Cardinal Lemoine
カルディナル・ルモワンヌ(10号線)
ジャン・ルモワンヌ枢機卿に捧げる駅名。カルディナルは枢機卿という意味。
|
ジャン・ルモワンヌ枢機卿(1250-1313) |
パリ大学で神学を学んだ後アミアンとパリの司教座聖堂参事会員になり、数年後にフランス国王フィリップ4世の相談役を務めたルモワンヌはローマに送られます。その地で才知を認められローマ教皇庁控訴院にも籍を置くようになり、フランスとローマを行き来しながら重要な役割をこなしていました。
|
フランス国王フィリップ4世(1268ー1314) |
|
ローマ教皇ボニファティウス8世 |
ところが、1302年11月24日、ローマ教皇ボニファティウス8世がフランスに教皇庁代表を送り、教皇の権威は国王にまさり服従すべきとしたときに両者は決裂。怒りに燃えるボニファティウス8世はルモワンヌにフランス国内での聖務停止を命じます。
翌1303年にボニファティウス8世が急死し、1305年、力を増したフィリップ4世によりフランス人のクレメンス5世が教皇になり、1309年、教皇庁はフランス南部のアヴィニョンに移され、それ以降約70年間フランス国王の影響下に置かれます。
|
15世紀のアヴィニョン教皇庁。 |
|
19世紀のアヴィニョン教皇庁。 |
一時期ローマに暮らしていたルモワンヌはフランスに戻り、クレメンス5世に従いアヴィニョンに落ち着きそこで生涯を閉じます。
1303年、ルモワンヌはパリに100人の給費生のために「枢機卿のメゾン」を建築させていて、彼の遺言に従ってその礼拝堂に葬られました。その後も「枢機卿のメゾン」への寄付はたえることなく、後にルモワンヌ枢機卿高校となりますが、残念なことに革命で取り壊されました。1825年、その近くにルモワンヌ枢機卿通りが生まれ名前は残されました。