお兄さまはその後を継いで、ローマ皇帝ヨーゼフ2世になり、その翌年には、お母さまのご希望でオーストリアの共同統治者にもなりました。

24歳だったお兄さまには、かなり重荷だったのではないかと、お気の毒に思えます。お兄さまは若かったためか、理想が大きく、改革にも積極的で、そのために、お母さまとぶつかり合うことも度々ありました。私がフランスに嫁いだ後、様々なことで心配してくださった頼りになるお兄さまでした。