シャルル・ド・ゴール=エトワール (1、2、6)号線)
パリ市民にとってもツーリストにとっても、凱旋門はパリの代表的な象徴です。
ナポレオンがロシア・オーストリア連合軍相手の戦い(アウステルリッツの戦い)で、大勝利を得た記念に、1806年、建築が開始された凱旋門。けれどもナポレオンは完成を見ずに失脚し、流刑されます。
1810年、マリー・ルイーズを2番目のお妃として迎えたナポレオンは、 仮の凱旋門の下を華々しく通りました。 |
幸いなことに、1810年、オーストリア皇女マリー・ルイーズと結婚した際に、木枠と布で完成予定の凱旋門を造らせ、その下を通っています。
この凱旋門を中心として12本の道路が放射線上にのびていて、上から見ると星(フランス語でエトワール)の形に見えるために、エトワール広場と呼ばれていました。
それが実現したのは、パリ大改造が行われたナポレオンの甥、ナポレオン3世の時代でした。
シャルル・ド・ゴール。 第二次世界大戦でフランスがドイツに支配されたとき、 いち早くロンドンに亡命し、 フランス国民にレジスタンスを呼びかけた英雄。 1959年に大統領になっています。 |