2022年5月3日

海だったパリの名残

パリが海だったのは、人類が誕生するずっとずっと以前のこと。やがて 徐々に水がひいたり土砂が積もって陸になり、動物や人が姿を現し、それからさらに気が遠くるほど年月が経ち、優れたローマ人がフランスを征服し、パリ市が生まれる時代が到来。そのとき建築材料として使用されたのが石灰岩。

石灰岩は水中に暮らす生き物の骨や殻、土などが蓄積されて出来る。そのために化石が多い。石灰岩は採掘しやすく、しかも多少の柔らかさがあるので加工や彫刻もやりやすい。パリの建造物のほとんどが石灰岩で造られているのは、そのため。パリ市内には採石場がいくつもあり、そこで採掘した石灰岩で建物を造り、緻密な彫刻を施し、美しいノートルダムやルーヴルなどが誕生。採石場は主にセーヌ左岸にあり、右岸はモンマルトルの丘にあったくらいで少なかった。

モンマルトルの丘の採石場


などという事は知っていたけれど、街中のモニュメントの石灰岩に貝殻の化石跡があるなんて、まったく知らずに長年パリに暮らしていた。もっとも、カタコンブにたくさんの化石があるのは、資料に書かれているのでわかっていた。でも、採石場跡につくった600万人もの人が葬られている地下墓地に行く気にならず、従って、そこにある化石を見たこともなかった。

ある日、修復を終えたオベリスクを見るためにコンコルド広場に行き、そこに面したチュイルリー庭園の壁を何となく見て、びっくり。小さい穴が無数にある。しかも、どの石にも穴がある。どうやらそれが貝殻の化石跡らしい、と一緒にいた博学の友人が言う。

それであわてて調べたら、パリは確かに4500万年前は青い水をたたえる海だったと書いてある。ということは、貝殻の化石があっても不思議ではないということになる。化石自体は、例えば、石灰岩の採掘ではがれたり、幾世紀もの間に崩れたりし、その跡だけが残り、小さい穴になったと考えられる。

この壁の右がチュイルリー庭園で左にコンコルド広場がある。
庭園のこの部分は小高くなっていて、見張らし抜群。
ルイ14世の時代には、高位の人しかここにのぼることが許されなかったそう。
今はジュ´ド・ポーム美術館があります。

古い石が積みあげてあるので、気になって近づくと穴がいっぱい。
これが貝殻の化石跡で、石灰岩には無数にある。
建造物に使用した石灰岩はパリで採掘していたので、パリが大昔に海だった証拠。


チュイルリー庭園の壁を注意して見ると、長い年月で積もった汚れで黒ずんでいるのが多い。それをパリの他の建物のように洗浄しないで、そのままにしている。それがいい。歴史の重みがしっかり目に入るから。チュイルリー庭園が生まれたのはルイ14世の時世だったから、17世紀。その時代に採掘した石灰岩を積み上げたかと思うと、感慨もひとしお。しかも化石跡がいっぱい。

巻き貝かなと思っているけれど・・・
このような立派な化石の跡もあって面白い。

その後、パリのアパルトマンの外壁を気を付けて見ると、穴が開いているのが結構多い。これも海の生き物の化石跡かと、見方が変わってくる。中には石灰岩をきれいに削って、ツルツルにしているのもある。あるいは塗装をしているのもある。それには化石跡は見られない。

もしかしたら、珍しい魚や貝の化石の跡に巡り会えるかも、と思うとワクワクしてくる。今後は壁を見るたびに近づいて、化石の跡がないか見る日々が続きそう。