2014年9月20日

あるパールのお話


1613年から300年ほどロシアに君臨していたロマノフ王朝の人々が所有していた宝飾品は、ひときわ豪華で、しかもいくつも重ねてするのを好んでいたようで、肖像画を見るだけで卒倒しそうなほど華やかです。

ところが1917年に革命が起き、王侯貴族は祖国を離れ安全の地へと逃げ延びます。イギリスに向った人も多かったし、フランスに向った人も多かったと歴史は語っています。その際に誰もがジュエリーをできるだけ多く持ち出しました。亡命後の生活費とするためです。
ロシア最後の皇帝
ニコライ二世の母后。
彼女のネックレスのパールが
後にイギリス王妃所有となったと
言われている。

ロシア最後の皇帝ニコライ二世の母后、マリア・フョードロヴナは、格別の美貌に恵まれた女性で、どの肖像画を見ても麗しい。
革命のときに皇太后だった彼女は、クリミア半島に幽閉されますが、そこから船で脱出に成功し、イギリスに短期間滞在します。そこで、エドワード7世の妃である姉、アレクサンドラ王妃が優しく迎えます。
その後彼女は生まれ故郷のデンマークへと向かいます。

ロシア皇太后マリア・フョードロヴナは、首都を離れる際に多くのジュエリーを持ち出しました。その管理を頼まれたのは娘のオルガ。彼女は民間人と結婚していたために、皇族と見なされていず、それを活用したのです。

あるフランスの雑誌の記事によると、オルガが母から頼まれて隠していたのは76個のもジュエリーで、それをクリミア半島の断崖近くの穴に埋めておいたとのこと。隠し場所がわからなくなるといけないので、その上に犬の頭蓋骨を乗せておいた、などとアレクサンドル・デュマ作のようなわくわくするようなお話。
ジュエリー愛好家だった
ジョージ5世の妃メアリー。
エリザベス2世の祖母にあたる。


記事は続きます。
1919年にクリミア半島から亡命地に向う際に、皇太后は隠しておいたジュエリーを持ち出した。ジュエリーは彼女が亡くなった1928年に競売で売られ、そのときのカタログに梨型のパールも記録されていた。
イギリス国王ジョージ5世の妃メアリーはジュエリーをこよなく愛する人で、数点を購入。その中にロマノフ家のパールがあったという。

この記事を書いたのは王室に非常に詳しいジャーナリストで、特にジュエリーの見識が高いので、信頼できそうなお話です。

となると、そのパールはロシアのロマノフ王朝とイギリスのウィンザー王朝の手にあったということになる。ため息が止まらないほど豪勢なお話ではないですか。
メアリー王妃がパールを所有していたことは、きちんと記録に残っているそうです。パールはその後一人娘のメアリー王女に引き継がれます。

ハーウッド伯爵と結婚した王女メアリーは、王位を捨ててアメリカ女性ウォリスと結婚したウィンザー公爵エドワードの妹で、兄夫妻ともっとも親しかった人。
後年にハーウッド伯爵家のジュエリーは競売で売られます。
ハーウッド伯爵と結婚したメアリー王女
カルティエが購入したのはその中のパールで、気が遠くなるような価格。

それを最大に美しく見えるティアラにもなるしネック
レスにもなるという逸品を製作し、ビエンナーレで展示。さすが宝石商の王です。それを見たくて4回もビエンナーレに通った私。今見ておかなければ2度と目にすることができない作品。それだけに興奮度も高い。

マリア・フョードロヴナに関しては「カルティエを愛した女たち」の「麗しのアレクサンドラ王妃」でちょっとだけ触れています。何故なら彼女はアレクサンドラ王妃の妹だったから。
ジュエリーにまつわる歴史は深く、面白く、素晴らしい。