2014年9月29日

嬉しいニュース


今日のアマゾンによると、最新書「カルティエを愛した女たち」が、カテゴリ女性史のベストセラー第一位だそうです。

嬉しいです、幸せです。地球上の人全員とカンパイしたいくらい!!!
引き続きよろしくお願いいたします。

2014年9月27日

パリコレです

ルーヴルのクールカレに
浮かぶDIORの文字。
黒い部分が会場エントランス。

2015年春夏プレタポルテのコレクションが今たけなわです。夏が終わったばかりだというのに、もう来年のお話。

モードは先へ先へと誘ってくれるので、何となく時代を先取りしている感じ。
楽しいです。

今回のディオールのショーは、
まず会場が驚きの場。
ルーヴルのもっとも古い建造物に囲まれた、いわば中庭にあたる石畳のクールカレが選ばれたのです。
その上に大きなテントを張り、その中でコレクション発表が繰り広げられたという素晴らしいアイディア。

ディオールのコレクション
クールカレといえば、13世紀の国王フィリップ・オーギュストが、パリを守るための城砦として建築させたもの。歴史がしっかりと浸み込んでいて、そこに行くたびに「フィリップ・オーギュストの声が聞こえるみたい」などと、大感激する私なのです。

現存する最古の建造物に包まれた会場は、入り口も驚きの発想。
DIORという文字が、空間の中に浮かんでいるように見える。近づくとそれが透明の版に支えられいるのに気がつきます。
その下の黒一色の仮説通路がエントランス。
そこを通って行くと、突然、明るくコテンポラリーな会場に到着する仕組み。

もっとも関心したのは、ルーヴル最古の建物を損ねないように、
透明版にDIORと爽やかな文字で記したこと。
日仏と新旧のミックスです。

歴史的に重要な場で、未来を語るコレクション。
新旧の組み合わせに、ディオールの秀でた感性を再認識。

なぜか、この日の私も新旧のミックス。
日本の伝統的な絞りの羽織と、黒のセーターとタイツ、そしてディオールのブーツとバッグ。
感性に共通点があるのかしら、などどひとり感激に浸っていました。

現代に即した、若く花のような女性ばかりのコレクションは、文句なしに素晴らしかった。

2014年9月25日

ルーヴル美術館とDNPのコラボレーション

古代ギリシャの傑作
「アンタイオスのクラテル」と
手前に置かれたディスプレイ。



美術作品とそれを観賞する人との間につながりを生む、DNP(大日本印刷)が開発した画期的観賞システム。それによってルーヴルの作品の見方がかわるのだから、日本の技術は素晴らしい。

ルーヴル美術館におけるDNPとのコラボレーションが始まったのは2011年のこと。
それ以降、毎年対象とする作品を変えながら実施され、訪れる人々に驚異の目で見られています。

今回の対象になっているのは古代ギリシャ・エトルリア・ローマの作品。

そこに設置された観賞システムは、重要なポイントや歴史的背景、逸話などをわかりやすく教えてくれるので、楽しみながら多くを学ぶことができるのです。それによって、同じ作品でも見方が変わってきます。


観賞システム導入で
活性化された古代ギリシャ展示室
これこそ現代に即した新たな美術観賞。

例えば、ギリシャ彫刻を展示している部屋に設置された観賞システムのディスプレイは、手でそっと触れることによって、ギリシャの神々の見分け方が画像ではっきりわかるし、詳細を知りたければその部分をタッチすると拡大される。

子供たちも簡単に操作でき、このようなテクノロジーがあることに驚き、それを操作する喜びを味わい、歴史的傑作と自分の間に強いつながりがあることを体感し、親しみを感じることができる。

美術品に大きな興味を持っていなくても、このシステムにより親近感を抱けるのは重要なこと。

ルーヴルが美術品を展示しているだけではなく、テクノロジーも採用し、常に新たな動きを示していることはフランス人にとっても大きな誇りに違いない。
DNP常務取締役北島氏。
時代の変貌に従って美術品の鑑賞の仕方も変わる、
世界に誇れるDNPの観賞システムです。

