2023年11月1日

マリー・アントワネット自叙伝 11

 何日も続いた結婚祝いの祭典

 

儀式続きでうんざりした翌日は、ちょっと休息できましたが、皇太子さまは大好きな狩猟にさっさとお出でかけ。新婦の私より猟の方が大切なのかしら、と一瞬思いました。でも、それはその日に限ったことではなく、その後もずっと私に無関心。

私に興味のかけらも示さないのは、私に魅力がないからでは、と悩んだ日もありました。国王も貴族も国民も、誰もかれもが私のことをチャーミングだとほめてくださるのに、皇太子さまの趣味は違うのかしら。幸いなことに、連日祭典があったので寂しさは感じませんでしたが。


フランス人は人生を楽しく生きることに長けていると聞いていましたが、それが本当だとよくわかりました。アイディアいっぱいの祭典ばかりで、どれもこれも楽しく、お父さまに似て祭典好きな私は、毎日生き甲斐を感じていました。


結婚のお祝いの最後は、パリでの花火でした。それを見るために、5月30日にルイ15世の王女さまたちと6頭立ての大型馬車でパリへと向かいました。夜8時ころでした。国王も皇太子さまも、興味がなかったようで宮殿に残っていらっしゃいました。


パリ市が結婚祝いとして企画した花火は、ルイ15世広場(現在のコンコルド広場)で行われました。広場の中央に立つ立派なルイ15世の騎馬像の横に、この日のためにコリント様式の神殿を造ってありました。


中央にルイ15世の立派な騎馬像がある「ルイ15世広場」
その向こうに左右対称の建造物がある、均整がとれた広場。

そこで花火を打ち上げる計画だったのです。数か所にビュッフェがありワインも無料でふるまわれ、大勢の人が集まり身動きできないほどだったようです。報告によると30万人もの群衆だったとのこと。

ヴェルサイユ宮殿を離れ、パリの西にあるセーヴル橋に差し掛かったころ、大きな音が聞こえました。花火があがったのでしょう。馬車が進むに連れて音が大きくなり、期待で胸が高まってきた私たちは、一刻も早く広場に到着したいと御者に急がせました。


「ルイ15世広場」の中央には、この日のために神殿まで造り、
花火が華々しく上げられました。


パリ市内に入り、セーヌ川に近づいて、もうじき広場に着くかと喜びが大きくなったとき、馬車が急に止まったのです。それだけでなく、人々が顔色を変えながら必死に走っているのです。広場に向かうのでなく、反対方向に。

何事が起きたのかと不安になって顔を見つめ合っている私たちに、衛兵が「直ちに宮殿に戻ります」

と、鋭い声で早口に言いました。

花火をあげている間に火事が起きたのです。すき間もないほど詰めかけていた群衆たちは、ますます激しくなる炎に気が動転して、パニック状態におちいり、火消しの車は逃げ迷う人々にさえぎられて、広場の中央に近づけず、火は広がる一方だったそうです。

無事に宮殿に戻った私は恐怖で震え、132人もの犠牲者が出たと知った時には、涙があふれるのをどうしようもできませんでした。


私たちの結婚祝いの最後は、このような大悲劇で終わったのでした。