2024年6月29日

総選挙直前の日・・・話が弾んだランチタイム

 フランスの運命がかかっている総選挙の一回目の投票は、いよいよ明日。政治にはあまり関心がない私でさえも、今回はすごく気になって連日各党の演説や動きを朝からチェック。テレビでの各党の代表の討論会も最後まできちんとみる。会話は文化であると言い切るフランス人のこと、皆、雄弁で、他の人が話している間にも割り込むので、声が重なって聞き取りにくい。にもかかわらず、何とか内容を把握しようと努力するので、とても疲れる。

コンコルド広場に面した国会議事堂。
ここの577の議席を争う総選挙は、いまだかつてないほどの関心を呼んでいます。
極右政党が政権を握る可能性が強いので、それを阻止する運動が
毎日のように各地で行われているフランス。

とにかく、極右党が他を引き放してトップに立っているのが、大きな不安を国に与えている。これに危険を感じる俳優やスポーツ選手が、極右翼が政権を握るのを断固阻止しようと呼びかけてさえいる。アヴィニョン・フェスティヴァルのデイレクターは、もし極右党が政権を握ることがあったら、アヴィニョン・フェスティヴァルが革命フェスティヴァルになるとさえ言っている。とにかくいまだかつてない緊張感がある総選挙。

それも、もちろん話題になったけれど、私たち女性はモードやジュエリー、ペットの話にも花を咲かせてリッツ・パリで楽しいランチ。選挙の影響がどのような形で出るかわからないから、その前にパリから脱出、などと決意している友人もいます。私? 私は・・・パリにいます。

話題豊富なランチ。
私の本の宣伝もして下さるという、ありがたい友人たち。

2024年6月23日

ちょっと気になる3つのこと

 オリンピックのために大改造中のパリ。それとはまったく関係はないけれど、気になることが・・・

私が知らない内にパリがどんどん変わっている感じ。ちょっと外出しないでいると、びっくりするようなことに出会う。今日、見かけた3つの不思議。

もしかしたら、大当たりした映画バービーの影響?
パリで結婚したいカップルに最適かも。
パリの街並みに合わないように思えるけれど・・・

人気マンガSPYxFAMILYの
それぞれのキャラクターをイメージした
特別ドリンクを楽しめるカフェらしい。
人気マンガと言われても、私にはさっぱりわからない。
日本の次にマンガ愛読者が多いフランスならではのカフェ。


このFIOKO SHOPも変わっている。
ソニーエンジェルのフィギュアなどが
ブラインドボックスに入っているのを買えるブティック。
つまり、中に何が入っているか分からないまま買って、
蓋を開けてのお楽しみということ。
日本の福袋みたいなもの。

これからは、もっと頻繁にパリを探検しなくては、と、思った日でした。
それにしても、インパクトがすごい。
カフェの中にいるのは変わったオシャレの若い女性が圧倒的に多く、
気おくれして入る勇気がない。

2024年6月17日

マリー・アントワネット自叙伝 31

ふたり目の王子誕生、そして信じがたいスキャンダル

 

国に世継ぎを授ける義務がある私に、2番目の王子が生まれて、心から安堵しました。1785年3月27日に私たち家族の仲間入りをした王子は、ルイ=シャルルと命名されノルマンディー公の称号を受けました。

生後まもないルイ=シャルル王子。

ルイ=シャルルは優しい性格の子で、兄の皇太子とも姉とも気が合い、仲良く、そうした姿を見るのは母としてとても嬉しいことでした。それに比べて大人たちは、何て醜い心を持っているのでしょう。実は、ルイ=シャルルを身ごもったのはあの方がフランスに戻り、頻繁にお会いしていた時期なので、王子の父親はルイ16世ではなく、フェルセンさまだと噂がたったのです。しかも夫の弟、プロヴァンス伯がそうした根も葉もない噂をまいた人物だったようで、それはそれはショックでした。ほんとうに心の底から意地悪な人。自分が王座に就く可能性がこれでますます遠ざかったので、とんでもない噂をばらまいたのに違いありません。

お花が好きで優しい5歳のルイ=シャルル。


幸いルイ=シャルルのあどけない顔を見るだけで、心が和みました。私に似てお花が好きな王子で、彼のためにプティ・トリアノン庭園の一角に、専用の小さな花壇を作ってあげると、そこに育つお花をつんで、私にプレゼントする愛らしい息子でした。ルイ=シャルルが生まれて喜びに浸っていたのに、突然、いまわしい事件が降りかかりました。

