シャトー・ルージュ (4号線)
モンマルトルの丘に行く人がよく利用するこの駅の界隈はとても庶民的で、それが魅力だと好んで住んでいる人も多いようです。
フランス人よりアフリカの住民が多く、まるでパリにいながら異国にいる感じ。
19世紀に建築された石灰石とレンガの瀟洒な館。 |
1814年、イギリス、ロシア、プロセイン、オーストリア、スウェデーンなどが同盟を結び、ヨーロッパの平和を乱すナポレオン皇帝を失脚させようと、フランスに戦いを挑みます。
ナポレオン率いるフランス軍は追い詰められ、連合軍のパリ占拠が時間の問題となったそのとき、ナポレオンの兄ジョゼフが、パリが見下ろせるモンマルトルの丘の「シャトー・ルージュ」でパリ防御の指揮を取っていました。
けれども多勢を前にフランスは戦いを失い、ナポレオンは地中海のコルシカ島に流刑されるのです。
華やぎあふれる舞踏会が頻繁に開催されていました。 |
こうした歴史も刻んだ館のオーナーは何度か変り、最終的にボボウフと名乗る人が買い取り、1847年ころから派手な舞踏会を催し話題を呼びます。
1871年のパリ・コミューンで、兵士や民衆によって荒れ果てた屋敷。 |
1889年、ついに館は解体され、今はかつての面影も残っていません。