レ・アル(4号線)
レ・アルは中央市場という意味で、その名の通り、ここにはパリ市民の日常生活に欠かせない市場がありました。
1770年代の中央市場広場。 この近くに屋根つきの卸売り中央市場がありました。 |
小麦専用の中央市場。 右がカトリーヌ・ドゥ・メディシスが造らせた円柱(天文台)で、現在も残っています。 |
小麦を扱っていた建物はその後、商品取引所となり現在も残っていますが、実業家フランソワ・ピノーにより美術館として新たな姿を近々見せるそうです。
バルタールの案に従って、 近代的設備を整えたガラスと鉄骨の中央市場、レ・アルが誕生。 |
バルタールによって建築された中央市場。1919年ころ。 |
けれどもそれを悔やむ人や反対者が結束した結果、1棟がパリの東、ノジャン・シュール・マルヌに移され、現在はパヴィリオン・バルタールと呼ばれ、コンサートなどのイヴェント会場として親しまれています。
若者たちで賑わうショッピングセンター、カノペ・デ・アル。 |
フランスの文豪エミール・ゾラが、中央市場を舞台にした小説「パリの胃袋」を書き、それにちなんでパリの胃袋と呼ばれていた時代から、レ・アルは何と変ったことでしょう。