2019年6月18日

パリの犬たち 201

世の中の下の方はとっても複雑だワン

足が多すぎて複雑、複雑。
のんびり歩くこともできないワン。

何しろご覧のとおり、あっちもこっちも足ばかり。
その間を被害を受けないように歩くのは、とっても疲れる。
だって、踏まれないように見張っていなければならないんだもん。
ああ、やっと静まった。これからがホントウのお散歩。
「ヨカッタね」
「ウン」

2019年6月16日

やっとシーズンにふさわしい気候になったパリ

寒かったり暑くなったり好き勝手な気候が続いていたパリが、やっと本来の気温になるべきだと決心したようで、今後は20度以上の日が続くそう。

でも6月半ばだというのに激しい霰に見舞われ、車や家のガラスが壊れたりする地域もあったようで、パリもいつ異常気候に襲われるか分からない。だから太陽がある日には必ず外に行くことにしています。

人間も動物も鳥も水辺が好き。
マロニエの木の下で時を忘れて憩うのは最高。

緑の中のジュリアス・シーザーの石像から、
たくさんのパワーをもらえそう。
最近急にカラスが増えたように思えます。
なぜか高いところがお好きなようです。
  
すっかり仲良しになったヤギさん。
今日も元気な声で「メェ~」と言ってくれました。
それだけで生きている喜びを感じるのだから、私も単純。
9月末まで草むしりのお仕事を続けるそう。

公園で大勢の人が憩っている姿を見るとなぜか安心するし、ヤギさんのおっとりした草むしり姿も平和でいい。カラスが大声出しの競争をするのも元気があっていい。あちらこちらに佇む彫刻も青空と豊かな葉をつける木々に囲まれて、ひときわ美しく見える。

このお天気、ずっと続いてほしい。

2019年6月13日

ヴェルサイユ宮殿、王妃の寝室の輝き

フランスの過去の栄華をもっとも強く伝えるヴェルサイユ宮殿。鏡の回廊をはじめとし、礼拝堂、オペラ劇場、謁見の間、衛兵の間、国王の執務室など金箔と大理石が高貴な輝きを放つ宮殿は、ヨーロッパ諸国の王侯貴族の憧れを掻き立て模倣とされたほど。そこから生まれたアール・ド・ヴィーヴルは、現在も引き継がれている重要な文化です。

私が特に心をひかれるのは「王妃の寝室」。そこで目にする華やぎには格別なオーラがあり、見るたびに高揚を覚えます。先日その部屋をゆっくり訪問できたのはとても幸せなことでした。

王妃の居室に向かう「王妃の階段」

絢爛豪華なヴェルサイユ宮殿ならではの
ゴージャスな「王妃の寝室」
特別に許可して下さったお陰で、
王妃の胸像をこれほどまじかに見れて感謝、感激。
「メルシ― ムッシュー」
王朝時代の緻密なフランス職人技は驚異的。
過去のこうした技が
途切れることなく現在でも継承されているのが素晴らしい。

当時の時計が今でも正確に時を刻んでいます。
あまり知られていませんがフランスの時計技術は
大変優れていたのです。

今は時計と言えばスイスですが、16世紀まではフランスが世界一でした。
1517年、ドイツでルターが始めた宗教改革の影響を受け、
新教に改宗したフランスの技術者たちが弾圧からスイスに逃れ、
そこで時計作りに励むようになったのです。


今回特別な計らいで通常近寄れない箇所にまで入ることができ、ディテールまで見れたことは大変貴重でした。マリー・アントワネットに関する本や雑誌の原稿も何度も書いたので、その主人公の息吹を感じられる部屋には特有の思いがあるのです。

ルイ14世が建築させ、ルイ15世が楽しみ、ルイ16世が責任を取らされたとフランス人が語るヴェルサイユ宮殿。宮殿の規模も、絢爛豪華な装飾も、幾何学様式の広大な庭園も、そこで繰り広げられていた宮廷生活の華やぎも、いろいろな国を訪れれば訪れるほど比類なきものだと思います。

世紀を超えて威厳と輝きを放つヴェルサイユ宮殿は
フランスのもっとも大きな誇り。
ヴェルサイユ宮殿が放っていた過去の栄華の輝きが、今でもフランスに特有の威厳と煌めきを与えているようにさえ思えます。

2019年6月11日

サンローランのニューショップ

サントノレ通りの伝説的なブティック「コレット」が閉まり、その後すぐに工事を始めた「サンローラン リヴ・ドロワット」の新しいブティックが6月8日にオープン。

外観は白一色。素通しガラスが正面にもサイドにも張り巡らされていて清々しい。地下、一階、二階に種類豊富なアイテムが間隔を置いてディスプレイされていて高級感があるけれど、気取った感じは皆無で気軽に入れるのが魅力。

サントノレ通り213番地にオープンしたサンローランのブティック。

清涼感溢れる店内。
ゴールドの文字がハイクラス。
サントノレ通り213番地。

イヴ・サンローランの時代には「イヴ・サンローラン リヴ・ゴッシュ」だけだったのが、今は「サンローラン リヴ・ドロワット」が数ヵ所にある。ちなみにリヴ・ゴッシュは左岸でリヴ・ドロワットは右岸という意味。イヴ・サンローラン本人が活躍中はオート・クチュールは右岸でプレタは左岸と分かれていたのです。