鈴木駐仏大使、DNP常務取締役北島氏、ルーヴル美術館副館長、パリ駐在の日本企業代表
などが一同に集まっての9月24日のオープニング・セレモニーは、美術館内のコンテンポラリーな装飾のレストラン、ル・グラン・ルーヴルで行なわれ、現代に合った日仏文化交流をお祝いしました。

ルーヴルが過去の傑作を展示しているだけでなく、「今」との強いつながりを持っていることを示すDNPの観賞システム。新たな息吹をルーヴルに吹き込んだと言えるでしょう。

このシステムが更に増え、美術への関心と知識が増えることは有意義なこと。来年はどのような発見、驚きを経験できるか今から楽しみ。

2014年9月22日

ナポレオンの母が住んでいた大邸宅


9月第3ウィークエンドは世襲財産の日。
この日には歴史的建造物が一般に公開され、
誰でも訪問することができます。
大統領官邸、首相官邸、迎賓館、大使公邸など、
並ぶことを覚悟すれば、無料で見られるのだから素晴らしい。

ナポレオンの母
レティツィア
今年は絶対に国防省に行くのだと決めていた私。
朝早くに、軽装でウキウキしながら7区の国防省に向うと、思ったとおり行列。
雨模様だからきっと人も少ないだろうと安心していたのに、いやいやパリジャンはマメというか、自分たちの街にある歴史的建造物にいかに関心が深いか、改めて知りました。


階段上でナポレオンの肖像画が
待っています。
なぜ国防省にこだわっているのか。
それにはわけがあるのです。
実は、この建物には、ナポレオンの母レテイツィアが住んでいたのです。
彼女に関する本「息子を国王にした女たち」を書いた私としては、皇帝の母となったレテイツィアが、パリでどのような館に住んでいたかに興味を抱くのは当然。
思った通り素晴らしい大邸宅で感激もひとしおでした。

音楽の間
現在国防省になっているこの大邸宅は、1725年にブルボン侯爵の愛人、プリ侯爵夫人の住まいとして建築が開始されました。その後数人の高位貴族の手を経た後に、革命で没収され、1802年に内務大臣だったナポレオンの弟リュシアンが購入。
1804年に皇帝になったナポレオンが、この館に母レテイツィアを住まわせることにし、彼が失脚するまで母后のパリの住居だったのです。
そのために第一帝政様式の装飾も見られるし、第一、ナポレオンの大きな肖像画も飾ってある。彼が使用した家具もある。
分厚いカーペットや瀟洒な家具、絵画、シャンデリアなどが、皇帝の母にふさわしい輝きを発していて、ただ感激、そしてまた感激。

レテイツィアは実際には質実剛健の女性だったようですが、やはりフランス皇帝の母にふさわしい生活を営む必要があったのでしょう。

ナポレオン失脚後に共和国政府が買い取り、戦争大臣の館となります。
さらに時が経ち、世界大戦で名をなした偉大なクレマンソーやドゴールが執務室をとり、おふたりの記念の品々も多数保管しています。

いくつもあるサロンのひとつ。

けれども私には、ナポレオンの母の住まいだったことがもっとも印象的だし重要。念願が果せて最高に幸せ気分です。体全体で受けた素晴らしい輝き、心が一段と喜んでいるのがわかります。幸せホルモンのセロトニンが今日もたっぷり増えたかな。


広々とした会食の間。
いくつもある窓から見える内庭が素晴らしい。

2014年9月20日

あるパールのお話


1613年から300年ほどロシアに君臨していたロマノフ王朝の人々が所有していた宝飾品は、ひときわ豪華で、しかもいくつも重ねてするのを好んでいたようで、肖像画を見るだけで卒倒しそうなほど華やかです。

ところが1917年に革命が起き、王侯貴族は祖国を離れ安全の地へと逃げ延びます。イギリスに向った人も多かったし、フランスに向った人も多かったと歴史は語っています。その際に誰もがジュエリーをできるだけ多く持ち出しました。亡命後の生活費とするためです。
ロシア最後の皇帝
ニコライ二世の母后。
彼女のネックレスのパールが
後にイギリス王妃所有となったと
言われている。

