2017年4月19日

パリの犬たち 126 

二階建てバギーだよ。
ボク、トニーっていうお名前。
何だか複雑な環境の中にいるようだけど、ここはバギーの一階。
ボクが居心地いいように、枕もスカーフもあるんだよ。
お二階はべべちゃん用。
べべちゃんのお手てとお帽子がちょっとみえるでしょ。
いつかボクとべべちゃんの場所をかえてほしいワン。

2017年4月18日

メトロの駅名は語る 37

Cité
シテ(4号線)

シテ島の唯一の駅で、入り口も一箇所のみという変った駅です。
紀元前250年ころからケルト人のパリジイ族がこの島に住んでいて、このパリジイから後年にパリという都市名が生まれすが、当時はリュテシアと呼ばれていました。

シーザー(右の赤い服)率いるローマ軍に破れ
剣を手放すケルト人ヴェルサンジェトリクス(馬上の人)
素朴でのどかな生活を送っていたパリジイ人でしたが、ローマのシーザーが大軍と共にフランスに侵略し、シテ島だけでなく各地で猛威をふるい、紀元前52年からローマ支配に入ります。
シーザーによる侵略に率先して戦ったのがケルト人部長ヴェルサンジェトリクス。彼は捕らえられローマで処刑されますが、フランス最初の英雄として歴史に名を残しています。

フランク王国初代国王クロヴィス1世とクロチルド王妃。
しばらくの間ローマ支配が続きますが、ゲルマン民族が大移動しローマ人は追い払われます。ゲルマン民族の一族であるサリー・フランクの王の息子として生まれたクロヴィス1世が、フランク王国を築き、その首府としてシテ島を選んだのが508年。 このときからシテ島は脚光を浴び、発展を続けるようになります。フランク王国は現在のフランス、イタリア北部、ドイツ西部、さらにスイスやオーストリアなどに及ぶ破格の大きさの国でした。その首府としてシテ島が選ばれたのですから、大変名誉なことです。

15世紀のシテ島の様子。
仕事をする女性たちの後方に、
王宮と右側にサント・シャペルが見えます。
現在、司法宮(パレ・ドゥ・ジュスティス)となっている場にはローマ時代から本拠が置かれ、クロヴィス1世からはじまったメロヴィング朝の王宮もありました。それに続くカロリング朝とカペー朝の時代に王宮が拡大され、ステンドグラスが美しいサント・シャペルも建築されます。

17世紀のシテ島とノートル・ダム大聖堂。
セーヌ川の船での交易が盛んだったことがわかります。
ところが14世紀の国王シャルル5世はシテ島の王宮を離れ、マレ地区の館やルーヴルに暮らすようになり、シテ島の王宮には高等法院がおかれます。

1770年のノートル・ダム大聖堂内部。
ローマ人が支配していた時代に神殿があり、その後クロヴィス1世が祈りの場を造らせたといわれる跡に、ゴシック建築の壮麗なノートル・ダム大聖堂が建築され、さらにずっと後年にはパリ警視庁、病院などが生まれ、パリ発祥地にふさわしい中核をなしていきます。

1827年のシテ島。現在の姿に近くなってきました。
この絵のように、尖塔が一時期なかったこともあります。
船の形をしたシテ島がセーヌ川に浮かんでいるように見えるのも、偶然とはいえ不思議です。ここから町が左岸や右岸に拡大されていったのですから、シテ島はパリの起点なのです。

2017年4月16日

パリの犬たち 125

イースターの日に教会に行ったのに・・・・
キリストの復活をお祝いする特別ミサがあるというから、
心弾ませて教会に行ったのに、ワタシは入れなかった。

なので、とってもとっても悲しいの。
でも、入り口の階段にいると、
教会から賛美歌が聞こえてくるから、
それだけでもいいわ。

2017年4月15日

チューリップがいっぱい

満開のチューリップ。気取りがなくかわいいお花。
かわいいチューリップの花を、あちらこちらで見かける季節。
我が家のベランダでも咲いていたのに、なぜか今年は姿を見せない。
去年までは花が咲き終わってそのままにしておいても、翌年にはにょきにょき育ちきれいな顔を見せてくれたのに、今年はどうしたのかと、ちょっと寂しい。

これもチューリップ。
オランダ黄金時代の17世紀に、チューリップの球根が異常に値上がりし、チューリップ・バブルさえ起きたというのだから、お花といえども重要な投資。

