2019年8月29日

街中のアート

夏のヴァカンスもほぼ終わり、目的もなく何となくお散歩していたら、突然、カラフルな彫刻が並んでいるロワイヤル・ヴィレッジが見えてきました。そこには以前、同じようにカラフルな数百の傘が空に向かって広げられていて、なぜかひどく感動。実用品の傘を主役にした刹那的アートに関心したものです。

今日目にしたのはピマックスというアーティストの作品だそうで、メッセージを伝えるポップアートで若者たち人気があるようです。パリの中心にいながら喧騒から守られてるような隠れ家的なこじんまりとしたヴィレッジと、元気いっぱいの楽しいアートの組み合わせ。思いがけなさに心が浮き浮き。秋の始まりにふさわしい光景です。

ロワイヤル・ヴィレッジに活気を与えている
ピマックスの作品。

何を語りかけているのでしょうね。
真剣な表情がかわいい。
何となくアンディ・ウォーホルを思いだします。

力強そうで頼りがいがある。
想像力を掻き立ててくれる作品。

2019年8月23日

チュイルリー公園のミニ野菜畑

チュイルリー公園にはラヴェンダー畑があって、その近くを通ると体の奥まで清浄してくれるような清々しい香りを満喫できます。その周辺のイスに腰かけて日光浴をしたり、読書をしたり、お昼寝をしたりで南仏にいる気分。

公園のルーヴル美術館近くにはミツバチの巣箱もあります。四季折々の花が植えられているので、さぞかし美味しいハチミツを作っていることでしょう。

ラヴェンダー畑とミツバチの巣箱はわりと目立つ場所にあるのですが、ミニ野菜畑は木々に囲まれているので分かりにくい。でもある日偶然に見つけて、それ以来時々思い出して足を運びます。広くないのですが有機栽培の野菜のみ育てている優等生。ブドウ、トマト、カボチャ、じゃがいも、ズッキーニー、アーテイチョークなど、季節や年によって作物は変わります。整然とした美を誇るフランス庭園のど真ん中で野菜を育てるなんて、とってもステキ。

ミニ野菜畑。
小さいし大きな木に囲まれているので見逃しがちです。

カボチャ。
こんなに大きな葉があるなんて初めて知りました。

ブドウ。
これは私でも見てすぐに分かります。

ローズマリー。
名前が書いてあるから分かったのです。

いろいろと学ぶことが多い野菜畑です。

2019年8月21日

ますます人気のパリ・プラージュ


2002年に始まったパリ・プラージュは、パリのまん中で楽しめるヴァカンス。セーヌ河畔に砂を運んだり、ドーヴィルの浜辺のように板張りの歩道を造ったり、芝生を植えたり。あちらこちらに長椅子やパラソルが置かれ、背の高いヤシの木が豊かな葉をなびかせている。子供のための遊び場もあるし、軽食レストランやカフェもある。ヨガのレッスンやマッサージも頼める。7月上旬から9月上旬までの2か月間、遠方まで行かなくてもパリ市内で海辺の爽やか気分をたっぷり味わえるのです。今ではパリに欠かせない夏の風物詩です。

セーヌ河畔のパリ・プラージュで憩う人は年々増える一方。
通りかかる人の目を全く気にしないで、
自分の時間を気が向くままに楽しむパリジャン、パリジェンヌ。

これがパリの中心だとは信じがたい。
砂浜とパラソルがあるだけで、みんな幸せ。
見ているだけでその幸せが伝わってきます。
レストランもカフェもたくさんあります。
ヴァカンスの雰囲気満点。

カモの親子もパリ・プラージュで楽しんでいるのかと思って、
近づいて見ると苔を食べにきたようです。
お食事中シツレイ、お邪魔しました。
街路樹の幹に暗号というか絵文字というか、
解読不可能な刻み込みがたくさんあってびっくり。

以前は橋の欄干に南京錠を付ける人が多かったけれど、橋の命にかかわると禁止。
その代わりに木の幹に記念の印を残しているのかしら。

パリの面積は大きくないけれど、
アイディア豊富で変化があって刺激的。
見慣れた風景もアイディア次第で大変身。

古いものにあれこれ工夫を凝らして新鮮味を出すのに長けているパリジェンヌたち。
それは女性の装いでも感じます。
新しい服を毎年買うのではなく、
持っているアイテムに自分なりの感性を加え変化をつけるのです。
やはり感性に関して学ぶことが多い。

2019年8月19日

マリー・アントワネットに興味がある人に

なぜ日本ではマリー・アントワネットがいつまでも話題になり、また人気があるのかとフランス人によく聞かれますが、私もそれを不思議に思っています。

数年前にブログで絵で辿るマリー・アントワネットの生涯を連載しましたが、他のテーマの何倍ものアクセスがありました。いろいろな角度から書いたつもりだったのですが、まだ書き足りないことがあったし、もっと書いてほしいというリクエストも多く、マリー・アントワネットだけのブログを書くことにしました。当初は少なったアクセスが今では毎日数百にもなり、驚いています。

