2023年12月1日

マリー・アントワネット自叙伝 13

デュ・バリー夫人

 

国王の王女さまたち、つまり叔母さまたちのお部屋には毎日行っていました。ヴェルサイユ宮殿の一階にお部屋があり、広々としているしインテリアも洒落ていて、とても居心地がいい居室です。  

叔母さまは3人いらして、どなたも私より20歳以上年上で、3人そろって独身でした。そのためにヴェルサイユ宮殿に暮らしていたのです。国王も毎日のように叔母さまたちの居室にいらして、お話するのを楽しんでいました。


3人の叔母さまの年長はアデライード王女さまで、勝ち気で気位が高い人でした。活発な叔母さまは、年下のヴィクトワール王女さまとソフィー王女さまを従えている感じでした。毎日お会いしている間に、デュ・バリー伯爵夫人のお話しもありました。結婚式前日に、ミュエット城でお見かけした、豪華に着飾った驚くほど美しい、あの女性です。


アデライード王女さま 1732年生まれ

ヴィクトワール王女さま 1733年生まれ

ソフィー王女さま 1734年生まれ


叔母さまたちがいかにも毛嫌いしているように、顔をしかめながら語ったことによると、デュ・バリー夫人は国王の愛妾、しかも、公式愛妾なのだそうです。公式愛妾という言葉をオーストリアで聞いたこともなかったので、最初は意味がわかりませんでした。


私がお嫁入りした1770年のデュ・バリー夫人


後で知ったことですが、公式愛妾はフランス特有の制度で、貴族たちに正式に認められた国王の愛妾で、簡単にいうと第2夫人で、王妃と同じ待遇を受ける女性だそうです。それを考えついたのは15世紀のシャルル7世国王で、溺愛する愛人アニエス・ソレルさまを、妃と同じように公式の場にも連れて行きたく、この便利な制度を思いつき、それ以降フランス国王は、例外なく公式愛妾を持つようになったのです。


公式の愛妾は王妃と同じように宮殿に暮らし、たっぷり年金を受け取り、すべての行事に出席できる恵まれた待遇を受けていた女性なのです。それを知って、なぜ貴族たちがデュ・バリー夫人のご機嫌とりにやっきになっているのがわかりました。自分の出世のために、デュ・バリー夫人に気に入られることが大切だったのです。ドレスやジュエリーが飛び抜けて豪華だった理由もわかりました。


ルイ15世のお妃はすでに逝去されていたので、デュ・バリー夫人はフランス王妃に等しかったのです。ですから、外国の国王がヴェルサイユ宮殿にお出でになったとき、皇太子妃の私への挨拶より、デュ・バリー夫人への挨拶の方が、ずっとていねいで長かったのです。でも、当時はあまり気になりませんでした。


ルイ15世のお妃マリー・レクザンスカさま。
ポーランド国王の王女さまだったのが、ロシアに敗れ王位を失った父と共に、
アルザスに亡命し暮らしていました。
彼女の肖像画を見たルイ15世がひと目ぼれし、
22歳の時に7歳年下で15歳のルイ15世と結婚。
10人もの子供を国に捧げた信仰深いお妃でした。

こうしたことに我慢しきれないでいたのは3人の叔母さまたち。特にアデライード王女さまの怒りは、ただ事ではありませんでした。何とかして父の愛妾をこらしめたいと思っていたときに、甥の妃になるために私が登場したのです。右も左もわからない14歳の私をつかまえて、クドクドと小言を並べるのです。

このようにして純真無垢の私の心の中に、デュ・バリー夫人への対抗心が日に日にうえつけられ、高まっていきました。

そうしたときにある事件が起きたのです。