ロシア最後の皇帝ニコライ二世の母后、マリア・フョードロヴナは、格別の美貌に恵まれた女性で、どの肖像画を見ても麗しい。
革命のときに皇太后だった彼女は、クリミア半島に幽閉されますが、そこから船で脱出に成功し、イギリスに短期間滞在します。そこで、エドワード7世の妃である姉、アレクサンドラ王妃が優しく迎えます。
その後彼女は生まれ故郷のデンマークへと向かいます。

ロシア皇太后マリア・フョードロヴナは、首都を離れる際に多くのジュエリーを持ち出しました。その管理を頼まれたのは娘のオルガ。彼女は民間人と結婚していたために、皇族と見なされていず、それを活用したのです。

あるフランスの雑誌の記事によると、オルガが母から頼まれて隠していたのは76個のもジュエリーで、それをクリミア半島の断崖近くの穴に埋めておいたとのこと。隠し場所がわからなくなるといけないので、その上に犬の頭蓋骨を乗せておいた、などとアレクサンドル・デュマ作のようなわくわくするようなお話。
ジュエリー愛好家だった
ジョージ5世の妃メアリー。
エリザベス2世の祖母にあたる。


記事は続きます。
1919年にクリミア半島から亡命地に向う際に、皇太后は隠しておいたジュエリーを持ち出した。ジュエリーは彼女が亡くなった1928年に競売で売られ、そのときのカタログに梨型のパールも記録されていた。
イギリス国王ジョージ5世の妃メアリーはジュエリーをこよなく愛する人で、数点を購入。その中にロマノフ家のパールがあったという。

この記事を書いたのは王室に非常に詳しいジャーナリストで、特にジュエリーの見識が高いので、信頼できそうなお話です。

となると、そのパールはロシアのロマノフ王朝とイギリスのウィンザー王朝の手にあったということになる。ため息が止まらないほど豪勢なお話ではないですか。
メアリー王妃がパールを所有していたことは、きちんと記録に残っているそうです。パールはその後一人娘のメアリー王女に引き継がれます。

ハーウッド伯爵と結婚した王女メアリーは、王位を捨ててアメリカ女性ウォリスと結婚したウィンザー公爵エドワードの妹で、兄夫妻ともっとも親しかった人。
後年にハーウッド伯爵家のジュエリーは競売で売られます。
ハーウッド伯爵と結婚したメアリー王女
カルティエが購入したのはその中のパールで、気が遠くなるような価格。

それを最大に美しく見えるティアラにもなるしネック
レスにもなるという逸品を製作し、ビエンナーレで展示。さすが宝石商の王です。それを見たくて4回もビエンナーレに通った私。今見ておかなければ2度と目にすることができない作品。それだけに興奮度も高い。

マリア・フョードロヴナに関しては「カルティエを愛した女たち」の「麗しのアレクサンドラ王妃」でちょっとだけ触れています。何故なら彼女はアレクサンドラ王妃の妹だったから。
ジュエリーにまつわる歴史は深く、面白く、素晴らしい。

2014年9月17日

ステキなステキなソワレ


優雅なソワレは、
ベルジェならでは。
政治家、実業家、文学者、音楽家、画家、デザイナーなど、広範囲に渡る人との優雅で知的な交流で、パリに独自の華やかな世界を保っているピエール・ベルジェ。

80歳をこえた高齢にもかかわらず、ハツラツとした顔と若者のような凜とした姿勢と歩き方。話術に富み、様々な分野の知識も豊富だし、第一、身のこなしが美しい。
「私が若い頃、女性は帽子を被って手袋をして外出していたものです」
と語って下さったことがあり、まるでプルーストの時代みたい、まるで昔の映画の世界と思ったほど。

もうすっかり友人。
実業家ジャン・ピエール。
彼がするすべてが芸術的で、これが本当のアール・ド・ヴィーヴルかと、うっとりしないではいられない。そうしたベルジェのソワレに招待され、たくさんの上質な輝きに触れることができるのは、この上ない幸せ。
今回のソワレには哲学者、作家、実業家、女優、アーティストが多数集まり、お互いに顔見知りが多いので和やかな雰囲気。
服装がとても個性的で圧倒されそうなほど。平凡はこの世界では評価されないのです。だからといって品格のない装いは避けなければならない。

