2021年6月23日

ラ・サマリテーヌ・デパート リニューアルオープン

 2005年に閉鎖して、修復工事を行っていたラ・サマリテーヌ・デパートが、16年後の6月23日に再オープンし、大きな話題になっています。それ以前の21日のオープニング・セレモニーには、マクロン大統領が出席し、お祝いの言葉を述べたほど重要視されているデパートなのです。

6月23日、リニューアルオープンしたラ・サマリテーヌ・デパート。
アールヌーヴォーとアールデコを取り入れた歴史的建造物。


このデパートは、1870年に創立された長い歴史を誇る老舗であり、しかも、アールヌーヴォーとアールデコを取り入れた歴史的建造物であり、オーナーはLVMH。このように、人々に興味を抱かせる要素がいくつもあります。

ラ・サマリテーヌを創立したのはエルネスト・コニャックで、パリ最古の橋ポン・ヌフの上に小さなお店を開いていました。16世紀後半から17世紀初頭にかけて建築されたポン・ヌフには様々な店舗があり、そうしたひとつが、エルネスト・コニャックが売るストールのお店だったのです。

エスネスト・コニャック(1839=1928)


彼のお店がある場所には、かつて立派な給水塔があり、その界隈に水を供給する重要な役割を果たしていました。その給水塔には、キリストがサマリアの女性から水を受け取る彫刻があり、その上には時計がはめられていましたが、1810年に取り壊されたのでした。

ポン・ヌフには右手に見える立派な給水塔がありました。

給水塔には、
キリストに水を差しだすサマリアの女性の彫刻がありました。


エルネスト・コニャックがポン・ヌフ近くに本格的なお店を出したとき、給水塔からヒントを得て、サマリアの女という意味の「ラ・サマリテーヌ」と名付けます。それから間もない、1872年、ボン・マルシェ・デパートの販売員だったマリー=ルイーズ・ジェイと結婚。それ以降、事業は日の出の勢いで発展し、1900年には、セーヌ川右岸を代表するデパートになったのです。


エルネスト・コニャックの最初のお店ラ・サマリテーヌ。

すべての新しいものに興味を持つ私は、早速、オープニングの日に行きました。思った通りすごい行列。残念ながら他にも予定があったので、並ぶ時間がなく、中には入れませんでした。次回は辛抱強く並んで中に入るつもり。その時には写真を撮って報告しますね。

再オープンの日はご覧の通り長い行列。コロナで通販が盛んになったようだけれど、
この行列を見ると、デパートが健在だとわかります。
私はどちらかというと、実際に目と手で品を確認しないと気が済まない性格。

2021年6月20日

メトロの駅名は語る 170

Bibliothèque François Mitterrand
ビブリオテック フランソワ・ミッテラン(14号線)

フランス元大統領フランソワ・ミッテランの名を冠した図書館が駅名になっています。
フランソワ・ミッテラン(1916-1996)

フランソワ・ミッテラン図書館は、複数に分かれているフランス国立図書館のひとつで、1994年に13区に完成しました。L字型のガラス張りの4つの高層ビルが、中庭を囲んで本を開いているように立っている近代的な建造物。

フランソワ・ミッテラン図書館。

この図書館ができる前は、リシュリュー通りの図書館がメインで、私も資料を調べるために、数えきれないほど通いました。現在はフランソワ・ミッテラン図書館が主要となっていますが、リシュリュー図書館も健在で、歴史が感じられる雰囲気が好きなので、今も時々利用しています。
フランス国立図書館の歴史は驚くほど古く、その起源とされているのは1367年に創設された王室文庫。当時の国王はシャルル5世(1338-1380)で、体が弱く読書を好む教養が深い国王で、膨大な蔵書を持っていました。国王は当時住んでいたルーヴル宮殿の塔のひとつに、図書室を設けています。

シャルル5世が暮らしていた時代のルーヴル宮殿。
図書室は北西のラ・フォコヌリー塔に設けていました。

その後、歴代の国王が国内だけでなく、外国遠征などで入手した貴重な文献や書物の収集を続け、それらを様々なシャトーの王室図書館で保管していました。それに加えて、枢機卿であり宰相も務めたリシュリューやマザランが、国王に負けずに蔵書を増やしていたし、裕福な貴族や教会も同じで、フランスが保管する蔵書は、目を見張るほど豊かになっていたのです。

