2021年5月14日

メトロの駅名は語る 168

Malakoff=rue Etienne Dolet
マラコフ=リュー・エティエンヌ・ドレ(14号線)

マラコフ市(167参照)と、ルネサンス期の作家であり、詩人、哲学者だったエティエンヌ・ドレの名を冠する道路名を表す駅名。「リュー・エティエンヌ・ドレ」はエティエンヌ・ドレ通りという意味。

エティエンヌ・ドレ(1509-1546)

オルレアンで生まれたエティエンヌ・ドレは、パリ、ヴェネツィア、パトヴァ、トゥールーズで哲学、古典、法律を学んだ博学な人です。

「フランス・ルネサンスの父」と呼ばれる国王フランソワ1世に、二巻に及ぶ「ラテン語解釈」の本を献上し、王の賞賛を得て、10年間にわたってラテン語、ギリシャ語、イタリア語、フランス語の彼の著作、あるいは、監修をしたすべての作品の印刷許可を国王から与えれます。勢いに乗ったドレはリヨンに印刷所を開き、ガレノス、ラブレ―、マレの作品を編集しました。

性格が激しい上に、無神論者的な発言を繰り返していたために、多くの敵を持っていたドレは、1542年に発行した、キリスト教モラリストとしての彼の心情を書いたCato Christianusにより、ついには異端者、無神論者と痛烈に批難され投獄されます。

その後も反キリスト教的執筆を続け、投獄、釈放、あるいは脱獄を繰り返し、フランスを逃れイタリアに暮らし、弁護論の本、Le second enferを書きます。この本はフランスで激怒をかい、パリのノートルダム大聖堂前で、焼かれたほどでした。

それを知ったドレは、自己弁護のためにパリに戻りますが逮捕され、監獄に入れられ裁判で有罪となります。罪状は、キリスト教に不可欠な、神の摂理と魂の不死の概念を否定したためでした。

1546年、判決を受けたドレは、異端者の処刑場とされていた5区のモベール広場で、8月3日に火刑に処されました。

モベール広場のドレのブロンズ像。
第二次世界大戦の最中の撤去されました。

1889年にモベール広場にドレのための立派なブロンズの像が造られ、台座に「このモニュメントは宗教的不寛容と、王族の犠牲者となったエティエンヌ・ドレに捧げるために建てられた」と刻まれていました。
その後、思想の自由と世俗主義のシンボルとなっていましたが、1942年に取り払われ、現在モベール広場は大きなマルシェになっています。