パリのたくさんの街角で見られるチューリップ。
気負いなさがいい。
だから誰からも好かれるのでしょう。

フランスの作家アレクサンドル・デュマは、それをめぐる陰謀を小説にした「黒いチューリップ」を発表。大評判を得て映画化されたのだから、話題豊富なお花です。
短期間しか咲いていないのが残念だけれど、だからこそ愛着を抱くのかも。

チューリップ発祥地のトルコでは、国花になっています。トルコからオランダに渡り、またたく間に世界中を魅了したお花です。

2017年4月14日

メトロの駅名は語る 36

Les Halles
レ・アル(4号線)

レ・アルは中央市場という意味で、その名の通り、ここにはパリ市民の日常生活に欠かせない市場がありました。

1770年代の中央市場広場。
この近くに屋根つきの卸売り中央市場がありました。
小規模ながらマルシェが生まれたのは12世紀のことで、肉や野菜、パン、ワインなどを売っていました。その後、パリの人口が増えるに従って拡大され、16世紀には卸売りの中央市場として屋根つきの建物が誕生します。

小麦専用の中央市場。
右がカトリーヌ・ドゥ・メディシスが造らせた円柱(天文台)で、現在も残っています。
中央市場は取り扱う品によって建物が異なっていましたが、1760年にはクーポルつきの立派な小麦売り場も作られます。その地にはカトリーヌ・ドゥ・メディシスが建築させた館がありましたが、1740年に取り壊されます。カトリーヌが館の一部に作らせた円柱(彼女専用の天文台だったといわれています)は今でも残っていて、パリのモニュメントとして注目を集めています。

小麦を扱っていた建物はその後、商品取引所となり現在も残っていますが、実業家フランソワ・ピノーにより美術館として新たな姿を近々見せるそうです。

バルタールの案に従って、
近代的設備を整えたガラスと鉄骨の中央市場、レ・アルが誕生。
パリ市民の食料品を扱うからには、衛生にも気を配らねばならない。ということで、1848年に安心できる本格的な中央市場を建築することになり、コンクールの結果ヴィクトール・バルタールの案が採用されます。

バルタールによって建築された中央市場。1919年ころ。
1852年から1866年にかけて建築された中央市場は、1969年にその界隈の再開発のためにパリ南郊外のランジスに移動し、バルタールによる中央市場は解体される運命を辿ります。

けれどもそれを悔やむ人や反対者が結束した結果、1棟がパリの東、ノジャン・シュール・マルヌに移され、現在はパヴィリオン・バルタールと呼ばれ、コンサートなどのイヴェント会場として親しまれています。

若者たちで賑わうショッピングセンター、カノペ・デ・アル。
その後レ・アルには巨大なショッピングセンター、フォーラム・デ・アルが登場。若者たちに愛されていましたが、それも老朽化し再び再開発がなされ、現在は深い森を意味するカノペ・デ・アルと呼ばれるガラスを主体としたコンテンポラリーなショッピングセンターになっています。

フランスの文豪エミール・ゾラが、中央市場を舞台にした小説「パリの胃袋」を書き、それにちなんでパリの胃袋と呼ばれていた時代から、レ・アルは何と変ったことでしょう。

2017年4月13日

パリの犬たち 124

あっちに行きたいのに・・・
アツ!! ボクの好みの女の子があっちにいる。
ネェ、向こうに行こうよ。

ボクの気持ちをちっとも理解しないママンは、強引にこっちを行く。
早く体力つけて
ボクが行きたいところにママンを引っ張っていきたいワン。

2017年4月12日

イースター合戦たけなわ

イースターまで後わずか。
この日をお祝いするために、チョコレートを求めて歩き回るパリの人たち。

無限にある創造性にただただ関心。
本来はニワトリやウサギの形のチョコレートが多いのに、今年はバラエティに富んでいる。あまりにもたくさんのアイディアがあるので、まるで、イースターのお祝いというよりチョコレートコンテストみたい。どれがいいかな~とぐるぐる回って見ているけれど、食べるより観賞していたい感じ。
大人気の「ちょうちんチョコ」
マンガのキャラクターかな?
メチャかわいい!!


みんな揃って高い高~い。
ナンてにぎやかなこと。仲間入りしたい。
こちらはラヴリーワールド。ここにも行きたい。
我はフクローじゃ。わかるかな?
とってもやさしいんだよ。
カメも登場。これを食べたら長生きするのかしら。 
ならば、たくさん食べよう。