パレ・ロワイヤル=ミュゼ・デュ・ルーヴル (1,7号線)
17世紀のパレ・ロワイヤル。 |
後にパレ・ロワイヤルと呼ばれる広大な館を建築させた、 ルイ13世の宰相であり枢機卿リシュリュー。 |
国王に忠実な彼は、ルーヴル宮殿に暮らしていた王の近くに自分の住まいを持ちたいと思ったのです。王もリシュリューに頼りきりでした。
幼少のルイ14世(左)と、弟のオルレアン公フィリップ(右)。 |
亡き父を継いで王太子がルイ14世と名乗り、ルーヴル宮殿に暮らしていましたが、母の希望で「パレ・カルディナル」に居を移し、それ以降「パレ・ロワイヤル」と呼ばれるようになったのです。
4歳で国王になったルイ14世は、パレ・ロワイヤルに暮らしながら、リシュリューの後継者マザランの指導のもとに立派な君主に成長していきます。
乗馬の練習をしたのはパレ・ロワイヤルの広大な庭園だったし、中央にあった大きな池で危うく溺れそうになったこともあります。
オルレアン家の紋章が刻まれた会議室。 革命前の豪華な生活が伺えます。 |