 

「王妃の劇場」と呼ばれていたプティ・トリアノンの庭園の一角にある劇場で、劇の練習をしている時でした。8月19日に上演する予定になっているその劇は『セビリアの理髪師』で、私はロジーナを、そして理髪師フィガロは、義理の弟アルトワ伯が演じることになっていました。アルトワ伯は年長の義理の弟プロヴァンス伯より性格がよく、人生を楽しむことが大好きなので気が合っていました。賭け事のお相手の一員にもなっていました。「王妃の劇場」には、私が大好きな淡いブルーと金箔が隅々までほどこされていて、優美そのものでした。演劇が大好きだった私は、その劇場で毎日のように練習に励んでいました。

プティ・トリアノンの庭園内にある劇場は、
いつからか「王妃の劇場」と呼ばれるようになりました。
奥に見えるのがその劇場で、子供たちとその界隈をよくお散歩しました。

そうしたある日、7月12日でしたが、思いがけない人が私に会いに来て、もう劇の練習どころではない出来事がその日から始まったのです。まるで自分は作り話の悲劇のヒロインになったように、現実からほど遠い出来事でした。

 

劇の練習に夢中になっていた私の元に来たのは、王家ご用達の宝石商べーマーで、ユダヤ系ドイツ人です。彼は私に大げさにうやうやしく挨拶した後、包みを渡しました。それは夫が私のために注文した宝飾品で、完成したので届けに来たのです。何もこの忙しい時に来なくてもいいのに、と一瞬うっとうしく思いましたが、礼儀上お礼の言葉をかけました。

ドイツ人宝石商のベーマー
       

べーマーはそのまま帰るのかと思ったら、今度は手紙を渡したのです。びっくりした私は、そこに書いてある文にさっと目を通しました。ちらっと見ただけですが、何やらわけがわからないことが書いてあったので、ベーマーに説明を求めようと手紙から目を上げると、すでに立ち去って姿が見えません。はっきりは覚えていませんが、手紙の内容は、


・・・・この度のご配慮に大変感謝しております。もっとも偉大で、もっとも素晴らしい王妃さまが身に付けてくださるダイヤモンドのジュエリーだと思うと、大変光栄に存じます・・・・


こういった内容だったように思います。意味がわからないお手紙なので薄気味悪く、すぐに暖炉の火の中に投げ込みました。8月3日に、ベーマーは女官カンパン夫人に会って、王妃にお手紙をお渡ししましたが、お返事がないのでと切り出たので、カンパン夫人は即座に王妃はお返事などお書きになりませんと言ったそうです。すると、それは困った、王妃がお買い上げになったジュエリーのお支払いがないと、経済的に窮地に追いやられてしまいます。何とかならないものでしょうかと繰り返したのです。

教養があり頭の回転が速いカンパン夫人

女官は私が宝飾品を最近頼んでいないことを知っていたので、王妃はジュエリーなど注文しておられないですよ、ときっぱり告げたのです。するとどうでしょう。でも、ロアン枢機卿が王妃にお会いになって、代理でお買い上げになる約束をし・・・とますますわけのわからないことを長々と話すので、陰謀ではないかと疑った女官が、私にベーマーが語ったことを告げたのです。


身に覚えのないことが起きているようなので、これはベーマー自身から真相を聞いた方がいいと思い、8月9日に彼を呼び出しました。そのとき私は知ったのです。奇想天外の話というか、とんでもない詐欺事件を。しかもその中心人物は私なのです。

2024年6月15日

とつぜん議会解散 ゆれ動くフランス

衝撃が起きたのは6月9日夜。欧州議会の議員選挙の結果をテレビでみていたときのこと。いつも通りゲストの政治家や評論家がそれぞれ意見を述べていたその最中に、
「ただいまからマクロン大統領の特別声明発表があります」
と、司会をしていたジャーナリトが告げ、大統領が短い声明をカメラに向かって述べました。

この選挙で与党は完全に敗北し、勝利者は極右翼の国民連合。しかも大勝利。結果が分かって1時間もしない内にマクロン大統領が国民に向かって発表したのは、直ちに議会を解散するという驚くべき内容。下院議員の1回目の選挙は6月30日、2回目は7月7日におこなうと、今まで見たこともない厳しい表情で、しかも、短く必要な事のみを語る内容で、そのために冷たさを感じたほど。きっと感情を抑えていたのでしょう。

