2023年9月2日

マリー・アントワネット自叙伝 4

一番仲が良かったお姉さまがナポリに行ってしまいました

私が誰よりも好きだったのはマリア・カロリーナお姉さまでした。お部屋も一緒だったし、年も近いので気が合っていたのです。明るくて、活発で、頭がいいマリア・カロリーナお姉さまは、ほんとうに楽しい人でした。他にもお姉さまは何人もいたのですが、マリア・カロリーナお姉さまとは何でも話し合えたし、趣味や遊びの好みまで同じで、まるで双子のようだと言われていたほどでした。

そのお姉さまが、突然、結婚のためにナポリに行ってしまったのです。1768年5月で、私が12歳のときです。

マリア・カロリーナお姉さまとナポリのフルディナント4世との結婚は、急に決まったことでした。ほんとうは、もっと年上のマリア・ヨーゼファお姉さまが、フルディナント4世のお妃になるはずだったのです。ところがマリア・ヨーゼファお姉さまが、天然痘で亡くなってしまったのです。結婚直前の1767年でした。そのために、マリア・カロリーナお姉さまが代わりに嫁ぐことになったのです。
右が私で、
左がマリア・ヨーゼファお姉さまとマリア・カロリーナお姉さま。
1760年の肖像画です。

悲しいことに、政略結婚はこれがあたりまえだったのです。ナポリ王家とハプスブルク家にとって重要なのは、結婚によって両家を強く結ぶことで、簡単にいうと、相手は誰でもよかったのです。

最初、お母さまは、マリア・ジョゼファお姉さまをナポリ王家に、マリア・カロリーナお姉さまは、フランスに嫁がせるつもりでいたらしい。それが思わぬ出来事で予定が狂ってしまったのです。その結果、マリア・カロリーナお姉さまはナポリへ、そしてフランスには、私が穴埋めに送られることになってしまったのです。

ああ、何という運命!
見ず知らずの、しかも奇行が多く、政治には全く不向きで、国を統治する気力も能力もないフルディナント4世と結婚させられ、家族とも別れたマリア・カロリーナお姉さまは、娘時代の女官に、私のことを度々聞いていたそうです。可愛そうなお姉さま。

でも、お母さまには同情している余裕はありませんでした。最後の娘である私の結婚を、本格的に考える重要なお仕事があったのです。

12歳になった私。
結婚を本格的に考える時期がきたのです。
credit: Österreichische Nationalbibliothek

お母さまはたしかに子供たちを可愛がっていましたが、それ以上に統治者だったのです。しかも、歴史上稀にみるすご腕の。激動の時代だったので、そうならないではいられなかったのです。