ガール・ドゥ・レスト(4、5、7号線)
1849年にパリとストラスブルクを結ぶ鉄道の駅として誕生したガール・ドゥ・レスト(東駅)は、フランス東部、ドイツ、ルクセンブルクに行く際に欠かせません。
そのためにメトロも3路線あります。
1860年、ストラスブルク駅と呼ばれていた時代の光景。 |
1883年10月4日、最初のオリエント急行が パリからトルコのコンスタンチノープルに向かいました。 |
コンタンチノープル(現在のイスタンブール)行きの初めてのオリエント急行が出発したのです。
1940年12月15日、真冬の寒さが厳しい雪が降る真夜中のこと。
ウィーンで21歳の若さで亡くなり、ハプスブルク家のカプチーナ納骨堂に眠っていたナポレオンの息子ローマ王が、オーストリアから列車で故郷パリに帰還し、この東駅に到着したのです。
死の床のローマ王。 フランス皇帝ナポレオンとオーストリア大皇女マリー・ルイーズの間に生まれた 唯一の子供。本来ならば幸せな人生を送るはずでしたが、 彼が3歳のときに父ナポレオンは戦いに敗れ流刑され、 ローマ王は母に連れられてオーストリアに行き、 そのまま半ば監禁状態で成長し、21歳の若さで肺結核で世を去り、 オーストリア王子としてウィーンに葬られたのでした |
このような歴史を刻んでいるのかと思うと、実用的な駅とはいえ、何となく貴重に思えてきます。