2016年10月5日

ディオール本社のサロンでコレクションをじっくり。

ディオール本社のサロンで、プレタポルテの作品を鑑賞。
ディオール・ジャパンの水口さん(右)と伊藤さん(左)とご一緒に。
創業以来男性のデザイナーが続いていたディオール社が、今回初めて女性デザイナーを迎え話題を呼んでいます。イタリア女性、マリア・グラツィア・キウリ。ヴァレンティノで実力を発揮していた経験豊富なデザイナーです。

ロダン美術館でのショーで大喝采を受けた作品を、10月4日、本社のサロンで披露。ここではじっくりと時間をかけて見ることが出来るので、毎回欠かさないようにしています。手で触れられるので素材も分かるし、刺繍や裏地などのディテールのこだわりもよく分かるので、貴重なことです。

マリア・グラツィア・キウリにとって、今回はディオールでの初の創作なので、今までこのメゾンで活躍した複数のデザイナーへのオマージュを込めた作品も数点あり、その心に感激しました。
創立者ディオールだけでなく、その跡継ぎとしてもてはやされたサンローランや、フェレを彷彿するクリエーションは、特に素晴らしかった。

オープンしたばかりの、ディオール ジュエリー・ウォッチ専門店。
本社の道路をはさんだ反対側に、今回のショーに合わせてオープンしたジュエリー・ウォッチ専門店も拝見。ショーウィンドーにも店内にもハイクオリティの作品が並び、ディオール王国の輝きの一部を代弁しているようです。

モンテーニュ通りがさらなる煌きを放つようになり、心は浮き立つばかり。

2016年10月4日

パリの街並みの美しさを保つ努力

17世紀、18世紀の建造物。右半分は汚れたままの状態。
左半分は洗浄後の状態。これが建築当時の姿でした。
パリでは、都市景観を保つ努力を絶え間なくおこなっています。そのひとつは建物の洗浄。何十年どころか何世紀も経っている建造物は、誕生した当時は石灰石の明るい色合いがきれいだったはず。

けれども年月が経つに連れて薄黒くなり、そうした建物ばかりが並び、街全体が暗く沈んだような状態だった時期もあります。

洗浄が終わった側面。
それにしても巨大な館です。

それを改善したのは文化大臣だったアンドレ・マルロー。 彼は優れた作家で、学生時代に「人間の条件」「王道」などを夢中に読んだものです。どちらもいろいろ考えさせられる名作です。

マルローはフランスの歴史的建造物の保護に力を注いだだけでなく、建物を洗浄することによって、建築当時の美しさを取り戻す法律を作ったのです。

石原慎太郎氏は2004年の産経新聞のエッセイで、そのことにふれています。
「ドゴール政権で文化相を務めたアンドレ・マルローは、パリの煤(すす)けた建物の洗いなおしを命じ、加えて街を彩るネオンサインの色を限ったものに規制してしまった。それがパリの印象をしっとりと懐かしいものに保つに役立っている。」

この法律を作ったとき、古さが残っていたほうが歴史的価値が感じられていいという反対意見もあったようですが、やはり、建築当時の姿のほうが何倍も美しい。
豪勢な館のエントランス。もちろん、歴史的建造物に認定されています。
当初は政府高官や有力な貴族が住み、
その後、ルイ13世の時代に枢機卿になり、
ルイ14世の冶世には実質上の宰相になったマザランの手に渡り、
彼はコレクションしていた膨大な数の書物を飾っていました。




このような豪華な館を見るたびに、これでは革命が起きても不思議ではないと思ってしまいます。
この館も革命後には国の所有となり、国立図書館の一部が置かれました。
フランスの歴史を語る貴重なデッサンや絵、書類などを保管していて、私も本を書いているときに何度も足を運びました。
 
まだまだ洗浄と修復は続いているようで、完成したときにはまた中に入って、建築当時の空気に触れたいものです。

2016年10月3日

メトロの駅名は語る 2

Charles De Gaule=Etoile
シャルル・ド・ゴール=エトワール (1、2、6)号線)