そのころからかなりの時代が流れたのだとしみじみ感じます。

2019年6月9日

パリの犬たち 200

とっても楽しいドッグシッターとのお出かけ

お天気がいい日に、パリのど真ん中をお散歩。
大きいちゃんたちは自分で歩く、
小さいちゃんたちはお車に乗って、ラクラク。
みんな仲良くしているし礼儀正しいので、道行く人が驚いている。
それを見るのも楽しみのひとつ。

テレビでも紹介されてちょっと有名人?になったボクたち。
そのうちサインしてと頼まれるかも。
時間があるときに練習しなくてはならないワン。
ネー、君たち疲れていない?
車に乗りたかったらシッターさんに言ってネ。
イヌ語で通じるからね。

2019年6月7日

ノルマンディー上陸作戦75周年記念

アメリカ、イギリス、カナダを中心とする連合軍が、イギリスからドーバー海峡を渡りドイツ支配下にあったフランスのノルマンディーに上陸する作戦を実現して、今年は75周年記念の年。これは15万人もの兵士が参加した史上最大規模の作戦。

欧州連合軍最高司令官のアメリカ軍人アイゼンハワーが「レッツ・ゴー」のサインを出したのは6月5日。それから75年後の同じ日、ノルマンディー上陸作戦に参加した国々の国家元首が集まり、エリザベス2世女王列席の元にイギリスのポーツマスでセレモニーが行われました。

その翌日6月6日、フランスのノルマンディーのオマハビーチ近くにあるアメリカ兵墓地を前に、アメリカとフランスの大統領によるオマージュの式が催されました。当時20歳前後だったアメリカ兵。彼らは目的も知らされないまま大海を越え、作戦開始直前にノルマンディ―上陸を告げられ、恐怖にかられながらも命をかけて戦い、フランスに、ヨーロッパに自由を取りもどしたのです。

フランスはこのことを決して忘れないとマクロン大統領は若い声で宣言し、セレモニーに招待された生き延びたベテラン兵士たちは涙ぐみ、当時の爆撃機が何機も空を飛ぶと歓声がわきあがり、アメリカ兵墓地に白いブーケを捧げて式典は終わりました。

ノルマンディー上陸作戦を直前にした兵士たちに言葉を送る、
欧州連合軍最高司令官のアメリカ軍人アイゼンハワー。

イギリスからドーバー海峡を横断し、
目的地であるノルマンディーのビーチに向かうアメリカ兵たち。
ノルマンディーのオマハビーチにおける連合軍。

75周年記念のセレモニーは最初から最後までテレビの実況中継でみました。何よりも感激したのは、現在90歳を超える上陸作戦に参加したベテランたちが、元気な姿を見せていたこと。両国の国歌演奏の間数分間立ち続け、二人の大領領の長い演説が終わった時に起立して拍手を送る姿は、多くの人に希望と勇気を与えたことでしょう。

この日の主役は史上最大作戦のベテランたちでしたが、トランプ大統領が招待された数人のヒーローたちの生い立ちや業績を、すべて空で語ったことも注目されました。矍鑠とした旧兵士たち、説得力に長けた大統領の演説。アメリカ人への評価があがった印象を受けた記念行事でした。

2019年6月4日

メトロの駅名は語る 126

Vaneau
ヴァノー(10号線)

「7月革命」で若い命を失ったルイ・ヴァノーに捧げる駅名。

ルイ・ヴァノー(1811-1830)の最期。

エリート校ポリテクニックの学生だったルイ・ヴァノーが、19歳の若すぎる命を終えたのは1830年7月29日でした。

その年の7月27日から29日までの3日間、シャルル10世の絶対王政に断固として反対するパリ市民たちが結束し暴動を起こします。労働者や学生が団結し道路という道路にバリケードを築き、パリ市長舎やルーヴル美術館、チュイルリー宮殿などを占拠し国王を脅かします。

シャルル10世。
革命で処刑されたルイ16世の末弟。
彼のすぐ上の兄プロヴァンス伯とともに亡命し
運良く生き延びます。

ナポレオン失脚後の王政復古で
プロヴァンス伯がルイ18世となり、
国王亡き後シャルル10世として即位。

ルイ・フィリップ。
ルイ14世の弟オルレアン公の子孫。
自由主義者で「国の王」ではなく、
「国民の王」になると宣言し期待を抱かせます。

産業が発達したのはこの国王の時代です。

「栄光の3日間」と呼ばれるこの革命で、国王シャルル10世は家族と共にロンドンに亡命し、革命後の王政復古で王座を取り戻したブルボン朝が終りを告げます。その後選ばれたのはオルレアン家のルイ・フィリップ。自由主義者の彼は立憲君主制を実施し、18年間国を治めます。

1830年の7月革命はヨーロッパの多くの国に影響を与え、オランダの支配下にあったベルギーが独立し王国を設立。ロシア帝国の干渉に不満を抱いていたポーランド王国でも反乱が置き、国際秩序のウィーン体制さえも揺れ動いたほどでした。

制服姿で労働者とバリケードを設置する
ポリテクニックの学生たち。
ドラクロワによる「民衆を導く自由の女神」は、
1830年の7月革命を描いています。

これほど重要な成果をあげた7月革命に、将来を有望視されていたポリテクニックの学生が結束して制服姿で加わったのです。その一人がルイ・ヴァノーでした。若き英雄ヴァノーの名は母校の中庭に付けられただけでなく、メトロの駅名、ロダン美術館近くの道路名にもなっています。