スパンコールのトップにミニスカートでひときわ華やかなのは、著名な女優さん。パンテールのモチーフやパープルのシックなドレス姿も女優さん。総刺繡のガウンを羽織っているのはデザイナー、男性の実業家や文学者は上着をつけている。


誰も彼もが上質の装いであることは、一見してわかる。ベルジェに対して、そして彼が招待した人に対しての心遣いが、そうさせないではいないのです。そうした中にいることの何と心地いいこと。

パリは毎日が祭典という表現がぴったり。刺激が生きている街なのです。


2014年9月15日

パリの田舎


パリは整然とした街並の美しさで
世界に名をなしています。
同じ色の石灰岩の建物がどこまでも続き、
高さと色の制限を厳格に守り、
街路樹が整列していて、
確かに、どこから見ても文句なしに美しい。
パリの真っ只中に咲く
ラヴェンダーの花

 こうした街を見ていると、
パリジャンがいかにも几帳面な人のように思えますが、 よく気をつけて見ると、そうでない部分があることがわかります。

信号の下に雑草がはえていたり、
ちょっとした穴で雑草が育ったりしている。

チュイルリー公園内の野菜畑。
トマト、ピーマン、ヅッキーニ
などが育っています。
それを処理しないでそのままにしているのが
パリジャンのいいところ。

そこに雑草がはえたいのならはえればいい、
別に自分たちの生活に迷惑でもないから、
というのが彼らのエスプリ。

雑草が小さな場所で幸せそうに育っているのを見ると、私はとても和やかになる。
そして
「ああ、今日も元気にしているのね」
などど思ってしまう。


今日も幸せそうな名のない雑草たち。
こうした光景を私は
「パリの小さな田舎」と呼んでいます。

パリの公園の中にも田舎があります。
 これはもっと大規模で、ラヴェンダーが彼方まで植えられていて、風が吹くとあたり一面に芳しい香りが飛び散ります。
 野菜畑もあるし、蜂蜜も作っているパリ。 

パリは大都会。でも人々の心に安らぎを与える田舎の光景も共存しているのです。

2014年9月13日

パリの犬たち 12

世の中にはいろいろなタイプの人間がいるけれど、犬も同じ。パリジェンヌが個性的だから、犬も格別に個性的。
上半身はブラウン、下半身はイエロー。
ステキなコンビネーション。
赤い舌がアクセントよ、見逃さないでね。

2014年9月12日

ロイヤルなカルティエのコレクションとディナー

9月11日に始まったビエンナーレで、宝石商の王カルティエが、その名にふさわしいロイヤルな作品を104点も展示。それを観賞する人々も高尚な気分に浸れる心地よいひと時です。

イギリスのメアリー妃所有だった
パールを使用した逸品。

石のクオリティそのものがロイヤルであり、その石に最大の価値を与えるデザイン、それを実現する熟練職人のノウハウがそろって誕生するロイヤルなジュエリー。それは、高揚感を与えないではいない。

目が覚めるばかりの輝きを放つ
ルビーを中心として、優雅なドレープを
描く豪奢なネックレス。
そうした作品に心を奪われたあとは、
著名なレストラン、タイユバンでこれまたロイヤルなディナー。カルティエ・ジャパン社長をはじめとする日本のコミュニケーションの方々、本社役員、そして日本のメディアを代表する方々。
全員で18人。

このディナーのために2階の個室をふたつも借り切って、まず、シノワヅリーの装飾の部屋でシャンパンを傾けて乾杯。

カルティエ
インターナショナル・コミュニケーション・ディレクターと
婦人画報編集長、出口由美さん。話が弾みます。
30分ほどの談笑の後は、そのお隣の建築当時の装飾が残る情緒あるお部屋で、美味と美酒を堪能。さすが立派なカーヴを持つタイユバンだけあって、どのワインも涙がでそうなほど美味しい。

このところ会食続きで体重が気になってきたけれど、今宵はそれを忘れて心から味わう。
再会を約束しながらレストランを出ると、黒塗りのお車がたくさん待っていて、全員をお送り下さるという、どこまでもロイヤルなカルティエ。