パリ市民にとってもツーリストにとっても、凱旋門はパリの代表的な象徴です。

ナポレオンがロシア・オーストリア連合軍相手の戦い(アウステルリッツの戦い)で、大勝利を得た記念に、1806年、建築が開始された凱旋門。けれどもナポレオンは完成を見ずに失脚し、流刑されます。
1810年、マリー・ルイーズを2番目のお妃として迎えたナポレオンは、
仮の凱旋門の下を華々しく通りました。



幸いなことに、1810年、オーストリア皇女マリー・ルイーズと結婚した際に、木枠と布で完成予定の凱旋門を造らせ、その下を通っています。

この凱旋門を中心として12本の道路が放射線上にのびていて、上から見ると星(フランス語でエトワール)の形に見えるために、エトワール広場と呼ばれていました。
それが実現したのは、パリ大改造が行われたナポレオンの甥、ナポレオン3世の時代でした。

シャルル・ド・ゴール。
第二次世界大戦でフランスがドイツに支配されたとき、
いち早くロンドンに亡命し、
フランス国民にレジスタンスを呼びかけた英雄。
1959年に大統領になっています。
1970年、第二次世界大戦の英雄で後に大統領になったシャルル・ド・ゴールが亡くなった年に、ド・ゴールの栄誉を称えるためにエトワール広場からシャルル・ド・ゴール広場に改名。このふたつを合わせてシャルル・ド・ゴール=エトワールというメトロの駅名が生まれましたが、パリジャンはエトワール駅と呼ぶのを好んでいます。広場も同じでいまだにエトワール広場。こういう呼び方のほうがパリ通のようでかっこいい。

2016年10月2日

メトロの駅名は語る 1

1900年代初期のバスティーユのメトロ駅。
このような服装の時代にメトロが開通したのは驚きです。
1900年のパリ万博の際に開通したメトロ。現在14号線まであるメトロは、パリ市民にとってもツーリストにとっても重要な足です。

駅の構内は趣向を凝らした装飾がなされ、さすが、芸術の都だと関心します。駅名にもそれぞれいわれがあって、それを辿りながらフランスの歴史を学べるのも楽しいことです。

今日から主だった駅名の裏話をご紹介します。
何気なくメトロに乗っているけれど、この駅にはこういう意味があるのかと思っていただければ嬉しいです。

Montparnasse Bienvenüe
一回目はモンパルナス=ビアンヴニュ (4,6,12,13号線)

 モンパルナスは20世紀初頭に世界中から芸術家が集まり、その界隈にあったカフェ「ル・ドーム」「ラ・クーポール」「ラ・ロトンド」などをたまり場としていました。

モンパルナスという名はギリシャ神話に書かれている、文芸のミューズが暮らしていたパリナッソス山が起源。17世紀にこの地に瓦礫が積まれていて、小高い丘のようになっていました。それを学生たちがふざけてモンパルナス(パルナス山)と呼ぶようになったのです。

「メトロの父」ビアンヴニュ
 ビアンヴニュは「メトロの父」と呼ばれる技術者の名で、パリのメトロを手がける前に鉄道開発に従事し、パリ=ストラスブール線を実現。そのほか水道橋も手がけています。

パリの万博開催が近づいた1898年、メトロの企画が正式に決まり、1900年7月19日ポルト・マイヨとポルト・ドゥ・ヴァンセンヌをつなぐ東西にのびる一号線が開通。引き続き2,3,4号線も開通。

1933年、パリ市は ビアンヴニュの名をメトロにつけることにします、栄光に包まれた彼は、それから3年後84歳の生涯をパリで閉じ、パリ市内のペール・ラシェーズ墓地に埋葬されました。

2016年10月1日

パリの犬たち 96

久しぶりの快晴の日に・・・・
お天気に浮かれてママンがママン友と女子会。
そのにぎやかなこと。
ワタシは足元で聞かないふりしながら聞いている。
でも、どうでもいい話ばかりなので、ウトウトと眠くなる。


だけど・・・・
ナンだか大きな黒い物体がこちらに向かっているみたい。
しかもすご~く迫力がある。
こうなったらウトウトなんかしていられないワン。
ギャーッ、たいへん。つぶされそう!!
ここは人と犬が安心していられる歩道のはず。
なのにどうしてオートバイが入ってくるの?
理解に苦しむばかりで、眠気がさめてしまったワ~ン。

