2021年6月20日

メトロの駅名は語る 170

Bibliothèque François Mitterrand
ビブリオテック フランソワ・ミッテラン(14号線)

フランス元大統領フランソワ・ミッテランの名を冠した図書館が駅名になっています。
フランソワ・ミッテラン(1916-1996)

フランソワ・ミッテラン図書館は、複数に分かれているフランス国立図書館のひとつで、1994年に13区に完成しました。L字型のガラス張りの4つの高層ビルが、中庭を囲んで本を開いているように立っている近代的な建造物。

フランソワ・ミッテラン図書館。

この図書館ができる前は、リシュリュー通りの図書館がメインで、私も資料を調べるために、数えきれないほど通いました。現在はフランソワ・ミッテラン図書館が主要となっていますが、リシュリュー図書館も健在で、歴史が感じられる雰囲気が好きなので、今も時々利用しています。
フランス国立図書館の歴史は驚くほど古く、その起源とされているのは1367年に創設された王室文庫。当時の国王はシャルル5世(1338-1380)で、体が弱く読書を好む教養が深い国王で、膨大な蔵書を持っていました。国王は当時住んでいたルーヴル宮殿の塔のひとつに、図書室を設けています。

シャルル5世が暮らしていた時代のルーヴル宮殿。
図書室は北西のラ・フォコヌリー塔に設けていました。

その後、歴代の国王が国内だけでなく、外国遠征などで入手した貴重な文献や書物の収集を続け、それらを様々なシャトーの王室図書館で保管していました。それに加えて、枢機卿であり宰相も務めたリシュリューやマザランが、国王に負けずに蔵書を増やしていたし、裕福な貴族や教会も同じで、フランスが保管する蔵書は、目を見張るほど豊かになっていたのです。

17世紀のマザランの大邸宅内に、
19世紀に設けられたリシュリュー国立図書館。

革命ですべての蔵書は没収され、リシュリュー通りに大規模な国立図書館が生まれたのは1875年で、有力なマザラン(1602-1661)が所有していた、17世紀の豪華な館の一角に創設されました。
マザランはルイ13世に枢機卿に任命され、国王亡き後、幼いルイ14世(1638-1715)の事実上の宰相となり、絶対王政の基礎をつくった大物です。
時が経ち、近代的なフランソワ・ミッテラン図書館が誕生し、リシュリュー図書館から多くの蔵書が移されました。このように、まったく異なる時代に建築された、まったく異なる新旧の国立図書館が共存しているのです。
次々に近代化がなされているパリですが、歴史を刻む建造物の重要性を認識しているので、例え、高額な維持費や修復費用がかかろうとも、保存を優先しています。そうしたパリはやはり文化都市です。精神的な豊かさを養ってくれる、世界でも稀な大都市なのです。

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「メトロの駅名は語る」は今回で終了いたします。パリのメトロの駅名のいわれについて、多少なりともお役に立てたら幸いです。私自身多くのことを学びました。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

初めてコメントします。
このシリーズを楽しみに拝読しておりました。とても勉強になりました、ありがとうごさいました!