誰も予測していなかった突然の総辞職、選挙までのあまりにも短い時間、重要なオリンピックを目前に控えているのに、なぜ今なのか・・・ヴァカンスに出かけている人もいるはず・・・

大きな衝撃を受けたけれど、マクロン大統領はどの党が勝利しようとも、辞職する気はまったくないと断言。それが、もしかしたら、一種の安心感を与えるかもしれない。初めての選挙で大統領になった型破りのエマニュエル・マクロン。私生活も24歳年上の妻と、これも型破り。今回の決断も型破り。

ニュースから目が離せない日々の中で、安らぎを与えてくれるのは自慢のゼラニューム。1メートルをこえる優等生で、朝起きて花の咲き具合を見るのが何よりの楽しみ。

うらやましいほど背が高くスリムなゼラニューム
私が一番気にいっているのはこの色のお花。
たいした手入れをしていないのに、
こんなにキレイな姿を毎年見せてくれるのです。

2024年6月12日

ルネサンスの始まり展、フランス国立図書館リシュリュー館

 ヨーロッパ全土に大きな影響を与えたルネサンスが、14世紀から15世紀にかけてイタリアで始まったことはよく知られている。フランス国立図書館リシュリュー館では、知的、芸術的動きを大きく変えたルネサンス初期の重要性に焦点を当て、200点以上の貴重な手書きの本、彫刻、絵、デッサン、メダルなどを展示。

ギリシャ・ローマの古代文明の価値観を蘇らせたルネサンスの感化を受けたフランスは、16世紀に文芸や建築などが目覚ましい変化をとげ、輝かしい時代を迎えたのです。今回の展覧会で、イタリアに発祥したルネサンスを伝える多くの作品を、まじかに目にすることが出来たのは感慨深いことでした。500年以上も前の識者の素晴らしさを再認識しました。

展示会場の熱心な訪問者たちを見守る、
イタリア・ルネサンス初期の
人文主義者ペトラルカの大きなパネル。

詩人であり、哲学者であり政治家だった
ダンテの代表作「神曲」の挿絵入りの貴重な本。
ボッティチェリの原画をもとにした銅版画。15世紀
      
古代ローマの天文学、数学などの偉大な学者プトレマイオス(100年代)による
「宇宙誌」を15世紀に翻訳し装丁した、イタリア・ルネッサンスの最も豪華な本。

ナポリの王女の大理石の胸像。
王女の名前は不明。15世紀。

フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で
使用されていたトーチホルダー。ブロンズ。1439年。
豪華な装丁のバイブル、本、メダル。
中央は古代ローマ皇帝ネロ(54-68)の硬貨。

イタリア・ルネサンス期のナポリ王
ルイ2世ダンジュ―(1377-1417)
古代の硬貨やメダルの影響を受けて
横顔が描かれている。

20人の美術関係者が 招待され、
図書館専属ガイドの2時間の詳しい説明があり、
多くのことを学びました。

長年かけて修復と洗浄を行ったフランス国立図書館リシュリュー館。

中庭に面した建物は建築当時のままの部分が多く、長い歴史を語っています。
ルイ14世の実質的宰相だったマザラン枢機卿(1602-1661)が建築させた建物。

2024年6月10日

マリー・アントワネット自叙伝 30

 フェルセンさまがフランスにお戻りになりました。

 

アメリカ独立戦争に参加していたフェルセンさまが、フランスに戻られたと知って、私は胸の高鳴りをおさえることができませんでした。待ち焦がれていたあの方にまたお会いできる、そう思うだけで心が浮き立って、大嫌いな公務さえも楽しくこなせました。1783年のことです。


フェルセンさまのお父さまは、しきりに息子に結婚を薦めていたようです。由緒ある伯爵家のご長男ですから、当然でしょう。しかも、フェルセンさまは28歳になられていたのですから結婚適齢期。お父さまは数人の候補者を考えていて、スイスの銀行家のお嬢様やイギリス貴族令嬢などが有力だったとか。でもフェルセンさまには当時、結婚の意思がなかったようで、お妹さまのソフィさまにお手紙でそう打ち明けていらしたのです。ソフィさまは憂いに満ちたお顔と優雅な立ち振る舞い、豊かな教養で多くの殿方の心を捕らえていた女性で、フェルセンさまがもっとも信頼を寄せていました。おふたりは頻繁にお手紙を書き合っていました。そのためにフェルセンさまの行動や考えをすべて把握していたのです。