2016年9月30日

カルティエの新製品発表会

カルティエを象徴するパンテールの像。
迫力満点。
ファッションウィークに合わせて、ハイジュエリーのニューコレクションお披露目もあるパリ。多くのメゾンは7月のオートクチュールのときだけに行いますが、カルティエはプレタポルテの時期にも新作を発表。さすが、あふれるほどの創造性と、それを実現する財力を持つメゾンです。

バッグの新製品をバスルームをイメージした部屋で展示。
意表をついた展示法に脱帽。
ジュエリー大好きな私は、こうした催しは欠かせない。ジュエリーの輝きに呼ばれているようなのです。依頼されていたいくつかの原稿を送り、ほっとしたので、書きかけている歴史物の資料を読もうと、数冊の本を机の上に並べてみた。でも、心が浮き立つばかりでちっともはかどらない。資料をかたし、プレタポルテのショーもそこそこに、カルティエ新製品に会いに行きました。

誰にも似合いそうなブレスレットとリング。
意表をついた演出に長けているカルティエ。
今回は邸宅に招待されたような雰囲気がいっぱい。エントランスで数人の美女、美男に迎えられ、長い廊下をまっすぐに進むと、広々したサロンがあり、そこにメゾンを象徴するパンテールの彫刻が待っている。壁には驚くほど大きな宝石のパンテールの映像が写され、その手前にはゴージャスなブーケ。

再度、カクチュスが登場。
一階でジュエリーや時計を堪能した後、二階に行くと、バスルーム、ベッドルーム、お化粧室などが設置され、ジュエリーやバッグが展示されている。
その先にはテラスがあり、ドリンクとおつまみを手に、話に花を咲かせる。

一階に戻るとチョーイケメンが、
「記念にお写真はいかがですか?」
ですって。
シャネルのブラウスを着ていて良かった。
その場でそのお写真をいただきましたが、ちょっと緊張気味。

左頬にジュエリーのキラメキを受けているみたい。
カルティエのステキな時間に感謝。

2016年9月29日

パリ、ファッションウィーク

おしゃれ上手な女性の姿があちこちで見られ
感性が磨かれるのものこの期間。
自分に自信を持っているのがわかる、堂々とした歩き方がいい。


昔「パリコレ」、今「ファッションウィーク」
呼び方は変わっても中身は同じで、ニュー・コレクションを各メゾンが紹介します。

2017年春夏プレタポルテのショーを行うメゾンを、スケジュール表で数えてみたら、ナンと92もある。この数字を見ただけで目眩がしたり、疲れが出たり。 この業界の厳しさが分かります。

今回のショーの開始は9月27日、終了が10月5日。
話題は、デザイナー交代劇があったサンローラン、 ディオール、ランバン。
どのような評価がなされるか、売り上げはどうなるか、今後大いに楽しみです。

めまぐるしくデザイナーが変わるメゾンが多い中で、シャネルのラガフェルドほど息の長い人は珍しい。モニュメントといってもいいほど。何しろ彼は、クリスチャン・ディオールの時代からデザイナーだったわけだから、最長記録の保持者でしょう。しかも、今でも活躍中だからファッション界の宝です。

チュイルリー公園の入り口の、
「パリ・シュール・モード」「プルミエール・クラス」の表示。
ここで、アクセサリーとファッション小物の新コレクションが発表されます。
ただし、バイヤー、ジャーナリストなど関係者向け。

華やかなショーとは別に、これから世に出ようと願うデザイナーや小物のクリエーターは、ホテルや特別展示会場で作品を披露します。ブランド名を覚えてもらうためには、こまめに展示しなくてはなりません。

チュイルリー公園内には5000m²もの巨大なテントが張られ、その中のブースを借りて、世界中から集まるバイヤーやジャーナリストに見せる人もいます。ブースの数の多さからも、この世界の競争の激しさが分かります。ファッションは年中変わらなければならない。進取の精神を持っていなかればならない。しかも、利益を生む製品を創作しなければならない。やはり厳しい世界です。