キリストの復活をお祝いするイースタ―には、新しい命の象徴の卵型チョコレートを買い求める人が多い。どれもカラフルで、大切な祭典を盛り上げます。コロナの影響でどこも不況ですが、チョコレート店は売り上げがのびているそうです。今年のイースタ―は明日、4月4日です。
イースタ―・エッグと言えば、ファベルジェの名前が浮かびます。ロシア皇帝お気に入りのファベルジェは、インペリアル・イースタ―・エッグで世界に名を轟かせた宝石商であり、卓越した金細工師です。
ピーター・カール・ファベルジェ (1846-1920) |
ファベルジェ家はもともとフランス人で、ピカルディ地方に暮らすプロテスタントでした。ところが、1685年に国王ルイ14世が「ナントの勅令」で、プロテスタントの信仰の自由を禁じたために、ドイツに向かいそこに落ち着きます。
ドイツ人として生まれた手仕事に長けたグスタフ・ファベルジェが、サンクトペテルブルクに工房を開いたのは1842年で、その地でデンマーク女性と結婚し、息子ピーター・カール・ファベルジェが生まれます。
ピーター・カール・ファベルジェはサンクトペテルブルクとドイツのドレスデンで金細工を学んだ後、フランス、イギリスで腕を磨き、1872年、生まれ故郷のサンクトペテルブルクに戻り、26歳になっていた彼は結婚し、創作に全身全霊を捧げるようになったのです。
非凡なファベルジェの才能を高く評価したロシア皇帝アレクサンドル3世は、彼を「王室ご用達金細工師」に任命し、エルミタージュ宮殿で作品の展示を許可しました。
ファベルジェの才能を高く評価していた、 ロシア皇帝アレクサンドル3世(1845-1894) |
アレクサンドル3世が、妃マリアへのプレゼントとしてファベルジェにイースター・エッグをオーダーしたのは1885年で、貴石やエナメル加工をほどこした卵は、この上なく華麗でした。時には殻の中に、ダイヤモンドやルビーなどのペンダントが隠されていたり、クレムリン宮殿の上に卵が乗っていたり、精密な加工と思いがけないアイディアは、アレクサンドル3世の息子、ニコライ2世も魅了し、毎年注文していたほどでした。
サンクトペテルブルク郊外にある ガッチナ宮殿のミニチュアが中にあるエッグ。 ニコライ2世皇帝が母にプレゼントした1901年の作品。 ミニチュアの宮殿は取り外し可能。 |
シルバーのティーセットやジュエリーも手掛けていました。 |
ニコライ2世皇帝が、皇太子アレクセイ誕生を祝って、 妃アレクサンドラにプレセントしたエッグ。 中にはダイヤモンドのネックレスが入っていました。 待望の皇太子が生まれたのは1904年でしたが、 日ロ戦争のために、妃にお祝いのプレゼントをしたのは、 戦後の1907年だったそうです。 |
ファベルジェのインペリアル・イースター・エッグを、写真で見たときから惹かれていた私は、サンクトペテルブルクに行った時は、何が何でもファベルジェの工房でイースター・エッグを買うのだと固い決心をしていました。いろいろと見て、何度も吟味を重ねて一点だけ購入。もちろん貴石など一切使用されていない、手の平にのる小さなレプリカです。
サンクトペテルブルクのファベルジェの工房で買ったエッグ。 太陽光線があたるとキラキラ輝いて、とってもキレイ。 |
蓋を開けるとご覧の通り、中も精巧に作ってあります。 |
その旅からしばらくたったある日、アメリカ人彫刻家がパリで個展を開催し、そのオープニングパーティーに出席した夜のこと。ロンドンからわざわざいらした女性と話がはずみ、
「私の遠い先祖はフランス人なのよ」
と言われ、まあ、そういう人はたくさんいると思っていたら、
「でも、その後ロシアに暮らすようになって」
フランスからロシアに・・・それを知って私の目が輝いてきました。
あのファベルジェとずいぶん似た運命だと思って、
「で、お名前は?」
と聞くと
「〇〇・ファベルジェです」
そう言いながら名刺をくださり、そこに、たしかにファベルジェと書いてある。途端にたくさんいた周囲の人の姿が消え、その女性しか見えない。ミュージックも聞こえない。楚々とした長身のファベルジェさんは笑顔を絶やすことなく、ロンドンに来る時にはぜひ連絡してねとさえ言って、携帯番号まで下ったのです。
世の中には不思議なことがあるものです。これも何かのご縁でしょう。ロンドンに行く楽しみが増えました。
一つだけだと寂しそうなので、 パリの蚤の市で買ったガラスの卵型置物も並べました。 左は京都の展示会で気に入って購入した焼き物。 暖炉の上のオブジェは年中変えています。 気分転換になってロクダウンも気にならないのです。 |
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