出版したばかりの本「カルティエを愛した女たち」の賞賛の言葉もたくさんいただいて、最高に幸せな日でした。

2014年9月9日

ヴァカンス開けの再会ソワレ

斜めの写真とは
パリジャンの思いがけないアイディア。
小口さんと。


長い長いヴァカンスが終わって、パリジャンがそれぞれの活躍を再開する季節到来。
それをお祝いして、というか、むしろヴァカンスをどのように過ごしたかという話をするために、
共にグラスを傾けようというソワレ。

美術学校ボザール近くの、ロテルという名のホテルのバーを借り切ってのおしゃれなひととき。
このホテルに、有名なアイルランドの詩人であり作家のオスカー・ワイルドが暮らし、そこで若い生涯を閉じたのでした。

ライトアップされた中庭でも
ソワレが続きます。

ワイルドがダンディーな装いで姿を現しそうな雰囲気がそのまま残っている中で、こうした集いを行なうのはいかにもパリらしい。しかも、一ヶ月、長くて二ヶ月のヴァカンスが終わってパリに戻ったのだから、一緒に過ごそう、語り合おうというエスプリは、やはりパリジャンならでは。人生を楽しむことを知っている。これが朝1時まで続くのです。

お仕事でパリにいらしている、NHKエンタープライズのエグゼクティヴ・プロデューサー、小口比菜子さんをお誘いしてふたりで参加。彼女は昼間の強硬な行動にもかかわらず、元気ハツラツ。パリが大好きな人なのです。

私たちもパリの人に負けないくらいおしゃべり続き。これでやっと本格的にお仕事をする気になりました。

2014年9月7日

節子さん、アスティエ・ド・ヴィラット展

バルテュスとランプ。
左が再現されたランプ。

伝統を重んじる製法で高く評価されている、
陶器で有名なアスティエ・ドゥ・ヴィラット展で、
節子・クロソフスカ・ド・ローラさんの作品も多数展示されました。

その会場となったのは、
ルイ14世の時代に大活躍した、
著名な劇作家モリエールが住んでいた由緒ある館。
パリの中心でありながら、古く重厚な歴史の香りがいまだに残っている貴重な住まいです。

節子さんのご主人、巨匠バルテュスの素晴らしいお写真が、陶器と別のお部屋の静けさが支配している中に展示してあり、感慨にふけないではいられません。

爽やかな着物姿が
ひとききわ美しい節子さん。
バルテュスの後方にあるランプは、
彼がローマのメディチ館館長だった時代に自ら生み出したもの。

その後スイスに移りグラン・シャレに住んでいた時代にも、ずっと愛用していたそうです。

それを、節子さんとお嬢さんの春美さんの協力のもとに、アスティエ・ドゥ・ヴィラットがオリジナルに最大の敬意を払いながら再現し、美しい姿を披露しています。

バルテュスが敬愛を抱いたいた
東洋文化の深みのある静謐さが、
そこからゆっくりと漂ってくるようです。
節子さん作のお香用の猫
手前はお香「グラン・シャレ

2014年9月3日

「カルティエを愛した女たち」9月5日に発売。

新刊書「カルティエを愛した女たち」
集英社インターナショナル
イギリス国王エドワード7世から「王の宝石商、宝石商の王」と称されたカルティエ。
それほどのカルティエのジュエリーを、一体どのような女性が愛用していたのだろう。
こうした思いにかられながら様々な資料を手にし読み進めるに従って、カルティエを愛用していた女性たちの人生に圧倒されてしまいました。

ジュエリーが破格であるだけに、それを身につける女性も、類稀な人生を歩んだに違いないと想像してはいたものの、それをはるかに越える劇的で起伏に富んだ人生ばかりで、大きな刺激を受けました。

華やぎに満ちた長い歴史を刻むカルティエの多くの顧客の中から、格別な美貌と才知に恵まれ、人生を最大限に有意義に生きた比類なき8人の女性を選び、それぞれの生き方を綴った本です。
稀有な女性の稀有なオーラを感じ取っていただけたら嬉しいです。