17世紀のマザランの大邸宅内に、
19世紀に設けられたリシュリュー国立図書館。

革命ですべての蔵書は没収され、リシュリュー通りに大規模な国立図書館が生まれたのは1875年で、有力なマザラン(1602-1661)が所有していた、17世紀の豪華な館の一角に創設されました。
マザランはルイ13世に枢機卿に任命され、国王亡き後、幼いルイ14世(1638-1715)の事実上の宰相となり、絶対王政の基礎をつくった大物です。
時が経ち、近代的なフランソワ・ミッテラン図書館が誕生し、リシュリュー図書館から多くの蔵書が移されました。このように、まったく異なる時代に建築された、まったく異なる新旧の国立図書館が共存しているのです。
次々に近代化がなされているパリですが、歴史を刻む建造物の重要性を認識しているので、例え、高額な維持費や修復費用がかかろうとも、保存を優先しています。そうしたパリはやはり文化都市です。精神的な豊かさを養ってくれる、世界でも稀な大都市なのです。

                                          ★ ★ ★
    
「メトロの駅名は語る」は今回で終了いたします。パリのメトロの駅名のいわれについて、多少なりともお役に立てたら幸いです。私自身多くのことを学びました。

2021年6月17日

屋外でのマスク着用から解放

カステックス首相が6月16日に、とってもいいニュースを発表。
17日から、屋外でのマスク着用は義務ではなくなるというのです。フランス国内のコロナ感染の状況が、予想していたよりずっと早く改善しているからだそうです。それだけでなく、夜間外出禁止令解除を30日としていたのに、それを繰り上げて20日としたのです。

もう、フランス中大喜び。21日には音楽祭があるし、サッカーの欧州チャンピオンリーグも開催中。夜遅くまで友人たちと騒いだり、喜びを分かち合いたい出来事が待っているのです。とはいえ、人数制限は以前と同じように守り、人が大勢集まる集会やマルシェなどは、屋外といえどもマスクをつけなければならない。
でも、嬉しさが飛び跳ねているのは確か。レストランは満席だし、高級衣料店は外に大勢の人が並ぶほど大繁盛。何よりも驚くのは、夏のヴァカンスの予約のために、旅行エージェントの前に長い行列があること。
何だかパリジャンがお金持ちに見えるこのごろ。


屋外でのマスク解放の日に。


ピザもドリンクも格別おいしく感じられました。

2021年6月14日

メトロの駅名は語る 169

Cour Saint-Emillion
クール・サン=テミリオン(14号線)

名産のワイン、サン=テミリオンの名を冠する「サン=テミリオン広場」にちなんだ駅名。

ベルシーにはこのように
ワイン商人のための倉庫が多数ありました。1908年。

このメトロの駅があるベルシー地区には、かつて、ワイン商人用の倉庫が多数あり、フランス南部から運ばれるワインを大量に積んだ列車が発着する駅もありました。
パリに列車で運ばれるワインの中には、まろやかでコクがあり、気品あるサン=テミリオンの赤ワインもありました。1998年にオープンしたクール・サン=テミリオン駅は、その名残で、以前あった駅の中に建築されました。
サン=テミリオンは、ボルドーの北東にある、世界で初めて世界遺産に登録された高級ワインの産地。この地でブドウが栽培されるようになったのは、ローマ人がフランスを支配していた、ガロ=ロマンの時代にさかのぼります。ガロ=ロマンが始まったのは、紀元前1世紀です。当時、この地域は、サン=テミリオンとは呼ばれていませんでした。
町名の由来は、ブルターニュ地方出身の僧エミリオンが、8世紀にこの地を選んで隠遁生活を送っていたためで、サン=テミリオンは聖エミリオンという意味です。
エミリオンはブルターニュ地方のヴァンヌで生まれ、ヴァンヌ公の執事を務めていました。その時代から慈悲深かったエミリオンは、ヴァンヌの貧しい人々に、主君に隠れてパンを配っていたとされています。
後にヴァンヌを離れ、南西の町ソジョンのベネディクト派の修道院に入ったエミリオンは、そこで僧になります。やがて奇跡を起こすようなり、それを伝え聞いた多くの人々が、ソジョンに押しかけるよになったのでした。あまりにも多くの人が奇跡を求めて会いに来るので、疲れ果てたエミリオンは、ソジョンを離れ、森の中の岩を掘り、そこで隠遁生活を送ることにし、767年に生涯を閉じます。

聖エミリオン像。


エミリオンが暮らし、生涯を閉じた洞窟跡に、
11世紀に立派なモノリス教会が建築されました。

エミリオンを慕ってその地に暮らすようになった僧たちは、その界隈で作物を作っているうちに、土壌がブドウに適しているとわかり、ブドウ栽培に力を入れ、上質のワインを醸造するようになったのでした。

2021年6月12日

ナポレオン展、大好評

 ナポレオンがセント・ヘレナ島で世を去って200年記念の今年、彼の偉大な功績にふさわしい大規模な展覧会を、パリ北東のラ・ヴィレットで開催中。コロナのために、入場は予約制で人数制限があります。そのために、ゆったりと鑑賞できるのは、かえっていいことです。