フェルセンさまのお妹さま、
優雅で教養豊かなソフィさま。

3年ぶりにヴェルサイユ宮殿にお姿を見せたフェルセンさまは、たくましさが加わり、男性の魅力が全身からほとばしっていて眩しいほどでした。以前にも増して魅了された私は、視線が合ったり挨拶を交わすだけで動揺し、顔が紅潮し、それを隠せないほどでした。もはや宮廷人は、皆、私がフェルセンさまに心を奪われていることを知ってしまったのです。当然、夫も気が付いていたことでしょう。それにもかかわらず、私を咎めることはありませんでした。彼はそういう人だったのです。繊細な面も持ち合わせる私は、もちろん多少心が痛みましたが、あの方への加速度的に深まる愛を止めることは不可能でした。


寝ても覚めてもあの方のことしか考えていなかった私は、プティ・トリアノンにご招待したり、裏庭に特別に造った小劇場にもお招きしました。そして私がもっとも気に入っていた村里にも。


彼がアメリカに行っている間にインテリアや庭園を整えていたプティ・トリアノンは、ひとりの自由な女性としての生活を満喫できる憩いの場でしたが、日が経つに連れてもっと自然に触れたいと熱望するようになりました。たしかにプティ・トリアノンの周囲にはイギリス式庭園が広がり、種類豊富な木々や花々が心地よい香りを放っていましたが、私が求めたのは本格的な田園生活です。できるだけ早くそれを実現したかった私は、信頼を寄せている建築家リシャール・ミックと毎日のように会って、詳しい計画を練りました。


わらぶき屋根の小さな家がいくつもある村里が私の理想でした。それだけでなく、鯉やカマスが泳ぐ小川も作って、そこに簡素な橋をかけ、ガチョウやカモの親子が連れ立って泳ぐ湖も欲しいと思いました。ちょっと離れた所には広い牧場があり、牛やヤギがのんびり動き回り、ニワトリが毎日新鮮な卵を産む。その卵をいただいたり、乳牛の搾りたての牛乳で作ったチーズも味わう。庭園の一番奥まった所にある土地を、夫が私に快く提供してくださったことには、とても感謝しています。夫は私の計画に反対したことなどありませんでした。それどころか、私の機嫌を損ねるのをおそれているようでした。

ヴェルサイユ宮殿の庭園の一番奥まった所に、
村里を設けました。ノルマンディー地方の田園のような雰囲気です。

これほど目立った優遇をしていたのですから、フェルセンさまにも私の気持ちが伝わったようです。でも、それを避けたり、迷惑がったりしたことは皆無でした。それどころか、ヴェルサイユでの生活を満喫していたようです。正直言ってほっとしました。あの方に嫌われたくないと思っていたのですから。

 

フェルセンさまが戻られて、私にとってヴェルサイユ宮殿が希望の場になりました。アメリカからフランスに戻って半年もたたないうちに、フェルセンさまはルイ16世、つまり私の夫によって、フランスのスウェーデン王立連隊隊長に任命されました。あの方がそれを希望していることを知っていたので、私がこっそり陰で動いたのです。この連隊は1690年に創立された由緒あるもの。軍服姿のフェルセンさまは凛々しくて、高尚な輝きを放っていました。そうしたお姿をいつもお近くで見られるのです。それを知った私は幸せで幸せで毎日笑顔を振りまいていました。

フランスの
スウェーデン王立連隊のユニフォームと旗。
何度が変わってようですが、
フェルセンさまの時代の制服です。 

 スウェーデン国王グスタフ3世がイタリアとドイツを訪問なさることになり、その際フェルセンさまに同行を命じたのは、フェルセンさまがスウェーデン王立連隊隊長に就任した年でした。彼は1791年まで隊長を務めていました。しばらくの間、あの方のお姿を見ることができず、とても寂しい日々を過ごしていました。でも、その翌年にヴェルサイユに寄られたのです。有頂天になった私は、スウェーデン国王ご一行をお迎えするために、最高のおもてなしをしようと知恵を絞りました。