このブログを見てくださっている方々の中に、もしかしたらマリー・アントワネットに興味が持っている人がいるかも知れないと思い、お知らせすることにしました。下記がそうです。絵をたくさん入れているので、分かりやすいと思います。


私自身、調べたり書いたりしながら多くを学んでいます。

2019年8月16日

メトロの駅名は語る 131

Cardinal Lemoine
カルディナル・ルモワンヌ(10号線)

ジャン・ルモワンヌ枢機卿に捧げる駅名。カルディナルは枢機卿という意味。

ジャン・ルモワンヌ枢機卿(1250-1313)
パリ大学で神学を学んだ後アミアンとパリの司教座聖堂参事会員になり、数年後にフランス国王フィリップ4世の相談役を務めたルモワンヌはローマに送られます。その地で才知を認められローマ教皇庁控訴院にも籍を置くようになり、フランスとローマを行き来しながら重要な役割をこなしていました。

フランス国王フィリップ4世(1268ー1314)

ローマ教皇ボニファティウス8世

ところが、1302年11月24日、ローマ教皇ボニファティウス8世がフランスに教皇庁代表を送り、教皇の権威は国王にまさり服従すべきとしたときに両者は決裂。怒りに燃えるボニファティウス8世はルモワンヌにフランス国内での聖務停止を命じます。

翌1303年にボニファティウス8世が急死し、1305年、力を増したフィリップ4世によりフランス人のクレメンス5世が教皇になり、1309年、教皇庁はフランス南部のアヴィニョンに移され、それ以降約70年間フランス国王の影響下に置かれます。

15世紀のアヴィニョン教皇庁。

19世紀のアヴィニョン教皇庁。

一時期ローマに暮らしていたルモワンヌはフランスに戻り、クレメンス5世に従いアヴィニョンに落ち着きそこで生涯を閉じます。

1303年、ルモワンヌはパリに100人の給費生のために「枢機卿のメゾン」を建築させていて、彼の遺言に従ってその礼拝堂に葬られました。その後も「枢機卿のメゾン」への寄付はたえることなく、後にルモワンヌ枢機卿高校となりますが、残念なことに革命で取り壊されました。1825年、その近くにルモワンヌ枢機卿通りが生まれ名前は残されました。

2019年8月14日

ルーヴル美術館で見かけた3つの光景

ルーヴル美術館の人気はのぼる一方で、連日長い行列ができるので予約制にする案が出ているほど。数えきれないほど訪問したルーヴル美術館ですが、何度行っても新しい発見があるように思えます。今まで知らなかった解説を読んでから見に行くと、全く異なる見方になって、ますますはまってしまいます。

今回は美術館の外の3つの個性的光景をご紹介します。

ルーヴル美術館のクール・カレ(方形宮)を馬で巡回するポリスと、
立ち止まって見とれるマドモアゼル。
いろいろな時代が集まって織り成す印象的なひとコマ。

左奥に12世紀に建築された城砦があり、
それが徐々に拡大され巨大なルーヴル宮殿になったのです。
正面はルイ13世、左はルイ14世の時世に建築され当時のまま残っています。

17世紀のイオニア式の柱に囲まれて野外演奏。
心地よいヴァイオリンの響きに多くの人が立ち止まり、
演奏が終わると大拍手。
歴史的建造物とクラシックがよく似合い心がなごみます。
19世紀半ばのナポレオン3世の時代のルーヴル。
左手にかの有名なピラミッドがあり、
その近くを機関銃を抱えながらセキュリティにあたる兵士たち。

子供たちにもすっかりお馴染み。これが今の通常のパリ。
数年前にはとても考えられなかったことです。

2019年8月12日

パリの犬たち 206

ヴァカンスに行ってきま~す

働くのが大好きなパパが、やっとヴァカンスに行くことに。
もちろんワタシたちも一緒よ。

お店のドアにワタシたちの写真付きのお知らせを貼ったのは、
お客さまを大切にするパパらしい
もう、尊敬しちゃうワン。

8月27日までたっぷりヴァカンスを楽しむの。ウフフ。
行き先はヒ・ミ・ツ。
だって、かなりセレブになったワタシたちだから、
ヴァカンス先まで追っかけられたら困るワン。
再会は8月27日よ💓💙

