2019年9月25日

メトロの駅名は語る 134

Belleville
ベルヴィル(2、11号線)

近くのベルヴィル通りに由来する駅名。

昔、パリ北郊外の眺めがいい高い丘に村がありサヴィと呼ばれていました。そこには5世紀から8世紀まで続いたメロヴィング王朝の時代から人が住み、修道院やいくつかの教会が建築されました。水源も豊富で十分な水がなくて困っていたパリにも供給していたのです。村の名がベルヴィルに変わったのは18世紀でした。

1891年からトラムが走っていたベルヴィル通り。

キャバレーが多い繁華街で夜遅くまで賑わっていました。
19世紀のキャバレーのポスターのひとつ。

1860年にパリ市に吸収され、メインストリートのベルヴィル通りにはキャバレーや手ごろな価格のレストランやバーが軒を並べる歓楽地となります。1822年から派手なカーニヴァルがベルヴィル通りで催され、丘を降りセーヌ川までパレードが続いていましたが、パリ市に入ってから徐々に姿を消していったのでした。

ベルヴィル通りでもっとも重要なのはフランスを代表する歌手エディット・ピアフが生まれたことでしょう。72番地のアパルトマンの外壁にプレートがあり、「この家の階段で1915年12月19日エディット・ピアフが生まれた」と書いてあります。貧しい家に生まれたピアフでしたが、階段が誕生地というのはあまりにも悲しい。

ベルヴィル通り72番地のアパルトマンの壁に
「この家の階段で1915年12月19日エディット・ピアフが生まれた」
と書いてあるプレート。
少女時代のピアフ
(1915-1963)

フランスとアメリカで大活躍した俳優であり歌手モーリス・シュヴァリエも、この町の貧しい家に生まれています。10歳くらいの時から生活のために働き、苦労して芸人になったモーリス・シュヴァリエは、成功してからは若いアーティストたちの支援を惜しみなくし、活躍の場を紹介したりしていました。それは人情に厚い下町に生まれ育ったからではないかとされています。同じ町で生まれた27歳年下のエディット・ピアフも彼にお世話になったひとりでした。

デビューして間もない頃の
モーリス・シュヴァリエ。
(1888-1972)

現在ベルヴィルにはアジアの移民たちが多数住んでいて、13区に継ぐ中華街とも呼ばれています。ロープライスの中華レストランやお惣菜やさんが多い庶民的な地域です。