シャトレ (1,4,7,11,14号線)
「シャトレ」は「小城砦」という意味で、パリがシテ島を中心とした小さなた町だった時代に、侵略者から守るために造られました。セーヌ川左岸にプティ・シャトレが、そして右岸にグラン・シャトレがあったのです。
1785年、革命前のグラン・シャトレ。 |
当初、木造だったシャトレを頑丈な石造りに変えたのは1130年、国王ルイ6世の時代でした。
ところがその後パリが拡大され、シャトレは砦の役目を失ってしまいます。
以後、右岸のグラン・シャトレには警察、牢獄、裁判所が置かれるようになり、革命の際の1790年には350人もが捕らえられていました。プティ・シャトレも一時期監獄になっていましたが、革命数年前に除去され広場に変わります。
1808年、グラン・シャトレの取り壊し作業。 |
ナポレオンが皇帝だった1808年、グラン・シャトレが取り壊され、広場が造られ、ナポレオンのいくつもの戦勝を記念する塔と噴水が中央に飾られます。
1810年、ナポレオン皇帝の命令で造られた塔。 |
その後1858年、ナポレオン皇帝の甥であるナポレオン3世の時代に、スフィンクスの噴水がある立派な台座が加えられ、現在見られるモニュメントになります。
このシャトレ広場からメトロの名が生まれ、ふたつの劇場もあるし、植物を扱う店舗が軒を並べ、犬や猫、小鳥を売るペットショップもあるので利用者がとても多い。
ナニを隠そう。私の愛猫との出会いも実はここのペットショップ。それでシャトレと名づけたのです。ああ、なつかしい・・・