スウェーデン国王ギュスタヴ3世。

1784年6月7日に宮殿にお出でになったご一行のために、とういより、フェルセンさまに喜んでいただきたいために、オペラ、仮装舞踏会、晩餐会など可能な限り豪華にしました。ハガ伯爵という偽名を使っていた国王は、気品あふれる美しいお顔の方で、フェルセンさまを特別可愛がっていたようです。そのためにおふたりの間を疑う噂が立っていましたが、事実無根と確信しています。


プティ・トリアノンの庭園にある「愛の神殿」では、6月21日にイルミネーション灯してロマンティックな祭典を催しました。フェルセンさまは幻想的なイルミネーションをとてもお気に召したようです。6月23日には熱気球を飛ばしました。フランス人の発明家モンゴルフィエ兄弟が、世界で初めて有人飛行に成功させたので、熱気球をモンゴルフィエールとも呼びます。グスタフ三世もフェルセンさまもフランスの優れた技術に驚かれたようです。私と夫もご一緒していたので、おふたりの反応が手に取るようにわかり、とても誇らしく思えました。

プティ・トリアノン近くの「愛の神殿」で
6月21日にイルミネーションをお楽しみいただきました。

フランスが誇るモンゴルフィエールも
ご覧いただきました。

スウェーデンの国王ですので、フランスを代表するプレゼントをしなければなりません。急遽の訪問だったので何の準備もしていなく、考えた末、セーヴル焼きのセットを選びました。実はそれは私が以前に注文したもので、宮殿で使用したくて制作を急がせていたのです。でも、こうした事情ですし、しかもあの方の国王なので、私はいいところを見せたくて我慢しました。グスタフ3世は大変お気に召して、その後同じ模様の食器を12個注文したほどでした。私が発案した模様が気に入られて、とても自慢に思ったものです。

ギュスタヴ国王にプレゼントし、
その後、私自身のためにも同じセーヴル焼きを注文しました。

もちろん、その後、私用のも制作させました。その数は239枚にもなりました。ちょっと多いかとも思いましたが、お料理の種類が豊富だし、ティータイム用のセットもそろえたかったので増えてしまったのです。このようにして,同じセーヴル焼きの食器が、フランスとスウェーデンの王室で愛用されることになり、両国の絆がより深くなりました。


フェルセンさまはスウェーデンとフランスを行き来するようになり、その間フランス語でお手紙を書き合っていました。このころからどれほど多くのお手紙を書いたことでしょう。あの方からのお手紙が届くと女官がそっと渡してくれて、それを私室で読むのが最大の喜びになっていました。もちろん全て自分で保管して、何度も何度も読み返していました。万が一を考えて、私の名前はジョゼフィーヌにしました。

2024年6月8日

五輪マークがエッフェル塔に

 パリオリンピック・パラリンピック開催まで約50日。開催地の象徴的な場所に五輪マークを設置することになっているそうで、パリは「鉄の貴婦人」エッフェル塔が選ばれました。

地上から60mの高さに、重さ30トン、幅29m、高さ13mのシンボルマークを固定するために、500トンのクレーン2台、100トンのクレーン2台使用し、ノルマンディ―上陸作戦80周年行事が行われた6月6日の夜から7日にかけて作業を行い、パリの貴婦人は新たな姿を見せました。

快晴の空に誇らしげにたつエッフェル塔。
新たな装いのエッフェル塔。

夜のイルミネーションの中では、感動するほど美しい。

この五輪マークがエッフェル塔に設置されているのを見ると、自分もわけがわからないまま、頑張らなくてはと思うのが不思議。世界のアスリートたちの五輪にかける情熱が伝わってくるのかも。

2024年6月7日

ノルマンディー上陸作戦80周年記念

 連合軍によるノルマンディー上陸作戦が行われて、今年は80周年記念の年。1944年6月6日、夜の落下傘部隊降下に始まったこの作戦は、大成功をおさめ、ナチスドイツに占用されていたノルマンディーが激戦の後解放され、その後、パリに向かいながら町や村が次々自由を取り戻し、パリが解放されシャンゼリゼで凱旋パレードが行われたのは8月26日。

1944年2月1日、ロンドンで行われた連合軍遠征軍最高司令部会議。
前列左から、テダー空軍司令官、連合軍最高司令官アイゼンハワー大将、
陸軍総司令官モンゴメリー大将。
後列左から、ブラッドリー中将、ラムゼー提督、マロリ―元帥、スミス中将。
1944年6月6日、ノルマンディーに向かう連合軍船団。