表紙に金箔を施した豪華本です。
よろしくお願いいたします。

2014年9月2日

パリの犬たち 11

大きな犬も小さな犬も、同じ空の下で仲良く暮している。
それにしてもいろいろな大きさの犬がいるのものですネ。
もちろん全部あるワン。
小さいとどこにでも入れるし、
皆がかわいいって言ってくれるから幸せよ。
お隣さんはどうしてあんなに小さいの?
あれで必要な臓器はそろっているのかなぁ。
ちょっと気になるワン。

2014年9月1日

OECD東北スクールがパリから発信する熱い思い

東北地方一色のシャン・ド・マルス

お揃いのTシャツ姿で
若々しい笑顔の生徒たち。
テーマソングを大合唱。

地震と津波の被災地、福島、宮城、岩手の中学生と高校生が約100人が参加するOECD東北スクール。

彼らが2年半かけて準備した、東北の復興と魅力を世界に向けて発信するイヴェントを、
いよいよパリで開催。

「東北復幸祭」と呼ばれるこのイヴェントは、
パリの象徴エッフェル塔が美しい姿を見せる
シャン・ド・マルス広場が会場。
フランス人に、
そしてまた世界にアピールするのに絶好の場です。

地震が起きた時刻を表す時計。
その周囲に多くの人から寄せられた
激闘の言葉が見られます。


8月30日11時に始まったオープニング・セレモニーでは、パリ副市長、OECD日本大使児玉和氏らのご挨拶があり、その後はスクールの子供たちによる東北地方のアピール。

大災害に見舞われたにもかかわらず、それに打ちのめされることもなく、小さな力を振り絞って明るい未来を築いていこうという生徒たち。

彼らのけなげな、けれども、しっかりした態度は、パリ市民の心に強く訴え、大きな感動を与えたのは確かなこと。
このイヴェントの企画も実行も中心となったのは生徒たち。それだけに心を動かされます。

舞台の横手には大きなスクリーンが置かれ、無慈悲な津波と、日本がいまだかつて経験したことがない被害が映し出され、もう何度も見た場面であるにもかかわらず、やりきれない思いです。心を痛めないではいられません。
津波に流されたけれど
奇跡的に見つかった
祭事用兜。
シャン・ド・マルス広場には、空に向ってブルーのバルーンがいくつもあげられていて、それが津波と同じ高さだとの説明を聞いたときには、そのあまりの凄さに驚きが走りました。
その隣りの赤いバルーンは子供たちの希望や情熱の表れ。津波に負けない高さです。

巨大なドミノを押し倒して津波の恐ろしさを目の前で見せ、すべてのドミノがひっくり返ったときには、イヴェントのシンボルマークになるパフォーマンスも生徒のアイディア。

オープニング・セレモニーは、OECD東北スクールのテーマソングの大合唱と、出演者と出席者全員が肩を組んで作る大きな環で終わりました。

30日と31日の二日間にわたるパリでのイヴェントでは、東北の伝統芸術や民芸品、食料品などを紹介し、この地方が再生に向って力強く歩んでいるのを伝えます。
生徒たちによる踊りを2日間披露。
豊富な演目と楽しい衣装が大好評。


様々なブースでの説明に熱心に耳を傾け、映像に見入っているパリジャンの姿を見ていると、「大丈夫、みんなが応援している」と、心強くなります。

セレモニーの翌日は日曜日。好天気に恵まれ家族連れが目立ち、小さな子供も学ぶものが多かったことでしょう。いくつものキャラクターの登場はひときわ華やぎを放ち、記念撮影希望がひっきりなし。舞台では楽しい衣装で様々な踊りを次から次へと披露し、大喝采を受けていました。

大人気のキャラクターがおいでおいでと
短い手で誘うので、一緒に記念撮影。

そうした傍らには、大震災が発生した時刻を示す大きな時計が置かれています。忘れてはいけない時刻です。当時の写真や、その後の復興の様子を表す写真も多数展示されていて感動的。
東北地方の住民への思いやりが生まれるコーナーです。

世界中の人々が手を取り合って作りたい、平和の願いを込めた「環」。
その熱い願いが空高くのぼり、空から空へ、そしてもっと遠くの空まで届きますように。