2023年12月11日

マリー・アントワネット自叙伝 14

デュ・バリー夫人とのもめごと

事件と呼ぶほどではないけれど、デュ・バリー夫人との間が悪化したのは確かです。それは、パリの東郊外にあるショワジー城での観劇の時でした。ルイ14世の姪が17世紀に建築させたこのシャトーを、ルイ15世はとても気に入っていて、家族団欒の場にしていました。

ルイ15世の時代のショワジー城。

そのシャトーに私の女官たちが時間通りに着き、最前列の席につき劇が始まるのを楽しみに待っていました。私はその日ショワジー城に行きませんでした。


急に華やかな空気が感じられ、振り向くと派手なドレスのデュ・バリー夫人が、お気に入りの2人の貴族夫人を伴って入ってきたのです。デュ・バリー夫人は当然、自分が最高の席につくべきだと、私の女官たちに席をゆずるようにと命じたのです。その傲慢な態度に激怒したのが、その場にいたグラモン公爵夫人でした。彼女は有力な政治家ショワズール公爵の妹で、とても気位が高く、とても気が強い人でした。

グラモン公爵夫人

そうしたグラモン公爵夫人ですから、デュ・バリー夫人に向かって、遅れてきたのだから、後ろの席に座るのが当然だと冷たく言い放ったのです。

全ての人が自分の思い通りに動くのに、何てこと、とデュ・バリー夫人の怒りは頂点に達したようです。彼女は自分がフランスで最も高い地位にいると信じていたのです。

思いもよらない屈辱に耐えられなかったデュ・バリー夫人は、すぐに国王に訴えます。愛妾のすべての希望を盲目的に叶えるルイ15世は、翌日直ちにグラモン公爵夫人を地方へと追放したのでした。


地方に追いやられたグラモン公爵夫人は、後日、重病におちいり、きちんとした治療を受けたいので、パリに戻りたい。何とか国王にお願いしてほしいと私に連絡してきました。私の女官を務めたこともある人ですから、仲介の役目を引き受けました。

幸いなことに国王から、グラモン公爵夫人がパリに戻れる許可をいただけましたが、宮廷に姿を見せることは禁じるという厳しいお言葉でした。このことからデュ・バリー夫人の権力がいかに強いかよくわかりました。


ヴェルサイユ宮殿2階にある国王のお部屋から、3階のデュ・バリー夫人のお部屋には直接行ける階段がありました。そのためにおふたりは誰にも見られることなく、いつでも行き来できたのです。お二人の絆は想像以上に強かったようです。ですから、叔母さまたちが一致団結してやっきになって愛妾を遠ざけようと工夫しても、何の役にも立たなかったわけです。

ヴェルサイユ宮殿3階にあるデュ・バリー夫人の寝室。
左にシンプルな階段があり、そこをのぼるとルイ15世の図書室です。

気に入った貴族夫人たちと楽しいひとときを過ごしていた
デュ・バリー夫人専用のグランサロン。
暖炉の上に彼女の胸像が置かれています。


サロンと同じ階にある夫人専用の図書室。
いざという時のために、隠し扉がありました。

このころは私は傍観者の立場にいました。いくら若くても、ゴタゴタに巻き込まれない方がいいことはわかっていました。でもそれから間もない時に、デュ・バリー夫人にからむ事件がまた起きたのです。