正式には「ネプチューン作戦」と呼ばれるノルマンディー上陸作戦は、前代未聞の史上最大の作戦で、今年80周年記念を迎えます。この重要な年にいくつもの式典が行われましたが、その最大のセレモニーは、激戦地ノルマンディーのオマハビーチで開催されました。イギリスからチャールズ3世国王、カミラ王妃、ウイリアム皇太子が、アメリカからはバイデン大統領とジル夫人、カナダはトルドー首相などが続々とノルマンディーに到着。招待されたのは25か国の元首。ウクライナ支援を世界に示すためにゼレンスキー大統領や、連合軍総司令官のアイゼンハワーの孫娘も特別招待。

これに先立ち5月30日には、オリンピック聖火がオマハビーチを通過。2016 年のリオのオリンピックで障害馬術で団体の金メダルを獲得した選手のひとりが、馬に乗り聖火を高々とかかげながら颯爽と通過。それを皮切りに、様々なイヴェントがあり、花火、浜辺での大規模なランチ、パラシュート降下の再現など連日記念行事。アメリカ、イギリス、カナダから作戦に参加した英雄たちもノルマンディーに到着。99歳、103歳などとかなり高齢で車いすの人が多かったことに、80年の長い歴史を感じます。深く印象に残ったのは、インタヴューにハキハキと答え、記憶が驚くほど明確だったこと。

「ネプチューン作戦」に参加した国はアメリカ、イギリス、カナダ、オランダ、デンマーク、ノルウェー、ポーランド、チェコスロバキア、オーストラリア、ニュージーランド、ギリシャ。国土の三分の一をナチスドイツに占領されていたフランスは、ロンドンに亡命したドゴール将軍が結成した臨時政府「自由フランス」の呼びかけに応じたわずか177人が参加。

もっともこの「自由フランス」をアメリカのルーズベルト大統領が信用しておらず、作戦会議にフランスは参加していなかった。イギリス首相チャーチルの説得によってギリギリになってが通告したために、出兵が少なかったとされています。

6月6日のセレモニーは午前中からアメリカ兵墓地、イギリス記念碑など数ヵ所で行われ、それぞれ国王、大統領、首相がこの作戦に貢献した勇気ある兵士たちの功績を讃え、献花やクラシックの演奏、哀愁をおびた歌、異国で散った兵士たちが残した最後の手紙の朗読などがあり、式典に出席した老いた英雄たちが何度も涙をぬぐっていて、心が打たれました。こうした全てを朝から夕刻までテレビで実況中継。あまりにも感動的で、私もテレビの前から動けませんでした。

イギリス記念碑でチャールズ3世国王は英語とフランス語で演説し、カミラ王妃共々涙を浮かべていたのが、深く印象に残りました。国王はガン治療中であるにもかかわらず、この式典に出席することを強く望んでいたそうです。その後イギリスに戻り午後のオマハビーチでのセレモニーにはウイリアム皇太子がイギリス代表として出席。

バイデン大統領、マクロン大統領に迎えられた
ウクライナのゼレンスキー大統領。Le Figaro

自由を獲得するために命をかけて戦い、故郷から遠く離れた地で短い生涯を閉じた兵士たち、そしてまた、100歳近くまで、あるいはそれ以上、歴史の証人として生きてきた退役軍人たちを称える盛大で爽やかで、美しいセレモニーでした。

2024年6月4日

何があろうとマイペースの生き物たち

来月はいよいよオリンピック。もっとも重要なのはセキュリティ。時々ヘリコプタ―が低空飛行の訓練をしているようで、大きな音がして、何箏かとびっくりすることもある。

オリンピックのための工事はまだ終わっていない。でも生き物たちはそんなことに無関心で、マイペースで生きている。みんな、幸せそう。

池の底まで磨いているのは感心。
ここにまで敷石が・・・隠れたオシャレです。

お馴染みの池がお掃除中でも、池はいくつもあるから、
子供を育てることに不便はない。

オリンピックッてナーニ?
ちっとも興味な~い。
パリはハトが多いから生存競争が激しい。
木の幹の根元に、動くお花が咲いたみたい。

静かだし、暖かいし、お花の香りに包まれて・・・
ここがサイコー。平和そのもの。