ナポレオンが頭角をあらわした若き頃から、皇帝に就任した栄華の時代、その後、段階的に訪れる敗北、致命的なワーテルローの戦い、屈辱の流刑、フランスへの無言の帰還など、起伏に富んだ生涯の重要なポイントを絵画、彫刻、遺品などで構成しいる展覧会です。12月19日まで開催。

皇帝の座に就いたナポレオンと妃ジョゼフィーヌの肖像画。
中央は上院所蔵の皇帝の玉座で、今回はじめて上院を離れました。

ジョゼフィーヌの宮廷用マント―。シルクとビロード。
彼女は帝政スタイルをヨーロッパに普及させた、秀でた感性の持ち主。
フォンテーヌブロー城のナポレオンのベッドと家具。
枕に頭でなく背中をのせていたので、ベッドは小さめ。

日本を含め、多くの国に影響を与えた
「ナポレオン法典」の一部。1804年3月21日に発布。

ナポレオンは1802年5月19日にレジョンドヌール勲章を制定。
写真は1807年のナポレオンのレジョンドヌール勲章。

世継ぎを授けられないジョゼフィーヌと離婚したナポレオンは、
オーストリア大公女マリー・ルイーズと1810年4月1日に結婚。
そのとき使用された馬車。

待望の息子、ローマ王が1811年3月20日にチュイルリー宮殿で誕生。
宮殿で使用していたゆりかご。

戦いを続けていたナポレオンの戦地用ベッドと家具。
すべて折りたたみ式。

2021年6月10日

パリで見えた部分日食

6月10日にパリで初めて部分日食を見ました。不思議で詩的なひとときです。 

雲の中の太陽と大空を飛ぶ鳥。11時52分


数分後の部分日食。12時13分に撮影。

2021年6月7日

リッツ・ホテルのパティスリー

リッツ・ホテルのパティシエ・シェフ、フランソワ・ペレのお店「ル・コントワール」が、ホテルのカンボン通りに面した場所に6月7日にオープン。人生の楽しみがまた増えました。

2019年に、世界最高のパティシエに選ばれた現在40歳のフランソワ・ペレには、冒険心があり、思い切ったアイディアを発揮し、味にもフォルムにも思いがけなさがある。それに加えて体の奥深くまで浸透する、甘美な味がある。

リッツが長年の修復工事の後、2016年にリニューアルオープンしたときに、由緒あるホテルの重厚な趣を保つことを優先したために、あまり多くの改造は見られませんでした。それが「ル・コントワール」が生まれて、雰囲気が一変。まるで、深い眠りから覚めたかのように、生き生きとしているのです。

白とベージュの清涼感あふれるインテリアは、まさに21世紀ならでは。天井には、ペレの代表作のマドレーヌを思わせる、60個の大小の琥珀色のボヘミアガラスの照明があり、あたたかみがある光を放っています。

「ル・コントワール」Le comptoir Ritz Paris
さわやかで気品があり、身も心も浄化されそう。


このパティスリーには、ペレの秀でた感性が生んだハチミツとクリのマドレーヌ、細長いミルフイユ、こってりしたエトレクリームを添えたイチゴタルトなど、独創的なスイーツの他、チョコレートパンや、27cmもの長いサンドイッチもあります。

どれも魅力的で心が乱れます。©Bernhard Winkelmann

画期的なのは、ペイパーのゴブレに入ったボワソン・パティスリー。いわば飲むケーキ。ビスケットミルクと泡立てたクリームに、キャラメル、バニラキャラメル、マロンキャラメルの3種類のお味があり、その上に様々なトッピングがたっぷり。もう、忘れられない美味。

話題のボワソン・パティスリー。3つの異なるお味があります。©Bernhard Winkelmann

ボワソン・パティスリーのデッサンが、
店内の壁にも、外にも見られます。

店内に入って天井を見ると、
ボヘミアガラスの照明が、ますますマドレーヌに見えて、
これは絶対に買いたいと思ってしまいます。


長い行列も、楽しみが目前にあるから気にならない。


月曜から土曜日まで、8時から19時まで営業。長い行列が当分の間続くのは仕方ない。

Le Comptoir
38 rue Cambon 75001 Paris

2021年6月6日

ゼラニュームが満開

 お花がとてもキレイなシーズン。我が家のゼラニュームも満開で、毎朝、その姿を見るのが一番の楽しみ。真冬にはビニールをすっぽりかけて、寒さから守り、春からは頻繁にご馳走をあげているお蔭で、立派に成長を続けて、今では1メートルほどの高さ。私があげているご馳走は、ジャガイモやニンジン、バナナの皮。それを土の中に入れるだけ。

お隣さんが飼っている2羽の小鳥が、朝6時になると、ピーピーと透き通った声で歌うし、我が家のゼラニュームは華やかな姿を見せてくれる。このように、パリにいながら、田舎の雰囲気を味わっています。

