ポルト・ドゥ・クリニャンクール
「クリニャンクールの門」という意味のこの駅名は、かつて、その地にあった村クリニャンクールが語源です。
サン・ドニ修道院の敷地入り口にあった門。 1779年に取り壊されました。 |
のどかな村だった時代のクリニャンクール。 |
旧城壁の外は土地が安かったので、 貧しい人々が住むようになり、 生活のために持っていた品を売るようになります。 |
けれども1919年に城壁が解体され、その外側にあったクリニャンクールがパリ入りし、土地が手ごろだったために、経済的に苦しい人が住み、生活のために不必要と思われる品を並べて売るようになり「蚤の市」が始まったのです。
不必要な品を路上で売るようになり、注目されます。1923年。 |
信じられないほど種々様々な品を売っていて、見ているだけで楽しい。
私もテーブルや花瓶を買ったこともあるし、シャンデリアのクリスタルが落ちて壊れたときに、買い足したこともあります。
最近はちょっと足が遠のいています。
なぜなら、パリの街中に小規模ながら「蚤の市」が移動してくるから便利なのです。 何でも時代と共に変るものですね。