2019年8月9日

忘れがたいアドリア海とドゥブロブニク

パリから飛び立ちスイスの山々を眼下にし2時間半後、混じりけのないブルーを広げるアドリア海が見えてくる。その美しさは言葉で表現できないほど。息を呑むほど、と言うほかない。アドリア海は地中海の一部だけれど、イタリア半島とバルカン半島に挟まれた入江になっているので、この紺碧の色を保てるのだろうか、とふと思う。

パリから飛行機で約2時間30分。
目が覚めるほど美しいブルーのアドリア海と
オレンジの屋根瓦に象徴されるドゥブロブニクの街が見えてきます。

そのバルカン半島側にあるクロアチアの首都ドゥブロブニクの旧市街は、海洋貿易によって栄えた中世の面影を残している街。世界遺産に登録されている趣ある街並みは、主に15、16世紀に建築された1940メートルの城壁の上から一望できます。階段はかなり急で45度くらいあるのではないかと思う。そこからオレンジの屋根瓦の建造物が織り成す街が見え、その反対側に眩しいほどのブルーのアドリア海がまじかに見える。

世界遺産に登録されている旧市街は城壁に囲まれていて、
中世の衣装を着た衛兵が入り口で迎えます。

城壁によって敵から身を守ってきたドゥブロブニク。
オレンジ色の屋根瓦が続く旧市街。
周囲を取り囲む山々は緑が少なく、厳しい岩が多いのに驚きます。
これに比べて日本の山は何て優しいのでしょう。

反対側にはアドリア海の引き込まれるようなブルーが漂っています。
日常のわずらわしいことを全て流してくれるような清涼感は、
忘れがたい。またすぐに行きたくなるほど素晴らしい。
小さな島が周囲にいくつもあり、そこまでのクルージングも盛んだし、
ゆったりとヨットを楽しむ人も多い。
古い歴史が生きている街だけあって、
様々な時代の様々な建築様式を見られるのも大きな魅力。
そのひとつのフランシスコ会修道院。
14世紀の中庭とそれを囲むロマネスク様式の回廊が優美です

夕暮れにイルミネーションが灯され、
モニュメントが幻想的な雰囲気をかもしだします。
静かに沈む夕日。
アドリア海沿岸にはそれぞれ異なる歴史や文化を持つ街がたくさんある。できればいつかトリエステに行ってみたい。何世紀もの間オーストリア=ハンガリー帝国の支配下にありハプスブルク家との絆が深い都市だから。

2019年8月6日

パリの犬たち 205

夏は誰もがアツイのだ

ちょっと落ち込んでいるの。

だってワタシのモフモフ姿を見て、
「わぁ~~ モーレツに暑苦しい」って、みんな遠ざかるの。

ワタシだって好きでモフモフになっているんじゃないのよ。
せめて夏の間だけでもスッキリしたい。
これじゃ歩くのも大変。ひと仕事だワンワン、ワ~~~ン。

2019年8月3日

メトロの駅名は語る 130

Maubert-Mutualité 
モベール・ムチュアリテ(10号線)

近くにあるモベール広場とムチュアリテ・シアターの二つの名からなる駅名。

モベールはサント・ジュヌヴィエーヴ副修道院長アルベールの名の変形だとされています。学生街のパンテオン近くにあったサント・ジュヌヴィエーヴ修道院の12世紀の副修道院長アルベールが、現在広場がある地に食肉用の陳列棚を設けたために、モベール広場と呼ばれるようになりメトロ名にもなったのです。この広場に本格的マルシェが置かれたのは16世紀で、パリでもっとも古い歴史を持ちます。庶民的で親しみ深く近くには手ごろなプライスのレストランが多数あり、家族連れや若者たちで夜遅くまでにぎわっています。

着飾ってマルシェ・モベールを散策する人がいたほど
人気がありました。18世紀。

サント・ジュヌヴィエーヴ修道院。

6世紀に建築されたサント・ジュヌヴィエーヴ修道院は、カトリックの重要な修道院で、その後何度か建て替えられ、革命の際に激しく破壊されほとんど姿を消してしまいます。幸いなことにわずかだけ残っていて、アンリ4世高校の一部になっています。

              ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ムチュアリテ・シアターは1931年にオープンし様々な催しに使用されています。当時の建築用式を取り入れたアールデコの外観は、歴史的記念物に認定されています。当初の客席はフランス革命が始まった年を象徴するために1789席ありましたが、現在は多少減り1730席。社会党の集会に使用されることが多かったし、1965年10月24日にはアメリカのマ―チン・ルーサー・キング牧師が、3500人もの聴衆者の前で感動的な大演説を行っています。それからわずか2年半後にキング牧師はテネシー州で暗殺されます。

ムチュアリテ・シアター。
コンサートも開催されますが、
政治家の演説会場として使用されることも多いです。
ムチュアリテ・シアターで演説を行った
マ―チン・ルーサー・キング牧師。