毎年大きく成長するゼラニューム。左の背の高い葉はジャガイモ。
ゼラニュームの栄養のために、ジャガイモの皮をむくたびにあげているのです。
そこから芽が出て大きくなったのでしょう。

あでやかな色が、ハッとするほどキレイ。


淡いピンクもほのぼのとした優しさがあっていい。

オレンジはパワーをくれるので貴重。

どのゼラニュームもすでに10年以上、我が家の3つのバルコニーを飾ってくれています。今後もどうぞヨロシク。

2021年6月3日

テラス、異常なほどの人気

 レストランのテラスの人気は驚くほど。どこも満席で、席があくのを待っている人が結構多い。もっとも、ソーシャルディスタンスを守るために人数制限がある。とはいえ、この賑わいはすごい。まるでヴァカンスに来ているみたいに、皆、楽しそう。

私もさっそくテラスでランチをいただきました。お寿司を久しぶりに味わって、ゴキゲン。今度は幕の内弁当、その次はフレンチ、モロッコ料理、それから中華、イタリアンも、と今からワクワク。屋外でのランチは最高。食欲が倍増します。

どこもかしこも満席。
でも、おしゃべりしながら待っているのも楽しい。

好天に恵まれたパリはとても元気。活気にあふれています。

すごい人だニャー。

人が多すぎて目が回る。デリケートなボクはダウンだワン。


「何事がおきているのかなニャー」
いつもはテーブルの上で優雅に外を見ているブランカちゃんが、
気になってレストランの入り口で観察。

2021年6月2日

ショーメ、華麗な「ジョゼフィーヌとナポレオン展」

 2021年はナポレオン没後200年周年の年。命日の5月5日に、マクロン大統領はフランス学士院で、ナポレオンの数々の偉大な業績を称える演説を行い、その後、アンヴァリッドのナポレオンのお墓に立派な花輪を捧げました。

この記念すべき年に、いくつか催しがありますが、そのひとつは、パリ北東にあるヴィレットでの大規模なナポレオン展。

パリ中心にあるヴァンドーム広場に面した高級宝飾店ショーメでは、「ジョゼフィーヌとナポレオン展」をオーガナイズし、類まれなふたりにちなむ多くの貴重な品々を展示。ショーメが保管している秘蔵品はもちろん、ナポレオン財団、ルーヴル美術館、マルメゾン城、フォンテーヌブロー城、カルナヴァレ博物館所蔵の作品も多く、絵画、ジュエリー、オブジェ、デッサン、手紙など多岐にわたる充実した内容です。

展覧会はショーメ本店の二階のグランサロンで開催。
本店は18世紀の旧邸宅をリニューアルした由緒ある建物。
大理石の階段も、彫刻をほどこした柱も高い天井も、
優美な生活が営まれていた時代の面影を残しています。

1780年に創業したショーメが、第一統領だったナポレオン・ボナパルトに気に入られたことは、その後の画期的飛躍に不可欠でした。無敵のナポレオンが不動の地位を獲得し、1804年12月にノートルダム大聖堂で皇帝になる戴冠式を執り行った際に、手にする剣の制作をショーメに依頼します。そこには、フランス国王の秘蔵品だった、140,5カラットものダイヤモンドがはめられ、ブルボン朝とはり合うナポレオンを大いに満足させたのです。この時から、ショーメはフランス皇室ご用達の栄誉に輝いていました。

革命前の華やかな宮廷生活を復活させ、フランスの偉大さを諸外国に見せたかったナポレオンによって、宮廷の女性たちはティアラをつけるようになり、ショーメは大きな発展を続けます。粗野なナポレオンと正反対に、優美なジョゼフィーヌはメゾンの高貴なミューズだったのです。

ナポレオン皇帝の帝政時代を飾った妃ジョゼフィーヌ。
1809年作のジョゼフィーヌのパリュール。

ジョゼフィーヌのカメオのパリュール。
彼女のセンスを取り入れた秀でたジュエリーは、王侯貴族の憧れでした。

美しいものに限りない愛着を持っていたジョゼフィーヌは、
服装も歩き方も自ら工夫し、
フランスのエレガンスをヨーロッパに発信していたのです。

美しいものをこよなく愛したナポレオンの妃ジョゼフィーヌは、ジュエリーに目がなく、次々にショーメにオーダーし、フランスのエレガンスの代名詞的存在だったジョゼフィーヌのお蔭で、ショーメの名声は国境を越えていったのです。このような華やかな歴史を持つショーメは、ナポレオン皇帝夫妻と深い絆があり、ナポレオン没後200年周年の年に、エキシビションを開催するのは大きな意義があります。

ジョゼフィーヌが愛用していた靴と小物入れ。

ナポレオンの偉業を表すモチーフのセーヴル焼き。

ブルーを基調とするグランサロンの展示会場にいると、
現実は遠くに去り、まるで魔法の世界に招かれたよう。